侘び寂び

 先日、変わった旅館やホテルを紹介する番組を観てて、東京は地獄だと言う経営者がいた。
東京が心地よいと感じている方には失礼な話だが、そうなんだろうなって思ってしまった。住んだことないけど。
まあ、東京がって言うより都会がしんどいって話だろう。

僕は、3年前に田舎の職場から都会の方に転職して、人と情報が溢れる街に引っ越した。
引っ越した当初は、田舎の不便さが解消されて、引っ越して良かったな~って思っていたのだが、どうも心の豊かさというか忙しさというか、田舎にいた時の時間がゆっくり流れる感覚がない。

続けていることは変わらないし、休日の過ごし方もそんなに変わらないと思う。平日は帰宅する時間が、少し遅くなったけれど、若手の頃に比べればマシな方だろう。むしろ早い方だ。
若いころに比べれば、したい事がしなきゃいけない事に変わったような気がせんでもないが。
作業が増えれば増えるほど時間の感覚は速くなる。

その経営者は、人生を豊かにするのは侘び寂びだと言う。
質素な暮らしの中に、奥深さや豊かさがある。
豊かになろうとして足すのではなく、引いていけってことだ。
僕の実家は、田舎なんだけれども、実家に帰った時の安心感というか心地良さって言うのは、こういう所もあるのかもしれない。
キャンプにハマっている人が増えたのは、不便さが楽しいからだろう。

今の時代、選択肢が多すぎるし便利過ぎる。便利さを追い求め、競争から生き残ってきたから今の生活があるのだけれど。
思うに便利になりすぎると続けることが、ストレスになってくるのではないだろうか。
じゃなきゃ、脱成長なんてワードは出てこないと思うんだ。

僕は最近、ある動画アプリを使わなくなった。以前は毎日、なんなら一日中使っていたのに。
原因は機能が増えすぎているからだ。
画面がゴチャゴチャし過ぎ。広告多すぎ。
全然興味ないオススメも出てくるし、最近はタップしていないのに勝手に動画が動き出す始末だ。
前はシンプルで使いやすかったのに。課金すれば広告は無くなるんだろうけど、そもそも長らく無料で楽しめていたものに課金する意味が分からない。

不便さを解消したいなら、課金してねっていう企業側の戦略なんだろう。
サービスが魅力的であれば、意図的に不便さを作り出すことも立派な企業戦略だ。だって無料なんだもん。
これは、他のアプリにも当てはまる。
決して否定しているわけではない。単純に僕に合わないだけだ。
使用する側と提供する側の自由なので。
これでまた選択肢が増えることになる。同じことの繰り返し。

ある人は現代の生活は、人間の脳に合っていないと言う。
発展し過ぎて対応できていないと。
例外なく僕の脳も、現代の生活に追いついていない。
情報が多すぎて、注意機能の容量を超えてしまっている。
企業は注意機能の奪い合いをしているとも言える。

その点、noteは使っていて心地いい。画面がシンプルだし、使える機能が多すぎない。僕の脳にあっている。
たまに見つける文章がうまい人や感性が鋭い人、考え方が変わっている人の文章は、見ていて勉強になるし中毒性がある。
何言ってるのかわからない時は、知能指数の差を感じる…(笑)。
noteで気になる人は、僕とは違う路線を走っている人が多い。
別の世界を生きている。
だから面白いし、気になるのだろう。

侘び寂びっていう言葉に出会えてよかった。
最近感じていたモヤモヤが晴れた気がした。
ひとまず、スマホの中身をシンプルにするところから始めたけど、大変気分がよろしい。
必要かもと思っていたメールも配信停止にしてやろう。
続けていたけど、こういう情報が欲しかったって思ったことがない。
こうやって文章を書いている時は、他を忘れることができて気持ちがいい。
瞑想とかマインドフルネス的な心地良さに近い。

言葉の定義に厳しい方は、侘び寂びって言うより、断捨離じゃね?って言うだろうな~って、書きながら気づいたんだけど。
侘び寂びの方がカッコいいから、最近の趣味は?って聞かれたら侘び寂びって言っておこうかな。
そもそも趣味じゃないんだけどね。馬鹿みたいだ(笑)。
これは生活だけじゃなくて、仕事にも活用できると思う。
僕は突き詰めていく過程で、シンプルになっただけなんだけどね。

みんなも侘び寂び意識してみて。
心が軽くなると思うよ(決して病んでいたわけではない)。

おしまーい。

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