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査読に関する雑感

 最近、査読者を引き受ける機会が増えました。書き進めていた「ADHDが大学教員になるまで」シリーズから逸れますが、ADHD当事者であり研究者である私が査読する際に注意していることを、書き留めておこうと思います。今回の記事はかなりターゲットが絞られる話題かもしれません。。。ご容赦ください。
 最初の2つは、一般論のようになったので、読み飛ばしください。


査読を引き受ける「負担」について

 査読をしてもらう側(投稿者側)のときは、査読をとても有難いと思っていました(もちろん今も思っています)。査読を通して、自身の論文がより補強され、また、大事な視点をたくさんいただくことができるからです。
 一方で、査読とは、「とってもえらい、研究歴の長い先生がやること」と思っていて、まだまだ遠い話だと思っていました。けれど、実際のところ、博士号取得後かなり早い段階で査読依頼がやってきました。
 はじめて査読の依頼を受けたとき、報告書の提出まで激しい胃痛が続き、夜も眠れなかったり食欲も減退したりしました。
 考えすぎてしまう性質によるところもあるとは思いますが、他者の論文を評価し、また、それによって他者の業績を左右する可能性があるので、その心理的負担はかなりのものでした。
 また、査読依頼は突然くるものもあり、計画していなかった時間の捻出が急遽必要となるなど、時間的な負担もあります(何度も何度も読み込む⇒関係する文献や先行研究を読むなどの確認作業⇒報告書の作成と推敲、というプロセスを踏むからです)。
 もうひとつ。私の場合は過集中気味なので、査読していると何時間もぶっ続けでやっていることもしばしばで、肩こりがひどくなります。
 と、何かと負担の多い査読ですが、今のところ、査読依頼は断ったことがありません。
 その理由は、私の場合、端的に言うと「学会員としての義務」と「自身の学びや成長の場」との考えからです(ここでは詳しくは書きません)。そもそも、星の数ほどいる研究者のなかからわざわざ選んでご依頼くださること自体が有難いと思っています。

負担の乗り切り方:発想の転換

 はじめて査読を引き受けて劇的胃痛に見舞われたとき、「今後、査読を引き受けるたびにこんなことになっていたら身が持たない!」と思いました。けれど、その後は今のところ、胃痛に見舞われていません。
 なぜでしょう。

 そもそも、査読は英語では「peer review」と表現するようですね(ほかの表現もありますが)。
 つまり、「仲間」として他者の論文を読むわけで、そこには上も下もないわけです。もちろん、「指導」なんて、とんでもない。また、この相互的な「査読」が研究や雑誌の質の担保につながるわけですから、「してもらいっぱなし」ではなく、やはり、「する側」もしなくてはならないのです。もともとの「えらい、研究歴の長い先生がやるもの」というイメージから、「仲間としてやること」「査読者は、よりよい論文にするためのパートナー」と、考え方を変えることで、かなり心理的負担は楽になりました。

 加えて、「自分一人で抱えない」も意識しています。査読というのは、(雑誌にもよりますが)複数で行うことが多いので、”自分には見えていないところや足りないところがあったとしても、ほかの人が気づいてくれるだろう”くらいに思うようになって、かなり楽になりました。
 それから、編集委員会にも頼っています。私が引き受けている査読は、ダブルブラインドで、査読者の意見がダイレクトに投稿者に伝わるのではなく、かならず編集委員会を通します。
 私は、自身の特性として、「自分の言葉が相手にどう受け取られるか察する力が弱い」面があると理解しています。査読は、とても、繊細で、時として、受け手にはかなりのパワーをもって受け止められることがあります。そのこと自体は理解していても、私自身は、塩梅がわからず、かなりストレートに言葉のナイフを振り回すところがあるので、結果的に、相手を傷つける可能性があります。ですので、この面で不安なときは、編集委員会に、「これで大丈夫か確認してください」とお願いするようにしています。査読内容は守秘義務がありますので、頼りにするのは編集委員会です。
 
 つまり、「完璧」を求める思考からの脱出が、査読の心理的負担を軽くするコツかな、と思います。

 ちなみに、時間的な負担については、細切れでやらずに、日や時間を決めて集中し、「一気にやって、終わったら引きずらない」ようにしています。身体的な負担(肩こり)対策は、「こまめに休憩をはさむこと」です。あまりできていませんが…。お腹がすくとか眠たいという身体感覚を大事にするようにしています。

ADHDの私が査読するときに注意していること

 査読者としての心構えや査読の注意点といった査読者全般に言える基本的かつ具体的なことは、ほかのところで整理された文章がいくつもありますので、ここでは、ほぼ触れません。ADHDや発達障がい当事者が査読するときに注意すべしと思うポイントだけ挙げます。

①大前提:投稿規定や執筆要綱、引用ルールなどをよく読む
 査読者として当然の話なのですが、これは、絶対です。その雑誌の基準やルールをきちんと理解したうえでやらないと、査読にはなりません。
 あと、当たり前ですが、学術誌によってカラーが異なり、求められる水準も違いますので、そのあたりの把握も必要です。

②こだわりを押し付けない
 私は、かなり「こだわり」が強いと自覚しています。けれど、査読は、私の「こだわり」を押し付ける場ではありません。
 雑誌の規定や基準に基づいて公平かつ客観的に読み、評価をするように心がけています。

③区別をつける
 「こだわりを押し付けない」と書きましたが、こだわりは捨てれるものではありませんし、研究においては、こだわりが大事なこともあります。
 だから、査読報告書では、「掲載にあたって修正を求める場所」と「意見」の区別をつけて、それが相手にも伝わる書き方で書くようにしています。後者は「好みの問題かもしれませんが」などと前置きをしたり、「あくまで意見ですので、必ずしも修正を求めるわけではありません」ということをストレートに書きます。
 そうすることで、自分自身のモヤモヤからも解放されます(言うだけは言いましたよ、というスッキリ感)。

④注意欠陥の自覚と対処
 私は、かなり注意欠陥の特性が強いです。自分の論文も、何十回も読み直して修正したつもりでも、査読を受けるとケアレスミスを頻発しています。
 ケアレスミスでエディターズキックを受けたこともありますし、タイトルの誤字脱字に気付かず投稿したこともあります。
 そんな人間が人様の論文を査読させていただくにあたっては、かなり、慎重になる必要があると考えています。
 何度も読み直し、メモや線引きをして、関連文献も読みつつ、こまかな確認をするようにしています。
 あと、査読の報告書も、とにかく、何度も読み直します。
 一回寝かせてから再度読むようにもしています。

⑤コンディションを整えて臨む
 誰しもそういった面があるかもしれませんが、私は、心身のコンディションがパフォーマンスに極端に影響する人間です。
 先にも書いたように、査読は、繊細なものですので、「無理にやらない」と決めています。
 睡眠時間をきちんと確保し、食事もとり、心身ともに充実している状態で、静かで集中できる場所で、計画的に、査読に臨むようにしています。不測の事態も想定し、締切から余裕をもって進めるようにしています。
 あと、査読の前には、片付けをします。周囲が雑然としていると、刺激にもなり、落ち着かないからです。周りに物が散らかっていると、つい、「そうそう、これもしなくては」と、ほかのものに気が取られます。そういう集中を妨げる可能性のある要素を事前に取り除きます。
 こうやって書いていると、なんだか、儀式に臨む前みたいですが・・・。私にとって、査読は、超重要で責任重大であり、そして、エネルギーと集中を要するお仕事です。

⑥明確に書くが、表現に気をつける。
 査読は、書面上で行いますので、それとなく「匂わす」ような表現は、しないように心がけています。基準に照らして、所見をストレートに明確に書きます。この点は、特性が活かせているかな、とも思いますが、推察や想像をうむような書き方はしないようにと意識しています。
 一方で、表現面で投稿者を傷つけないように、細心の注意をはらいます。ただし、「注意を払ったとしてもできていない」自覚があるので、上述のとおり、編集委員会にも確認してもらうようにしています。
 投稿者へのリスペクトと尊重は、私の中では絶対です。
 けれど、私は、相手がどう受け取るかを推察する力がめっぽう弱いので、そこは、守秘義務違反にならない範囲(つまり、編集委員会)に頼っています。

査読に対する疑義について

 今のところ、私がした査読に対して疑義や申し立て(?)を受けたことはありませんが、個人的な考えを書いておきます。
 ここまでお読みくださった方のなかにも、「査読が納得いかない」という経験をされた方はいるかもしれません。(幸い、私はそう思ったことはありません。「この方にそう読めたということは、ほかの人もそう読む可能性がある。自分の書き方が悪いのだ」と思うからです。)

 けれど、査読って、人様の論文の採択がかかっていますので、正直、行う側もかなり神経を使っています(笑)無償で、自身の時間を削って、(なんなら心身も削って)やっています。
 私は超未熟者なので、毎回、かなり、必死に、査読しています。
 目の前の論文は、必死に真剣に全力で書かれたものだと考えているからです。

 査読をしてもらっているときは査読者の立場にまでじゅうぶん考えは及びませんでしたが、査読者の側に立つと、かなり見方が変わりました。
 ということを最後に共有できればと思って、こんなことを書きました。
 (お互いさまの世界なので、上から目線のつもりも、感謝しろとか言うつもりも、決してありません。)

まとめ

 ADHDの私が、査読するときに注意していることについて、書きました。私個人の話なので、ほかの人にも当てはまる話とは思いません。
 ただ、書いていて思ったことは、査読においても、「自分についてよく知っておくことが大事」ということです。
 ここでの「自分」というのは、自身の研究者としての視点や立ち位置、考え方のほか、人間としてのクセ、特性、思考やモノの見方の特徴などのことです。自分をよく知ることが、客観的な査読につながるのかもしれません。
 
 以上、自分自身への覚え書きや戒めも兼ねて書きました。
 今後も、マイペースで、本論の続きも書きたいと思います。

※かなり考えて書いたつもりですが、もし、ご不快に思われる個所などがありましたらご容赦ください。なお、画像は、「みんなのフォトギャラリー」のものを活用させていただきました。
 


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