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【メモランダム】《自由》

《自由》についてのメモランダムです。

『自由』であることは、厳密に考えると、悲劇的です。

自分で自分を律して。

つまり、自分で自分の「自由」の負担をきちんと処理して。

どんな場合にも倒れないで立派に立っていられるようにせよということは。

ひょっとすると、人間に神になれと要求していることにも近いと考えられるからです。

「遊び心が必要だ」といわれています。

但し、本当に遊ぶため、人間が自己の幸せを追求するためには、三つの自由が要ります。

第一は、経済からの自由。

第二は、未来からの自由。

そして、第三は、世間からの自由。

この三つの自由を持たなければいけません。

この三つの自由で日本人にとって一番むずかしいのは、たぶん、世間からの自由です。

どうしても世間体を気にしてしまうからです。

変化は、自由な人間だからできるんですよね。

昔と言うことが違うと首をかしげる人がいるのですが、当たり前なんですよね。

進歩するから、人間なんだと思います。

変化する自由があるかどうか、が一番重要なんですよね。

自由であるのは簡単なのですが、責任が伴うから難しくなる。

自由に責任が伴うから社会がなり立つ。

どの立場でも、この自覚なしに仕事はできません。

私も責任なき自由というものを味わいたいなぁ~なんて思うことが多々ありますねぇ( 一一)

言いたい放題言い、後は知らんとね(^^)

「奴隷は、その鎖を愛する。」

おそらくローマ時代の諺だろうと思いますが、心理学の立場に立てば、その奴隷の心理は健全ですね。

足にはめられている鎖と何度となく戦い。

あるときは、壊そうとし。

あるときは、腐らそうとしたが。

ことごとく失敗したにちがいありません(^^;

その結果、離れない鎖を嫌っていても。

ノイローゼとなって自分自身が破滅するだけだ、と知った時点で。

その奴隷は、鎖を愛そうと努めたのではないでしょうか?

そんな仕事が多い様に感じます。

ビジネスマンにとっての「鎖」は、例えば、仕事であり、家族であり、出身地や出身学校であり。

また、自分の能力や性格であり、上司であり、会社でもあります。

結局、先の諺は、「サラリーマンは、その鎖を愛することによって、仕事の喜びを見出すことができる。」と言い換えられるかもしれません。

高齢化社会を生きる方の中には、年を取るとからだは衰え、ほうぼうが悪くなって、ろくなことはないと思いがちかもしれません。

でも、ただ一ついいと思うのは、どんな制約もなくなることですかね。

出勤や仕事の義務もない。

何をするのも自由で、この無制限の自由があるために、老年は老年で楽しいものになる。

好きなように生き、気のすすまぬことは一切しないでいい。

これは、人生の晩年になってやっと与えられる恩寵だと思います。

古代ギリシャ・ローマにおいて奴隷であるか否かの指標は、貧富の差とか生活・労働の難易度の差にあったのではありません。

一般市民よりは、経済的に裕福な、家・財産・妻子つきの、奴隷身分の学者とか医者が存在しました。

奴隷と一般市民との違いは、奴隷主の意のままになるか否か、自ら意志し、行動しうる自由があるか否かということです。

国際ビジネスマンとしてニューヨーク・ロンドン・パリと世界中を飛び回って活躍していても、「時間」に追われるばかりで、自らコントロールし、自ら使いうる自由な時間がなければ、現代の奴隷だと、つくづくそう思います。

そして、あれも読まねば、これも聴かねばと、ネットニュース・新聞・テレビ・雑誌・書物などの提供する大量の情報に振り回されるばかりであるとすれば、これまた現代の奴隷ですよね。

自ら頭と手足を使い、自ら五感を働かせて、現代の生きた情報を自分でつかみ取ることこそが、真に自由の名に値するからです。

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