具体的であること。

どうもいきです。

大学での祭りがなんとか無事に終わりました。

やはり成長というものは予想もしない瞬間に訪れるらしく、これだから音楽はやめられないものだなあと思いました。

いつもキーボードに手をつけるのは深夜なのでテンションもあってか、いつもより文章がへんちくりんになっているかもしれませんが気にしないでくださいね。そういうのを気にしてしまったら僕は一生文章を書けなくなってしまうんで。(笑)

具体的であるということ

「哲学的だね」

僕が高校時代に友人に言われすぎて心を閉ざした原因になった言葉です。この言葉のせいで哲学書なんてものは読むものかと心に決めたし、哲学者と自称して内面の世界にだけ焦点を当てたような臭いポエムを心底嫌うようになりました。笑

その時の僕は非常に頭が悪くて、なんで自分の話が哲学的だと揶揄されていたのか全くわからなかった(そもそも揶揄されていると気づいたのは後のことで最初は褒められているのかと思ってた)のですが、話す言葉が抽象的であると慣れていない人が理解しづらくなるらしいのです。

しかし、ここで僕は「抽象的」という言葉をさも難しいものの代表のように言っていますが、思っているよりも簡単な概念だったりします。

例えば、ゴールデンレトリバーやチワワをはじめとした犬種が存在しますが、どちらも犬ですね。

僕たちが普段の生活で「これこれが犬であることの条件である」と明文化しているわけではありませんが、少なくともゴールデンレトリバーのことを「猫」や「植物」だと思う人はほとんどいないでしょう。(某漫画には猫なのか植物なのかわからない生物もいますが)チワワにも同じことが言えます。

こんなこと言葉にするのもおかしいのですが、チワワはゴールデンレトリバーではありませんし、チワワの一部分がゴールデンレトリバーであるということもありません。(交配の話はしていないですよ)しかしながら、どちらも犬という属性を持っています。

チワワはゴールデンレトリバーではないのにも関わらず、僕らがどちらも犬だと認識できる理由こそが「抽象化」なのです。

上の例で言えば、ゴールデンレトリバーやチワワという属性で認識していた対象をそれらを取り囲むより大きな属性(犬)で対象を再認識することを「抽象化」と言います。

現代社会で、人を食べることはもちろんタブーですがそれよりも大きな枠組みの「動物」にまで視野を広げたヴィーガニズムの人たちの考えの一部分「抽象化」によるものだと考えられます。

自己啓発の権威である苫米地英人氏は三菱地所で、人工衛星を大量に打ち上げ周回軌道を独占する権利を売るという提案をしていましたが、これも「土地」の抽象化をあげて「空間」だと認識したからこそ生まれたものだと言えます。

このように抽象化をすると、大きな視点から物事を語ることができるため世間が生んだ常識から離れたようなイノベーティブな発想ができることがあります。

であるからには、ビジネスやアートにおいて抽象化というのは歓迎されているものなのですが、これを行うためには認識しているものの抽象度を確認する必要があります。友達に待ち合わせ場所を伝える時に「建物」と言ってしまうと相手が困ってしまいます。抽象度が確認できないことにはなぜ相手がそのような返答に困ってしまうかがわからないのです。

そのため、抽象化を上手に行うためにも具体化を考える必要もあります。

長い前置きはこれで終わりです。(笑)

で、僕は大学祭の打ち上げメンバーの二人とコンビニでお酒を買って2次会を開きました。僕らはどうせならいいお酒を飲みたいなということで180mlで1500円くらいのジャパニーズウイスキーと比較用の300円くらいのウイスキーと、ハイボールを作るための炭酸水やそれに合いそうなつまみも買いました。

ちょっと高くてもそれほど味なんて変わらないだろうとたかをくくっていたました。(実際、300円の方で作ったハイボールをうまいうまい言ってましたし)

しかし、1500円のものを飲んだ時本当にびっくりしました。

ふっと甘い香りが漂ってきて、喉にスーッと通っていくのです。レモンを入れたわけでもないのに柑橘系のようなそんな爽やかさが胸いっぱいに染み渡っていくのです。

300円のやつは飲みやすいとかではなく、単に個性がないだけだったのかと僕らはその違いに大層驚いて口々にうまいうまいと言っていました。

しかし、驚いたのはそれだけではなかったのです。

珍しいなと思って買っておいたビターチョコと燻製アーモンドのお菓子。これが、そのハイボールにぴったりと合うのです。もちろん300円の方にも合うのですが、合うの度合いがそれとは全く違うレベルでぴったりとはまるのです。

「お酒の香りの延長線にこのチョコレートの風味がある。」という僕の意見は安酒でも美味しく飲めてしまうバカ舌3人組にも納得してもらえましたし、みんながみんな舌の上で起きた現象を全く同じことのように理解していたのです。

これこそがウイスキーのこだわりだったのです。このウイスキーは他のものとは違うものであるために強いこだわりを身につけて、世に広まったのです。するとどうでしょうか、ウイスキーにはナッツ類が会うよね。といった一般論を超えた調和が眼前に生まれ、僕たちは心動かされました。

こんなにも特定の何かが特定の何かと綺麗に結びつくことは、後にも先にもそうないだろうと思いました。

抽象的な言葉は基本曖昧とした雰囲気を持っているためにあまり会話の際に好まれなかったりします。友人の恋愛相談受ける際に生命というものについての話をしているとそりゃもちろんやべえやつなのです。誰かの悩みを解決するものは宇宙ではないのと同じですね。

しかし、僕たちはそれ以上に「今話していること」が「どれくらい具体的であるのか?」という質問に答えることはほとんどできていないし、そのようなことなど微塵も考えていないという人の方が多いでしょう。

ドイツのモダニズム建築家ミース・ファンデル・ローエが「神は細部に宿る」という素晴らしい言葉を世に発明し、確かにその力強さは多くの人がある経験として記憶の中にとどめていることでしょう。

ジャズミュージシャンではなく、マイルスデイビスでいることを望んだジャズの帝王は細かいことまで突き詰めることによってマイルスデイビスという音楽になりました。

具体的であるということの強さ、自分が人間であること以上に自分であることの大切さ。1200円ぽっちのウイスキーがそれを僕たちに教えてくれた何気ない日常の学びでしたとさ。


本買ったり、コーヒー飲んだりに使います。 あとワイシャツ買ったり