【メモ(memo)】自分探し
「自分探し」という言葉自体は、メジャーなワードではあるものの、そもそもそれは、一体どういう事を指している言葉なのでしょうか?
私は、何ものだろう?
私は、これからどこへ行くんだろう?
何をしていこうか。
何をしたいんだろう?
こんな風に考えている方も、多いことと思います。
また、「自分探しはしてはいけない!」という意見もある中で、それをやる意味や価値は、どこにあるのでしょうか?
無駄や失敗や非効率という人間らしさを包み込んだ自己実現。
そこへと至ることができるのは、人間だけです。
自己実現が完全な人間性の発揮であるということも踏まえて考えてみます。
非構造化された世界を楽しむこと。
それが、真の人間性を活かす道のりであり、自分探しをする事の本当の意義なのではないでしょうか。
その探し物は、見つかるとも言います。
私は、ここであえて作っていったら良いと考えています。
つまり、すでにあるものを見つける、見つけよう、というのもひとつだけれど、すぐ見つからないなら、あるものを使って作っていったらいい。
”Stop searching, start creating”というところでしょうか。
自分が何ものなのか。
これは大きな質問ですね。
自己紹介をするときに、職業や年齢を除いてやるとしたら、なかなか自分がどんな人か、と言える人は少ないかも。
職業や社会的役割は、確かに自分を定義するものの一部。
また、自分がどんな人か考えるとき、もちろん、自分自身を構成する価値観や考え方・ものの見方や哲学などもあります。
でも、自分をどう定義するか、やりかたはいくらでもあり、通り一遍等ではいきません。
また、時間とともに私たちが進化すれば、定義も変わるし、その中身も変わってしまうことだってあります。
外側のことは、必ず時間とともに変わります。
自分自身は、結局は、探すよりも、作っていくもの、自分で形成していくもの、と考えたら、それで気分は楽になります。
そうしたら、今この時間に何を考え、どんな行動をとり、という積み重ねにできるから、どうにでも形を作っていくことが可能になります。
どこに行くのか、やりたいことがみつからない、わからない中にいるのは、確かに楽ではないのですが、それはそれ。
逆の発想をして、わからないからこそ、可能性も広がり、オプションもたくさんあるんだと思ってみたらいいではありませんか。
やりたいことが最初からわかっていて、その道一直線の人のほうが、少ないはずです。
多くの人が迷いながら、寄り道をしてたどり着くもの。
一直線の人でさえ、ときに悩み、迷い、しています。
逆に、迷ったり、壁にぶつかるのが当然なのかもしれません。
それが糧となるから、実は幸せなことなのかも。
いずれにしても、悲観していたって始まらないし、かと言って、あきらめるのも、本来のやりたいこと(やりたいことを見つけたい、やりたいことでがんばりたい)とはかけ離れてしまいます。
最初から、完璧な道を求めなくてもいいのです。
あるものから始めたら、道々、必要なものは出てくるはずです。
必要なものを必要なときに拾えるように、気持ちをキープしてアンテナを張っているほうが、きっと運も開けます。
自分探しの旅、もし行き詰ったら大げさに考えないこと。
すべては、今やっていることがつながった先に、見えてくると信じていてください。
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