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【推し短歌】読書「百鬼夜行」シリーズ編「この世には不思議な事など何もないのだよ、関口君」

今年9月14日に「邪魅の雫」以来、実に17年ぶりとなる長編「鵼の碑」が刊行されましたね(^^)

本シリーズは、全て読破済だったので楽しみにしていました。

「鵼の碑」(講談社ノベルス)京極夏彦(著)

【参考記事】

こ、これは・・・・・・!^^;

単行本版の重さがなんと1.2キロ(@@)

画像は講談社文庫の公式Xより

作家の京極夏彦さんの著作である「姑獲鳥の夏」から続く本の分厚さから鈍器本と呼ばれ、親しまれ続けています。

「文庫版 姑獲鳥の夏」(講談社文庫)京極夏彦(著)
【束幅23mm 重さ288g】

「百鬼夜行」シリーズといえばレンガのような分厚さで知られていますが、それだけの分量を一気読みさせてしまうのが、京極夏彦さんのすごいところですね(^^)

物語の舞台は、戦争の爪痕が未だに残る昭和20年代後半の東京。

次々と巻き起こる事件に、小説家の関口巽、探偵の榎木津礼二郎、刑事の木場修太郎らおなじみの面々が関わって解決していきます。

タイトルは、全て妖怪に由来しており、作中で描かれる人知を超えた事件や異常な犯罪、錯綜した人間関係は、それぞれの妖怪の性質と響き合っている点が面白いと思います。

複雑に絡み合う無数のエピソードを手際よく操りながら、読者を壮大な物語の渦へと引き込んでいく技巧は、まさに現代の言霊使いと呼ぶにふさわしい内容です。

「文庫版 陰摩羅鬼の瑕」(講談社文庫)京極夏彦(著)
【束幅45mm 重さ539g】

「謎とは知らないこと。不思議とは誤った認識」

この後、言わずと知れた以下の決め台詞に続く訳ですが、この台詞を読んで、もの凄く納得してしまった次第です。

「この世には不思議な事など何もないのだよ、関口君」

この台詞で惚れ直してしまいましたね。

京極堂、かっこよすぎです(^^)

「江戸の妖怪事件簿」(集英社新書)田中聡(著)

ここで、ちょっと時代を遡って江戸時代。

かつてのこの国には、津々浦々、町にも村にも、いや野にも山にも水の中にも、妖しきものどもが出没していたそうです(@@)

それを嘲笑する者も、もちろんいたのですが、そのような態度は少数派であったとのこと。

人々は、妖しき話を歓び、また、恐怖した。

そして、現代からみれば滑稽なほど、さまざまな化物譚を熱心に書き残しています。

しかし、こうした文書には、あながち一笑に付すことのできない、今の我われ日本人の心をも騒がせる不思議の魅力が満ち満ちているそうですよ(^^)

本書の眼目は、江戸時代の当時の人々は、幽霊や妖怪と、どう付き合っていたかを考察することにあります。

たとえば、最近の霊的な関心(スピリチュアル・ブーム)と世相(社会的な背景)を考えるのに似ています。

本書の第一章に「江戸時代は、妖怪でいっぱい!」とありますが、紹介される妖怪はそう多くありません。

特に、三大妖怪の類はほとんど出てきません。

「華麗なる妖怪ワールド」とか「妖怪大全」のようなものを期待する読者は、肩透かしを食うことになるかな(^^)

しかし、

「江戸時代には、幽霊の実在は信じないが、狐や狸が化かすことは当然と思う人が少なくなかったらしい」

と、筆者は言い、その裏づけとして、狐つきを奉行所の白洲で裁いた(というだけでも面白い)が、「狐が信用されて、人間は信用されなかった」という結果になった(面白い)話を引用しています。

あの(「雨月物語」の)上田秋成が儒学者に幽霊話を馬鹿にされ(!)、「狐つきなど身近にいくらでもあること」と言って腹を立てたり、あの(儒学者にして政治家の)新井白石さえ「人が生きながらに虎や蛇などに変ずることがありうる」と信じていたり。

いやぁ、みんな真剣だったんだね(^^)

筆者の言う「現代にくらべて妖怪の実在を信じる人が多かったということよりも……(中略)現代とはさかさまのリアリティの順位にこそ、近代と徳川時代との大きな隔たりが現れている…」ところに面白い発見の冴えがあります。

いつの世も、どんなに科学が発達しようと、摩訶不思議なことはなくならない。

というより、発達するほど、新たに現れる摩訶不思議もあります。

つまり「事件簿」にすれば、厚くなるばかり^^;

その分、妖怪・幽霊・怪物・怪異という範疇も広がっていくということなのでしょうか?

よっ、繁盛しますね(^^)

さあ~謎とは知らないこと。

不思議とは、本当に誤った認識なのか?

そう言えば、以下の本で天才、真賀田四季博士は、こう言ってましたね。

「すべてがFになる―THE PERFECT INSIDER」(講談社文庫)森博嗣(著)

「知りたいことは、すぐ目の前で見られるのよ。
話したい相手はいつも目の前にいる。
それが、ごく自然なことです。
それが当たり前のことなの。
そうでしょう?
もともと、世界はこうだった。
でも、今の貴方の世界が、どれだけ中途半端で不自由か考えてごらんなさい。
遠くの声が聞こえ、遠くのものが見えるのに、触れることはできない。
沢山の情報を与えられても、すべてが、忘れられ、失われるしかない。
情報の多さで隣の人も見えなくなる。
人はどんどん遠くにいってしまうわ。
何故、そんなに離れて、遠ざかっていこうとするのかしら?
ピストルの弾が届かない距離まで離れようというのかしら?
目の前にいると相手を殺してしまうからなの?
ねえ、西之園さん……。
神様だって、どうして、あんなに遠くにいるの?
本当に私たちを救って下さるのなら、何故、目の前にいらっしゃらないの?
おかしいでしょう?」(P278)

むむむ^^;

現実は多様であり、自分自身もまた多様ですよね。

「世界は、もうすでに奪はれている 現実こそがぬかるんでいる」
森井マスミ『まるで世界の終りみたいな』

「ゆるきゃらの群るるをみれば暗き世の百鬼夜行のあはれ滲める」
馬場あき子『渾沌の鬱』

「妖怪はいて怪獣はいなかった 帽子を脱いで沼を見ていた」
正岡豊『四白集』

また、これらの短歌の様に、怪獣を期待していて、妖怪しかあらわれなかったら落胆するのかなあ等とも考えてみたり。

妖怪と怪物の境はどこにあるのだろうか。

妖怪と幽霊の境はどこにあるのだろうか。

怪物と幽霊の境はどこにあるのだろうか。

異界との接触は、例えば、以下で起こりうる様です(@@)

僧たちが集い学ぶ「檀林(※)」という場における怪談の発生と、現代の「学校の怪談」の発生との共通点。

怪異の発生が空間的、時間的な「境界」という場で起こる。

※印:
檀林とは、栴檀林の略で、寺院の尊称であるとともに僧が集まって学問をする場所をいう。
天正元年(1573)要行院日統が匝瑳市飯塚の光福寺に学室を開いたことが檀林の前身とされている。

飯高檀林跡

どんなことにも興味を持って、なぜだろうという問いかけをしてみよう。

先入観でそうだと思い込んでいることは、何も考えなければ疑問にも感じない。

自分にとっての常識や当たり前なことが、本当にそうなのか考えてみよう。

そんな異界や怪異との接触は、先入観から、こうだと思い込んでしまっていやしないか?

「寺山修司名言集―身捨つるほどの祖国はありや」寺山修司(著)

そう言えば、寺山修司さんは、「寺山修司名言集―身捨つるほどの祖国はありや」の中で、以下の様なことを語っていたけど、短歌がある種の類感呪術(※)であるとの指摘は面白いね。

「短歌というのは、ある種の類感呪術というか、こっちで一人の男の腹を五寸釘でどんと打つと、向こうの三人くらいの男がばたんと倒れる、ふしぎに呪術的な共同性があって、……怪異なものだという感じがしますね。」

「人は一生のうちで一度だけ、誰でも詩人になるものである。だが、やがて「歌のわかれ」をして詩を捨てる。そして、詩を捨て損なったものだけがとりのこされて詩人のままで年老いてゆくのである。」

「死をかかえこまない生に、どんな真剣さがあるだろう。明日死ぬとしたら、今日何をするか?その問いから出発しない限り、いかなる世界状態も生成されない。」

※印:
類感呪術(Homeopathic Magic)は、類似のもの(例えばヒトガタの人形)の本体に釘や針刺す(=人形に危害を加える)ことで、実際の犠牲者に危害を加えると考えて実践する行為である。
この論理を支えているのが、類似の法則(law of similarity)である。
類感呪術の仮定する原理(類似の原理)とは「似たものは似たものを生み出す」という観念である。
従って類感呪術では、ある事象を模倣した行為を行うことによって、その事象を実際に引き起こそうとする。
感染呪術は接触呪術ともいい、一度接触したものは離れた後もたがいに影響を与えつづけるという考え方に立つもので、日本で病弱な子を健康にするため近所の元気な子の着物の切れ端を集め、縫い合わせて着物を作り着せるのはこの呪術である。
そのほかしばしば行われる分類に白い呪術と黒い呪術がある。

【参考図書】
「初版 金枝篇〈上〉」(ちくま学芸文庫)ジェイムズ・ジョージ フレイザー(著)吉川信(訳)

「初版 金枝篇〈下〉」(ちくま学芸文庫)ジェイムズ・ジョージ フレイザー(著)吉川信(訳)

一般的に、平和が長く続いて文化が爛熟すると、怪談ブームが起こると言われています。

江戸期もそうだし、現代もそうかもしれません。

また、理解できない現象のまま放っておいた方が怖くて、説明のつかない事態を、人は恐れるため、怪異を怪異たらしめ、お化けを生み出すのは、大抵は人の心なんでしょうね(^^;

さてと、短歌に類感呪術的な怪異なものがある感じで詠んでみると・・・・・・

【推し短歌】「百鬼夜行」シリーズ編:

「物事に驚く不審だと思う理解しはじめ何も起きない」

「歪む脳正に転じて祝となれど負に堕ちたなら呪に歪む声」

「嚆矢みよ悪しきものにも善ありや本源惑わすは脳のまやかし」

「闇深き都の雲居の望月にいずこより来て奴延鳥が嘯く」

「この世で変わらないのは、変わるということだけだ。」ジョナサン・スウィフト(詩人)

変わらなければ時代遅れになり対応できなくなる部分があることを忘れずに、信念や軸として変わらずに持ち続けることを見極めていく。

常に変化していく流れに、柔軟に対応していきますかね(^^)

【参考資料】

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