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【覚え書き】心象と事象

《白馬の森》1972(昭和47)年制作・東山魁夷

ここで、みなさんにひとつ質問をしたいと思います。

雪が溶けると、何になるでしょうか?

多くの人は、水?とか春?とかを想像したのではないでしょうか?

もちろん、どちらも正解です。

ただ、この問いには大きな意味があります。

雪が溶けると水になる。

これは事象と呼ばれるものです。

事実ベースで論理的な考え方の方が、こう答えられることが多いそうです。

では、雪が溶けると春になる。

これは心象と呼ばれるものです。

繊細な方や想像力豊かな方が、こう答えられることが多いそうです。

人間は、理性(社会性)と本能(気持ち)で日々、人と接しています。

時には、論理的な説明や行動も必要ですが、気持ちを優先した言動も必要ですよね。

よい人間関係を育むには、心象と事象、両方が必要です。

同じ言葉を発するにも。

同じ行動をするにしても。

論理的ではあるが、相手の気持ちを尊重した言動・判断をしていくことが大切だと思います。

また、考えるという行動は、肥しに自分で水をまくことと同じです。

そして、自分の中に、リアルタイムで知りつつあるもの(形式知)と。

それを、遅れて知りつつあるもの(暗黙知)との偏差として考えてみると。

言葉は、無限に湧出するのではないかと思われます。

・形式知
言語化されているか?:言語化されていいる。
何に基づくのか?:情報やデータといった客観的なものに基づく。
伝えやすさ:言語化されているため、伝えやすい。

・暗黙知
言語化されているか?:言語化されていない。
何に基づくのか?:経験や勘といった主観的なものに基づく。
伝えやすさ:言語化されておらず、見て覚える・感じるもののため、伝えにくい。

【参考資料】
「SECIモデル」とは、知識創造のための継続的なプロセスモデルのこと。

ナレッジマネジメントの基礎的な理論として、知られています。



様々な物事の捉え方がパラダイムシフトする今。

考える座標軸を得たいがために立ち止まって、考えることを試みるけど、日々の生活に流されることも多いのではないでしょうか?

次から次へと提供される新たな「何か?」に駆り立てられているのかなという気もします。

もしかしたら、そこに、何か物足りなさ?を、うっすらと感じているのかもしれません。

だから、時には、立ち止まってみることも必要だと思っています。

ひとしきり立ち止まった後は、今自分が持ってるものに感謝して、のんびりと生きてみる。

例えば、時間をかけることで豊かになるものも多いですよね。

読むことに、書くことに、時間をかけることも、また、その作品を味わうことなのだと思います。

それは、人との関係でも同じですね(^^)

色んなコンテンツの流れ(フロー)は、ネット技術の大きな成果です。

また、ネットは貯める(ストック)という優れた能力も持ち合わせていますよね。

日々発生する膨大なコンテンツを目の前にして、凪の様な場所を作ることも大切ではないかと感じます。

長田弘さんも「読書からはじまる」中で、次の様に語っておられました。

「読書からはじまる」(ちくま文庫)長田弘(著)

「自分のもっている時間というものは、自由になる時間というのではないのです。自由に何かをする、何かができる時間というのではないのです。そうではなくて、自分のもっている時間の井戸から、記憶の水を汲みあげるための時間が、一人の「私」という空のバケツを満たす、充実の時間であるだろうというふうに思うのです。」(同上116ページ)

自分ひとりの記憶はたかが知れています。

すぐに空になってしまうバケツをたゆまず満たしていく行為、それが読書なのかなと、そう感じます。

また、言葉のゆたかさというのは、たくさんの言いまわしをあれこれ揃えることではないのでしょうねぇ。

美辞麗句は、言葉のゆたかさを意味しないのではないかと感じます。

そうではなく、むしろ限られた言葉に、どれだけ自分をゆたかに込められるかが、言葉にとっては重要なのでしょうね。

言葉のなかに生まれるというのは、「初めに言があった」という、新約聖書の「ヨハネによる福音書」の冒頭の有名な一行を引いて言えば、人間より先に言葉がある、ということです。

人間が言葉をつくるのではありません。

言葉のなかに生まれて、言葉のなかに育ってゆくのが人間です。

例えば。

自分自身が、その人の一部のような。

自分自身の一部も、その人の中にあるような。

もう、距離感など考える必要などない存在に気づいた時。

自分の中から、その時々で必要な言葉が、自然に満ちてくるのではないかと思います。

だから、言葉の貧しさのために、言葉が引かないように、できるだけ言葉の豊かさに注意して行きたいですね(^^;

心の空(海)に、少しづつ大切な言葉を放して育てていく。

そうでないと、わたしたちは自分たちの心や頭を、自分たちが信じてもいない言葉のがらくたで一杯にしてしまいかねないからです。

自分が選びとった言葉のなかに、じつは選びとられるのが自分なのではないでしょうか?

言葉を覚えるというのは、この世で自分は一人ではないと知るということです。

言葉というのはつながりだから。

自分にとってもっとも必要な言葉は、「言葉」だけを漁っても、たぶん見つけられないんだろうなと思います。

見つけなければならないのは、「必要」です。

その言葉によって、自分で自分を確かめ、大切なものを確かにしてゆく言葉。

経験を言い表すことができる。

あるいはとどめることができるのが言葉ですが。

言葉にするというのは、問いに対して、正しい答えを出すということとは違い。

正しい答えをこしらえることではなくて。

自分について自分で、よい問いをつくるということです。

正しく問いを受けとめないで、正しい答えを探すから、わたしたちは過つのでしょうね(^^;

だから、それを知るための行為のひとつとして、全ては読書からはじまるのだと思います。

本を読むことが、読書なのではなくて、自分の心のなかに、失いたくない言葉の蓄え場所をつくりだすのが、読書なのかもしれませんね(^^)

自分の心を、どの様な状態に保っていきたいかは、人それぞれで良いと思います。

まずは言葉から。

そして、読書からはじめてみませんか?

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