カデンツァから見る自分ごととしての演奏会

お疲れ様です、音楽家、チューバ奏者、指揮者、金管バンド専門家の河野一之です。

朝からシャツにアイロンかけて清々しい気持ちです!タスクこなすの最高!
#おかん力40 ,000

カデンツァから見る自分ごととしての演奏会

まず最初に、カデンツァ(伊:Cadenza)というのは曲中に出てくるソロ的な箇所で、主に即興的に演奏を求められる言葉です。(最近ではこんな感じにやってという作曲者の指示もあります。)

なのでもしバンドという大人数の奏者によって演奏される曲の中でカデンツァが出てきた場合、伴奏はお休みで、ソリストだけで演奏をされる場合がほとんどです。こんな感じ↓

さて、音楽家業をさせていただくようになって約10年、色々な曲に取り組んできました。その中でも難曲=長い曲の中に時たまカデンツァが入ってきます。

その際自分が伴奏を演奏する場合、ソリストが集中して音楽の世界に没頭し、ベストを尽くしてもらえるようにとにかく物音を立てず、息をひそめて、どちらかというと応援するかのような気持ちで聞いています。

指揮をする際も、カデンツァの箇所に入った時、ソリストが音楽に没頭して演奏できるよう、またカデンツァ終了後伴奏パートが安心して演奏を開始できるようとにかく息をひそめ、まるで電柱にでもなったかのように存在感を消します。もちろん心の中ではソリストを応援してもいます。

このように、自分が伴奏を吹いていようが、指揮者として総合演出をする側にいたとしても一つの演奏会を構成する役者であることには変わらないので

とにかくその場を彩る役者として自分ごとしてソリストを見守ります。

コンサートが始まり、ステージに上がって、終演と共にステージを去る。そして、楽屋にて衣装を脱いでホールを出る時までプロ、アマチュア関係なく我々は音楽家、演者としてお客様からは見られていると思います。

もっと言えば、自宅に帰るまで、つまり誰かに見られる機会が少しでもあるのであれば演者であると言っていいかもしれません。

自分がお金や人生の時間を使って何か演目を見にいった際、1人の役者さんがソロパートとして踊っていたとします。その裏で控える役者さんたちが姿勢を崩しダラダラとしていたらいくら照明が当たっていなかったとしても興が冷めます。

せっかく映画を見にいったのに、誘導の係の方がとてもUnhappyな姿勢でこられたら映画の魅力も半減するでしょう。

演奏会で司会者がお客様に演奏会、バンドのこと、曲について少しでも楽しんで聞いてもらおうと工夫をこらしMCをしていても、そのMC最中にバンドが音を立てたり、動き回ったりしていたらお客様のMCへの集中を邪魔してしまいます。

見ていただく、聞いていただく、感じていただくお客様をお呼びして公演をする限り、そのお客様へのおもてなしは全力で行うべきです。

これはお客様は神様です!とかいう話ではなく、お越しくださったお客様が楽しそうに我々の公演を聞いてくださったり、さらにポジディブなご感想までいただけたらそれほど我々の糧になることはありません。

つまり、お客様を大事にすることが自分たちのメリットにつながる好循環が生まれるわけです。

なので演奏会の成功には、カデンツァの最中の伴奏パートの奏者の応援や自分ごととしての振る舞いが必要で

MCの最中であっても、奏者たちの休憩時間ではなく、お客様がお耳休め、また次に演奏される曲をより良くお聴きいただくための時間なのです。

今日はここまで

ありがとうございました!


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