見出し画像

【迷文】短歌の文字数も端数処理してみたら・・・

富久浩二さん撮影

「五七五七七」を四捨五入すると「十十十十十」。

50文字:
暮れ行く春の湊(※1)
を知らねども人間
やるため生きるのなら
転がらねば次へと
いけない仕組を問う

(黒田明臣さん撮影)

※1:
デジタル大辞泉 「春の湊」の意味・読み・例文・類語
はる‐の‐みなと【春の×湊】
春の行きつくところ。春の果て。はるのとまり。
「暮れて行く―は知らねども霞に落つる宇治の柴舟しばぶね」〈新古今和歌集・春下〉は、過ぎ去ってゆく春の行方を宇治川を下る柴を積んだ舟の泊まる湊にたとえ、惜春の想いを詠んだ寂蓮の一首。
そして、春の余韻を情感豊かに表現された一首です。
この一首は、紀貫之の次の歌が本歌となっています。
年ごとにもみぢ葉流す竜田川 湊や秋のとまりなるらむ(古今和歌集・秋下)
秋の季節の終着点を紅葉の名所である竜田川の湊に見立てた貫之の歌を踏襲。
寂蓮は、川に霧が立つ風情が詠まれてきた宇治川の湊を春の終着点に見立てました。
理知的な貫之の本歌に対して寂蓮の一首は、新古今時代らしい繊細で感受性豊かな歌風によって絵画的に表現しました。
宇治川を下る柴舟が立ち込めた霞の中に落ちるように見えなくなる。
その終着点の湊をみることができない景色を想像させます。
また、この一首は、『源氏物語』の「宇治十帖」における宇治川を巡る物語も連想させてくれます。

「五七五七七」をスウェディッシュ・ラウンディング(※2)すると「五五五五五」。

※2:
「スウェディッシュ・ラウンディング」とは、1の位が「1」「2」の場合は「0」とし、「3」「4」「6」「7」の場合は「5」、「8」「9」の場合は「10」とする数え方。
つまり、1セントがないため、端数をなくし、「0」か「5」にしてしまおうというやり方である。

25文字:
人はみな
帰るべき
刻ありて
青淵(※3)へ
辿りつく

(蒼乃さん撮影)

※3:
青淵(せいえん)。心が落ち着きを持ち、静かに凪いでいる様子、または、青い青を守る湖の淵。

【おまけ】
渋沢栄一の雅号「青淵」と、生家の家業「藍」にちなみ青色に仕上げたカクテルのタイトルは「雨過天青(うかてんせい)」。

「天青」は、よく晴れた青空のような明るい水色ですが完全に澄んだ色というのではなくすこしだけ曇りの気配が感じられる色合いです。
「天青」は青磁の青をあらわす言葉でもありかつての中国皇帝は雨上がりの澄み切った天空の色になぞらえて「雨過天青」と言い表しました。

(「8月のいろ|暦生活」より)

デジタル大辞泉 「雨過天晴」の意味・読み・例文・類語
うか‐てんせい〔ウクワ‐〕【雨過天晴】
《雨がやみ、空が晴れわたる意から》悪かった状況や状態が、よいほうに向かうことのたとえ。
[補説]「雨過天青」とも書く。

「五七五七七」を五捨五超入すると「零十零十十」。

「五七五七七」を五捨六入すると「零十零十十」。

30文字:
時より降りし慈雨が
心柔らかく変え
下載清風(※4)吹く

(浅岡省一さん撮影)

※4:
下載清風(あさいのせいふう)。
これまで心に溜め込んだ荷を下ろすことができれば、心に清らかな風が吹いてくるという意味。

【関連記事】
【迷文】俳句の文字数を端数処理してみたら・・・
https://note.com/bax36410/n/n5480f8bd2422

【参考資料】

【参考図書】
「踏切時間(2)」里好(著)

(第12話 踏切のポエト②より)
「私は踏切のポエト」
「踏切の俳人なり」
「来た!」
「踏切やああ踏切や踏切や」
「まあ何か考えてるワケじゃないけどね」
「中七じゃないけど四捨五入すれば五七五」
「いや四捨五入しちゃったら十十十か・・・」
「くりあがるもんな」
「あれ十十十ってかっこよくね?」
「トリプルクロス・・・」
「いやトライクロス俳句!」
「中二的なかっこよさあるじゃん」
「やべトライクロス俳句流行らせたら私弟子とれるわ!」
「来た!」
「我は邪眼の持ち手ベルゼバブの使徒なりひれふせ人間ども」
「知性が足りねえ!」
「四捨五入のあたりから一貫して足りねえよ・・・」
「トライクロスのせいで中二のころの私がコンニチワしてるし」
「これはバカにしか作れぬ俳句だぞ人間どもよ・・・」
「封印せねば」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?