見出し画像

『私を離さないで』/イシグロ カズオ (英単語一つで人生の本質が学べる! 89)


Today's English

possible 「可能な」

never 「決して〜ない」(強固な否定)

let me go 「直訳:私を行かせて」(let, have, makeは使役動詞とも呼ばれ、よくSVOCの5文型を取り、「〜させる」と訳す。受験必須の動詞である。)

画像2

Introduction

こんにちは、ばっつです。今回は、長崎県出身の日系イギリス人小説家であるカズオイシグロの"Never Let Me Go”(『私を離さないで』)について読書感想文のような形で紹介したいと思う。去年の秋冬にかけて8割ほど読んでいたのだが、仕事に追われ読了することができなかった。しかし、最近無理矢理に時間を作って読み終えたのである。そもそも読み初めは大学入試の推薦が始まる頃で、とある大学の学科に所属する教授がカズオイシグロを専門していたため、気になって本作を手にしてみたのである。カズオイシグロは元々日本国籍を持つ日本人であったが、幼少期に渡英したため母語は英語であると言って良いだろう。実際、英語が離されていない家庭で育ったという記述もあるため確信は持てないが、彼が書く小説は英語で書かれている。

我々が目にする彼の日本語の小説は、彼のオリジナルの文調ではなく、訳者が翻訳したものなのだ。

ちなみに、本作はTBSでドラマ化されているようだ。知らなかった,,,。

スクリーンショット 2021-04-29 11.54.04

また、しっかりハリウッド映画化もされている。


さて、今回『私を離さないで』を読んで思ったことを簡単につらつらと綴っていきたいと思う。

※本記事は、多大なるネタバレを含んでおります。


Content


01. ヘールシャム

ヘールシャムという言葉は、この小説の中で重要な役割を持っている。語り手であるキャシー・H をはじめとする人間のクローンは、16歳までの期間にある施設で過ごす。その施設が、ヘールシャムと呼ばれるものなのだ。この施設では、「生徒」と呼ばれるクローン人間が、「保護者」と呼ばれる人間の指導のもとで教育を「受けている。「生徒」はさまざまな芸術作品を造らされるわけだが、その目的は「臓器提供」のためにある。キャシーらクローンは、小さな箱庭のなかで、臓器提供のために生かされていたのである。

02. ポッシブル

そして、クローン人間のオリジナル、つまり「人間」であり彼らの「親」のことを「ポッシブル(possible)」と呼ぶ。キャシーらは元々このポッシブルについて少しばかりの知識を得ていたのだが、話題に上がるのは稀であった。何かしら扱いにくく繊細な話題であると察知しており、「保護者」に直接聞くということはしなかったのである。もちろん興味を惹かれる題材であったため探究をする場面はあった。

03. 人間とクローンの違い

さて、現代社会の際どい問題とも言える、「人間とクローンの違い」について述べたい。作中では両者にほとんど差異はない。互いに感情を持ち、感情に突き動かされ、芸術を楽しみ、死に恐怖を抱く。果たして違いはなんなのだろうか。

一見すると差異なんて見つからないかもしれないが、この『私を離さないで』では明確な違いが記されている。

それは、子宮の有無である。クローンの中では男女ともに存在するのだが、圧倒的に光を照らされているのは女性のキャシーであり、その点、人間の女性とクローンの女性が度々比較されている。そこで、絶対的に異なるのは子宮の有無であり、ポッシブルを初めとする外界の人間は、性行為によって人間を授かるが、クローンらは子宮を剥奪されているため子どもを授かることはできず、体の構造的に出産は不可能なのである。

ここに差異を産み出したイシグロはどのようなメッセージを含んでいるのであろうか。

おそらく人間は大きな視点で捉えれば、地球の全てと繋がっている。大地の作物や動物が人間に栄養を与え、将来的に人間は土へと還り動植物の養分となる。その過程には、子孫の繁栄も含まれており、人間という一つの媒体が地球の「生態系」というものを上手く回しているのであろう。現代社会はそうではないのかもしれないが。

反対に、科学技術で生まれたクローンは、それっきりなのである。産まれたのだが、次に繋げることができない。地球と完全に乖離された存在なのである。人間は次の世代に繋げることができるが、クローンの子孫繁栄は断絶されており決して不可能になっているのだ。

我々は、「人間とクローン」の差異となった時に、ついつい個人に焦点を当ててしまいがちである。おそらく個人として見る場合は、差異なんてないようなものだろう。上述のように両者には感情があり、我々が持つような様々な欲求がある。しかし、視野を広げ、大きな視点で見た場合には、確固たる違いが見えてくる。

04. 社会批判

本作には、社会批判となる場面が少なくない。イシグロカズオが生活を通して感じた社会に対する不平不満も取り入れられているのである。

一見すると、やはり「クローン人間が育成されているという設定」は現実からかけ離れた虚構のように捉えることができる。一部の大人たちによって、目には直接見えにくいかたちで、都合良く管理され、思想を強制され、登場人物たちはクローンとしての人生を歩まされる。

しかし、クローン人間といえども物語で語られていたのは、人間関係のもつれや、人間関係の中で手に入れる学びなど、我々人間と何一つ変わらないようなことであった。

そうであるならば、上記のように現実と虚構に明確な境界線を引くのではなく、クローン人間の世界を我々の社会と関連付けることで、科学技術によって人間の道徳性(morality)や倫理観(ethics)、人間性(humanity)が虐げられているようにも捉えることができるのである。

I T技術の発達で利便性が確保されつつあるが、その裏では何か失われているかもしれない。我々は普段何気なく生きているが、目には見えない形で考え方を強制されたり、物事を考えないように仕向けられていたり、ある考えを植え付けられていたりしている場合もある。今日の急進的な科学技術の発達と、文学者が述べる想像力の欠如を踏まえると、それを節々と感じるのである。

以上、『私を離さないで』を読んで、感じたことである。本はやはり良い。


Addition 

本作の設定を知った時に、若者がまず思い起こすのは『約束のネバーランド』という日本の漫画であろう。

スクリーンショット 2021-04-29 11.49.01

この漫画はの設定は、『私を離さないで』と似たようなもので面白い。両者をまだ読んでいない人は、ぜひ読んでほしい。


Review

possible 「可能な」

never 「決して〜ない」(強固な否定)

let me go 「直訳:私を行かせて」(let, have, makeは使役動詞とも呼ばれ、よくSVOCの5文型を取り、「〜させる」と訳す。受験必須の動詞である。)

画像4

See you!

感想付きでシェアしてくれると感激です、、、。議論が好きなので、お話ししましょう!!