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1.ADHDが大学教員になるまで①


大学卒業、そして就職

 大学教員になる方法(道筋?)はある程度決まっています。けれど、大学教員になる経緯は、ほかの職業と同様、人によっても違うかと思います。私の場合は、大学で学部卒業後、新卒で就職しました。当時は、大学院に行くなんて夢にも思わず、新卒先でずっと働くものと思っていました。
 けれど、働きだすと、学生時代とは違って、さまざまな失敗や困難がありました。

 例えば、
 ・会議や研修など、退屈な時、止められない眠気に襲われて寝てしまう
 ・思ったことをそのまま発言して、周囲の反感を買う
 ・周囲に人がいたり音がある環境で、なかなか集中できない
 ・時間管理、タスク管理ができない
 ・衝動的な怒りを他者にぶつけてしまう
 ・物をすぐになくす
 ・片付けができない
 ・趣味や好きなことに没頭しすぎて気づけば明け方、そして寝坊

 上記は本当に一部です。
 ちなみに、1つ目の「止められない眠気に襲われて寝てしまう」に関して。余談ですが、自動車免許の教習のとき、仮免許で路上を走っていたら、急激な眠気に襲われ、赤信号で止まった瞬間に寝てました。足がブレーキから離れていて、すーっと車が動き出し。。。「あれ?」と思った助手席の教官が私をみると、ウトウト…。
 こんな話が山ほどあります。本当、信じてもらえないけれど、自分でも信じられない眠気なんですよね。睡眠時間確保、目覚まし3つ、眼が覚めるという栄養ドリンク、いろいろ試しましたが、どれも明確な効果はありませんでした。

 やらかすたびに凹んで、なんとかしようと思うものの、うまくいかず、またへこんで、という負のループに陥ることもしばしば。結局、仕事を何度も変わるということになりました。このころには、すでに、自身の発達障がい傾向には薄々気が付いていましたが、受診の必要性はとくに感じず、根性論というか、自分の努力の問題だろうって考えていました。

診断と大学院

 うまくいかないことの積み重ねで、「なんで人と同じようにできないのだろう」と思う日々が続いていました。
 一方で、20代後半、自分がやりたいテーマや先生との出会いもあり、社会人院生として大学院に進学することを決めました。それまでも、働きながら、コツコツとやっていたことでもあり、研究は、私にとって、一人で没頭できる趣味のような感覚でした。
 大学院進学と同じ年、きっかけとなる出来事があり、思い切って受診し、ADHDの確定診断を受けました。当時はすでにADHDの治療薬が出ていたので、この生きづらさが改善されるならば、と藁にもすがる思いもありました。
 診断は、思いのほか、あっさりと(?)出ました。知能検査(WAIS)のとき、エアコンの音がとにかく気になって、本当に苦痛でした。長時間のテストにげんなりして、WAISやWISC受けてる人みんなすごいなって尊敬の念でした。
 診断が出たときの気持ちは、何と書けばいいかわかりませんが、とりあえず、自分というものを知るとっかかりができたことと、薬を試せるということは、自分には安堵だったと思います。それと、検査結果のグラフを見て、典型例みたいな発達デコボコに笑いました(笑)
 周囲からの「できるようにみえる」程度と、実際の自分の違い、が視覚化されて出て来たので、これは、その後の自分の動き方をとらえるツールのひとつにもなりました。
 診断後、コンサータの副作用で吐き気にかなり苦しみましたが、おかげで、日中のとんでもない眠気からは解放されました。

大学院と仕事

 修士課程に進んだ頃、仕事も変わっていました。同じ年に、進学、転職、そして診断と定期通院。環境激変。
 しんどい時期でしたが、不思議なパワーには溢れてました。けれど、相変わらず、仕事は思い付きで動いてポカ連続。懲りずにまたやって、またコケる、なんてことを繰り返してました。
 診断を受けてからも何度か仕事は変わりましたが、職場に伝えたのは1回だけです。それも、うまくはいきませんでしたが。
 そんなこともあって、ADHDについて調べたり大学時代から通っていたカウンセラーと相談したりしながら、自分なりの生活術や仕事術みたいなのを少しずつ探していきました。 

 短くまとめようと思って相当端折りましたが、それでもかなり長くなりそうです。そんなわけで、今日はここまでにしておきます。
 次は、修士課程修了と博士課程進学あたりを書こうと思います。
 何をどこまで書くか、むずかしいですね。なんかお題があればもっと書きやすいのですが(笑)
 まあ、思いつくままに書いてみようと思います。ここまでお付き合いいただき感謝です。

※写真は、昔行った、カナダの風景です。

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