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【宿題帳(自習用)】狙ったものよりもその横にもっと面白い発見がある


micalieさん撮影

Oxford English Dictionaryにおいては、"serendipity”は次のようである。

[f. Serendip, a former name for Ceylon]

A word coined by Horace Walpole, who says (Let. to Mann, of Jan 1754) that he had formed it upon the title of the fairy-tale 'The Three Princes of Serendip', the heroes of which 'were always making discoveries, by accidents and sagacity, of things they were not in quest of'.]

The faculty of making happy and unexpected discoveries by accident

...1880 E. SOLLY Index Titles of Honour Pref. 5 The inquirer was at fault and it was not until some weeks later, when by the aid of Serendipity, as Horace Walpole called it --that is, by looking for one thing and finding another-- that the explanation was accidentally found.

「予期せぬ掘り出し物」「掘り出し物上手」「偶然の発見」等というような意味である。

「狙ったものよりも、その横にもっと面白い発見がある」と考えるといい。

松本清張は、「黒い手帖」の中で、デビュー作の「西郷札」を書いたのは、「百科事典を偶然に開いたとき、同名の項目が目に触れたからである。

自分の読みたい個所の対ページに「さいごうさつ」というのが見えたので、何気なく読むと・・・・・・」と書いている。

「随筆 黒い手帖」(中公文庫)松本清張(著)

発見という言葉を、いきなり宇宙のどこかに恒星を発見するようなものだと考えてはいけない。

今まで分かっていたのに気がつかないことが明示化されることであり、これまでの結びつきではない、別の結びつきを見つけることである。

セレンディピティというものが成立するのは、何かを求めている人が、ある事柄をずっと探しているからで、元々は、そこにあったかもしれないものなのだが、意識することによって、前景化(foregrounding)して見えてくる、ということなのだ。

何かを意識して散歩すれば、町の様子が違って見えるようなものである。

【参考記事】

高橋英夫の「今日も、本さがし」(新潮社)には、ドイツの文芸学者クルティウスの話が紹介されている。

「今日も、本さがし」高橋英夫(著)

クルティウスは当時、入手困難とされたワイマール版のゲーテ日記を探していたという。

ある日、ソーセージを買って、包み紙を見ると、それが何と探し続けていたゲーテ日記の一枚であったばかりか、求めていたまさにその部分だったという。

この経験からクルティウスは、「精神がひじょうに緊張しているときには、そのための努力をしなくても、求めるものが与えられる」と書いているという。

セレンディピティというのは、偶然を必然に変える能力である。

「人として生れたる偶然を思ひをり青竹そよぎゐる碧き空」
(志垣澄幸『日月集』より)

「どの人も左巻きして傘を巻く北半球のタクシー乗り場」
(谷口基『春愁の塊』より)

夢眠ねむ「おやすみ世界きゅん。」
「偶然の中に転がる永遠を いっしょにみつけてくれたのはきみ」
((作詞:tofubeats)より)

セレンディピティが起こる原因は明らかで、同じ記号でも意味を感じなかったのに、意識のアンテナを張ったことで、意味を持ち始めるということである。

クルマに全く興味がなかった人が、購入することになって、クルマ全体に興味が拡がり、買ってみると、同じ車種があちこちにあることが分かる、なんてことがある。

こんなに売れているのか!なんてことが買って初めて分かるのだ。

神秘的な説明をすれば、ユングのシンクロニシティ(同時性=偶然の一致)というものがある。

「ユングと共時性」(ユング心理学選書)イラ プロゴフ(著)河合隼雄/河合幹雄(訳)

最も有名な話は、女性の患者が夢で黄金のスカラベ(コガネムシ)をもらったと告白した途端、カウンセリングしていた部屋に、まさしくコガネムシが飛来して、窓にぶつかったというものだ。

夢と部屋とは、何らの関係を持っていない。

しかし、患者がユングに懸命に語ろうとしたこと、ユングが患者を熱意をもって理解しようとしたこととが共鳴しあい、偶然の一致を生んだと考えられる。

この原因をユングは、人間の意識の元型に求めた。

ローマ帝国時代に、時を隔てて、よく似たルチウスという皇帝(スラとアウレリアヌスという名前)がいた。

ともに5年間の在位、片や人々の復興者、いま一方は、世界の復興者と共に崇められ、内戦の後の即位、さらに彼らの後3人目の皇帝の始末もそっくりで、約350年を隔てて、ローマ復興を成し遂げた。

歴史の繰り返しは、小説の間でもみられる。

タイタニックの悲劇を小説で先に書いていた作家がいたし、ヒトラーが魅せられていたワグナーのオペラ「リエンツィ」のストーリーは、後のヒトラーの終生をなぞったものだった。

ワーグナー:歌劇「リエンツィ」

南方熊楠は、「やりあて」という言葉を使った。

これは、「意図通り」に、偶然が重なって物事が、上手く展開して行くということで、セレンディピティの対語にあたる。

熊楠は、地球の西半球と東半球のそれぞれの特徴的な二種の粘菌を、同時に、近い場所で発見した時に使った。

明治三十六年七月十八日、土宜法竜(子分 法竜米虫殿)宛書簡から、「南方曼陀羅」に関する部分を抜粋する。

「ここに一言す。

不思議ということあり。

事不思議あり。

物不思議あり。

心不思議あり。

理不思議あり。

大日如来の大不思議あり。

予は、今日の科学は物不思議をばあらかた片づけ、その順序だけざっと立てならべ得たることと思う。

(人は理由とか原理とかいう。

しかし実際は原理にあらず。

不思議を解剖して現象《げんしょう》団とせしまでなり。

このこと、前書にいえり、故に省く。)

心不思議は、心理学というものあれど、これは脳とか諸感覚とかを離れずに研究中ゆえ、物不思議をはなれず。

したがって、心ばかりの不思議の学というもの今はなし、またはいまだなし。

(中略)

現に今の人にもtactというがあり。

何と訳してよいか知れぬが、予は久しく顕微鏡標品を作りおるに、同じ薬品、知れきったものを、一人がいろいろとこまかく斗《はか》りて調合して、よき薬品のみ用うるもたちまち欺れる。

予は乱妨にて大酒などして、むちゃに調合し、その薬品の中に何が入ったか知れず、また垢だらけの手でいろうなど、まるでむちゃなり。

しかれども、久しくやっておるゆえにや、予の作りし標品は敗れず。

この「久しくやっておるゆえ」という語は、まことに無意味の語にて、久しくなにか気をつけて改良に改良を加え、前度は失敗せし廉《かど》を心得おき、用心して避けて後に事業がすすむなら、「久しくやったゆえ」という意はあり。

ここに余のいうは然らず。

何の気もなく、久しくやっておると、むちゃはむちゃながら事がすすむなり。

これすなわち本論の主意なる、宇宙のことは、よき理にさえつかまえ中《あた》れぱ、知らぬながら、うまく行くようになっておるというところなり。

故にこのtact(何と訳してよいか知らず。)。

石きりやが長く仕事するときは、話しながら臼の目を正しく実用あるようにきるごとし。

コンパスで斗り、筋ひいてきったりとて実用に立たぬものできる。

熟練と訳せる人あり。

しかし、それでは多年ついやせし、またはなはだ精力を労せし意に聞こゆ。

実は「やりあて」(やりあてるの名詞とでも言ってよい)ということは、口筆にて伝えようにも、自分もそのことを知らぬゆえ(気がつかぬ)、何とも伝うることならぬなり。

されども、伝うることならぬから、そのことなしとも、そのことの用なしともいいがたし。

現に化学などに、硫黄と錫と合し、窒素と水素と合して、硫黄にも正反し錫にも正しく異なり、また窒素とも水素ともまるで異なる性質のもの出ること多い。窒素は無害なり、炭素は大営養品なり。

しかるに、その化合物たる青素《シアン》は人をころす。

酸素は火を熾《さか》んにし、水素は火にあえぱ強熱を発して燃える。

しかるに、この二者を合してできる水は、火とははなはだ中《なか》悪きごとく、またタピオカという大滋養品は病人にはなはだよきものなるに、これを産出する植物の生《なま》の汁は人を殺す毒あるごとし。

故に一度そのことを発見して後でこそ、数量が役に立つ(実は同じことをくりかえすに、前の試験と少しもたがわぬために)。

が、発見ということは、予期よりもやりあての方が多いなり(やりあて多くを一切概括して運という)。」

ちなみに“serendipity”の反対は“japanity”といわれ、他人のやったことについていくことという意味があるのだが、未だに、辞書に載っていない様である。

なお、ヘンツェのオペラ「鹿の王」は、

https://www.ec.kagawa-u.ac.jp/~mogami/king-stag.html

「セレンディップの三王子」を基にしている。

【参考記事】
「セレンディッポの三人の王子の旅」

https://www.ec.kagawa-u.ac.jp/~mogami/serendippo.html

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