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【レポート】互いに矛盾する考え方は有りか?

自己評価:範囲が広すぎるためレポートにふさわしくないテーマ

人間は、矛盾を抱えて生きています。

存在そのものが、本質的に矛盾を有している生き物ともいえます。

例えば、人の「性格」がそうです。

私たちは、矛盾する「心の機能」を使い分けながら、仕事をしたりプラベートの時間を過ごしています。

世界三大心理学者のひとりC・G・ユングが唱えた「性格タイプ論」では、人間の性格を「二律背反構造」でとらえています。

「二律背反」とは、「相互に矛盾するふたつの要素が、矛盾しているからこそ、成立すること」です。

例えば、「朝と夜」が「二律背反」の関係です。

もし、地球上に太陽の光がなく、「闇夜」がずっと続いていたら、私たちは「朝」という概念を知りません。

反対に、24時間365日、太陽の照り続ける地球だったら「夜」という考えすら思い浮かびません。

「朝」があるから「夜」を知り。

「夜」があるから「朝」を知る。

「朝と夜」は、相矛盾する概念ですが、双方が存在することで、互いに存在を成立させているのです。

これが「二律背反」です。

では、ユングの性格タイプ論で、私たちのよく知る「二律背反構造」の「性格の要素」は、次のものです。

「内向」←→「外向」

「外向」とは、外の世界に関わっていこうとする「心の態度」であり、心のエネルギーの方向性が外に向かうことです。

私たちは、人に話しかけたり、自然にふれあったり、「外界」と関わろうとする「心の働き」をもっています。

ですので、「外向タイプ」の人は、外に出かけるのを好み、人に話しかけ外の世界と関わることで、エネルギーを得ています。

ずっと家にいて、独りでいたら、エネルギーを取り入れられないので、元気がなくなります。

「内向」とは、自分の内面である「心のなか」に関わっていこうとする「心の態度」であり、心のエネルギーの方向性が内に向かうことです。

何かを想像したり、自分の価値観と照らし合わせて判断をしたり、「内界」と関わろうとする「心の働き」を、人はもっています。

ですので、「内向タイプ」の人は、コミュニケーションの手段として、「しゃべる」ことより「書く」ことを好む傾向があります。

なぜなら、書くことのほうが、より内面にコンタクトできるからです。

内面にふれることで「内向タイプ」の人はエネルギーを得ます。

「内向タイプ」の人も、誰かと会うことは好きですが、あまりに大勢の人に囲まれ長時間過ごすと、内面にコンタクトでき難くなり、エネルギーを得られないので、「独りになりたい」という思いがこみあげてきます。

ユング心理学の「性格類型論」では、ある人が「外向タイプ」か「内向タイプ」かは、生まれ持って決まっていると考えます。

「外向タイプ」の人が「内向」の要素を持っていないわけではありません。

「外向タイプ」の人も「内界」にコンタクトしながら「考える」ことがありますね。

よって、「外向タイプ」の人も「内向」の要素をもっています。

反対に、「内向タイプ」の人も、必ず「外向」の要素をもっているわけです。

私たちは、「外向」「内向」という矛盾する性格要素を抱えながら生きていて、現実と上手につきあっていくために、それを必要に応じて、使い分けているのです。

矛盾する要素を抱えているので、「本当の私はどっちなの?」と、わからなくなることがあります。

この相反している「矛盾する私」は、どちらも確かに「私」であり、ふたつの「矛盾する私」が共存していて、互いにからみあって「私」という人間を成立させているのです。

そして、この「矛盾」が力となって「私の個性」「私らしさ」が生まれているのだといえます。

まさに「矛盾は力なり」ですね。

ですので、「外に見せている自分」と「内で見えている自分」が異なるのは、むしろ、普通だといえます。

「どっちが本当の私なんだろう」ではなく「どっちも本当の私」です。

そんな風に、「矛盾している自分」を受け入れていくと、自分のことを認めやすくなります。

その結果として、自己肯定感も高まるでしょう。

これは、「矛盾の恩恵」といえるものです。

「懐かしい未来」という表現があります。

「懐かしい」という言葉は通常、過去を振り返った時に使われますので、「未来」につなげると、意味が矛盾して言葉として成立しないはずです。

懐かしい(過去)←→未来

でも、読んでみておわかりの通り、矛盾しているからこそ、表現が豊かになっています。

これは「オクシモロン(撞着表現)」といわれる言葉の技法です。

「撞着」は「矛盾」と同じ意味です。

あえて矛盾する言葉をくっつけて、表現としてより豊かで強い印象を与えようとする手法が「オクシモロン(撞着表現)」です。

オクシモロンの例としては、「公然の秘密」、「優しい悪魔」、「負けるが勝ち」等があります。

「オクシモロン」は、矛盾させることで、直感的に「あっ面白いな」「なんか不思議」と、文章にアクセントをつけることができます。

これまた、「矛盾の力」ですね。

事故や戦争など、厳しい逆境を生き延びる「サバイバー」を40年以上にわたり研究した人物が、アル・シーバート博士(Al siebert)です。

「サバイバー」は、「レジリエンス」(精神的回復力)が高く、メンタルの強い人だといえます。

「凹まない人の秘密」シーバート,アル(著)林田レジリ浩文(訳)

シーバート博士は、「サバイバー」と呼べる「心の強い人」の特徴として、「矛盾する性格要素」を持ちあわせていることを指摘しています。

例えば、以下のように「矛盾する性格」が、ひとりの人間のなかに共存しているのです。

・真面目でありながらふざけている

・勤勉でありながら怠け者

・繊細でありながら図太い

(同著書p106)

「真面目」と「ふざけている」、「勤勉」と「怠け者」、「繊細」と「図太い」。

これは相矛盾する「二律背反」の関係です。

でも、「サバイバー」たちは、この矛盾する要素を切り捨てることなく、自分のなかに共存させていくことで、「心の力」「メンタルの強さ」を生み出しているわけです。

現代の「経営の神様」と呼ばれる京セラ創業者稲盛和夫氏も、著書「成功への情熱」(PHP研究所)のなかで、こう書いています。

「成功への情熱 (新装版)」稲盛和夫(著)

「ただ単に大胆なだけでは、完璧な仕事はできません。

一方繊細なだけでは、新しいことにチャレンジする勇気は生まれません。

仕事においては、豪快さと緻密さという二律背反するような性格を備え、局面によって使い分けられる人物を必要とします。」

シーバート博士や稲盛氏が言うように、私たちは、自分の抱えている「矛盾」を上手に活かしていくことによって、矛盾するこの世界を力強く生き抜いていけるのです。

多くの人が平和を望むのに、戦争は無くなりません。

食べるのに困る人が億単位の人数でいるのに、世界の富は一部の人間が所有しています。

会社も矛盾だらけです。

社員がイキイキと働ける職場づくりをすべきなのに、売上・利益が優先されて、体を壊すような長時間労働を強いられます。

そうした「矛盾」は、人を苦しめる条件となります。

組織であれば中間管理職、ミドル・リーダーたちは、上司と部下の「板挟み」という「矛盾」を抱えながら、日々、働いています。

ある課長が、部下のことで部長に相談すると、「そんなことは自分ひとりで解決しろ」と言われ、部下からは「課長の意思決定が遅いから、いつも仕事がうまくいかないんですよ」と、突き上げられます。

「板挟み」は、言葉として使い古されいるので、メディアに登場しない言葉になっていますが、そうはいっても現実は変わらずで、中間管理職は、さまざまな利害関係の間で「板挟み」になり「矛盾」を強要される状態にあります。

「板挟み」は、企業人ばかりではありませんね。

学校の先生はどうでしょう。

父兄と生徒。

PTAと校長。

その間に立って、矛盾を抱え、日々、奮闘しています。

常識を知らない「モンスター・ペアレント」の暴れぶりは、一時期、ひどい状態になっていると聞きました。

悩みがゼロという人は確かに存在します。

ですが、それは少数です。

自分のことや他の誰かのことや、お金のことやキャリアのことや、近所の人のことや遠い親戚のことや、いろいろなことで人は悩みを抱えているものです。

そうはいっても、禅問答のような複雑な問題を抱え深く悩むはめになる人、その人数は、やはりさらに絞られ、少なくなるはずです。

だから、思うのです。

矛盾を抱え悩む人は、選ばれた人であり、尊い存在である。

なぜ、尊いのかといえば、悩み苦しむ矛盾の状況を乗り越えようと努力していること自体が、人間にとって何より価値のあることだからです。

苦悩を克服できたら、自分のなかにある、矛盾する性格要素の「統合」に成功することがあります。

例えば、「内向タイプ」の人が問題を抱えるとき、自分のもつ「外向」の面に光をあて、その特性をもっと活かしていくことで問題解決することがあります。

いつも言葉の少ない内向タイプの課長が、チームメンバーから、こう批判されたとします。

「課長って、私たちメンバーとあまり喋らないので、いつも何を考えているのか、よくわからないんです。だから、なんだか信頼できないんですよ!」

そのことを部長に相談したら、「部下たちの言う通りだろ。実は、私も君のこと、よくわからないんだ。自分でなんとかしろ」と、突き放されます。

こんな時、内向タイプの課長は、それまで目を向けてこなかった「外向」の要素を育てあげる時期がきたのです。

もし、真剣にこの問題に取り組んでいけば、性格としての「影」(シャドー)の部分に光があてられ、人格としての「統合」作用が起ます。

「統合」というと、ちょっと言葉がわかりにくいですが、つまり、二つの要素が合わさることで、次のような恩恵がもたらされるのです。

人間として一回り大きく成長する。

人としての器が大きくなる。

人格が発展する。

心理学者ユングは、こう言っています。

「すべての良いものは高くつくが、人格の発展ということは最も高価なものである。」(「ユング心理学入門」(河合隼雄 培風館)p226)

「ユング心理学入門―“心理療法”コレクション〈1〉」(岩波現代文庫)河合隼雄(著)河合俊雄(編)

矛盾を抱え悩む時、人は、運命から「選ばれている」のです。

「この問題をきっかけにして、もっと成長しなさい」と、指名されたのです。

もちろん、それはひとつの解釈に過ぎません。

ただ、「問題は自分を苦しめるために発生する」と考えるより、「この矛盾する問題が発生しているのは、自分の人格を発展させるため」と考えたほうが、メンタルにいい影響を及ぼすことができます。

もちろん後者の考え方が、メンタルの強い人の思考法です。

矛盾を超克した時、人格の大きな発展がある。

だから、矛盾を抱えて生きる人は尊い、といえるのです。

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