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何を追って生きようか

こんにちは。社会人2年目のごんごんです。

自分がこれから何を追って生きるか考えて決めました。


ヒリヒリ感が足りない。

2年目になって半年が過ぎた。
最近また思うことが増えた、
「ヒリヒリ感が足りない」

僕は、人にネガティブFBをもらったり、悪口言われたり、できないことを自覚したりするときに、「生きている」と実感することが多い。

なぜかと考えると、「やるべきこと」が明確に示されるからだと思う。
「やるべきこと」が明確にある状態は自分にとってすごく心地が良い状態だ。
それがないとすごく不安になるし、楽しくなくなる。

でも、それが外部から与えられなければ動けないって、
たぶん、自分の人生人任せになっちゃうよな。

そういえば、1年前もちょうどそんなことを思っていろいろ考えていた。
改めて、もう一度考え直す。

過去の自分を振り返って

いつも「○○が僕には不足している」から「△△をやる」という”慢性的不満足感”で生きてきた。

16年間も続けてきたバスケットボールも「全国大会出場したい」「No1プレイヤーになりたい」といった目標を達成するために頑張ったというよりかは、「現状このプレイがうまくいかないからできるように練習する」、という連続で、いわゆる”コツコツ型”でやってきた。

「何かをどうしても達成したい」という気持ちを今まで持ったことがない。
目の前にある解決できそうな課題に対して、考えて行動して、解決できたら喜ぶ。の繰り返しで生きてきた。

だから悔しくて泣いたり、嬉しくて泣くほど喜んだり、そんな経験もない。
試合に負けて、勝って泣ける人を見て、「いいなあ」と思っていた。

僕が憧れを感じ、尊敬する対象は、夢を嬉々として語って、それを実現するために思考錯誤して泥臭く頑張っている人だ。
そんな風に生きてみたいな。自分も”何か”を追っかけて生きたいな。と強く思っていた。

”何か”ってどうやって見つけるの

目標や夢がないとつらい。
社会に出るまではそれらしい目標が常に与えられてきた。

「テストで90点取ったらすごい」
「大会で優勝したらすごい」
「この大学いけたらすごい」

みんなが同じ土俵にいて、ほとんど一緒の価値観で生きているから、自分自身の価値観で生きる必要がない。
”誰か”の価値観で作られた「なんかすごいらしい目標」にフリーライドしてた。

社会に出ると全然違う。「なんかすごいらしい目標」は剥奪されて、「お前が達成したい目標」を求められる。そんなの立てたことがない。考えたことがない。
「やりたいことは?」「実現したいことは?」って、そんなのない。

だから、最初はそれっぽい目標を言ってた。「地元に帰って、地方貢献したいです!」
いいねって言ってくれる人は多かった。でもそれは「それっぽい」からだった。
自分が憧れる”泥臭い夢追い人”たちは騙されない。「なんでやりたいん?」って言われて終わり。
やっぱりちゃんと見つけていかないといけないんだなって思った。

”何か”探し

そこから自分の目標を探すために、半年ぐらいをかけて、いろんな人に会って夢を聞いて回った。
安直に、人が追っている目標に共感できるものがあれば、一緒に追えばいいじゃん!って思った。
「他人の夢フリーライド作戦」だった。

「お金稼ぎたいから独立するんだよ」
「田舎でカフェやろうと思ってる」
「いつか独立するために今いろいろ頑張ってるんだよ」
「昇格して最終的に事業部長になる」

とかなんかみんな言ってた。覚えていないからあんまり刺さってない。

人に夢を聞いても自分の目標は見つからないんだってわかった。
その夢を抱くに至った背景が自分にないから当たり前だ。
「他人の夢フリーライド作戦」は失敗した。

”何か”の見つけ方のヒント

でも夢だけじゃなく、見つけたきっかけも聞いていたから、学びと気づきはあった。

1.できることから考えるのではなく、”やりたいこと””やりたくないこと”から考える
2.小さい”やりたいこと”も大事にしている
3.最終的に覚悟もって”やりたい”と思い込む

1.”できること”から考えるのではなく、”やりたいこと””やりたくないこと”から考える

誰も達成できそうな選択肢から目標設定なんてしてなかった。
目標設定をしてからそのプロセスを考えていた。

今の自分はそれを達成するために必要な労力を考えて、「それなら大変だし追うのやめよ」と考えていた。そんな奴は誰もいなかった。
今の自分、未来の自分を大事にしていた。

2.小さい”やりたいこと”も大事にしている

毎日スイーツ食べたい。
カフェ行きたい。
旅行は3か月に1回行きたい。
とかそんな小さい”やりたいこと”を大事にしていた。

その小さい粒をたくさん集めて、これを全部やるために必要なことを洗い出して、目標にしていた。
でっかい目標が最初から立つのではなく、自分で大きくしていっていた。

今の自分の”やりたいこと”を大事にしようと思った。

3.最終的に覚悟もって”やりたい”と思い込む

夢語っている人も最初から、生まれた時からそう思っていたのではなくて、自分で毎日言い聞かせたり、他の選択肢の誘惑を捨てて、「覚悟もって”やりたい”と思い込む」時期が存在していた。

やっぱり、パッ!!とやりたいことが生まれてくるのではなく、夢や目標は醸成していくものだった。
簡単じゃなくてめんどくさいな。と思いつつ、自分でもできる!と道筋が見えた。嬉しかった。

自分の追う”何か”

いろいろ改めてまとめて、
また考えてみました。

私が追う”何か”は
「漢らしく、そして、愛し愛される人間になる」ことと決めた。
だから、

・決断を先延ばしにしない
・自分のことは自分で決める
・謙虚であるが、謙遜はしない
・愛をもって相手に接する

って決めた。
じゃあ具体的に何するんだって話だけど。
そこはもう少し考えさせてください。
または、アドバイスください。
おわり。

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