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【百人一首(近代・現代短歌)】ある世界(その10)


澤村洋兵さん撮影

長田弘さんは、成人期よりも、大人の心境など、成熟した年齢が持つ、豊かで、奥行きのある燻し銀のような表現世界を得て紡がれた壮年・老年期の詩集が充実している大人の詩人ではないかと思います(^^)

参考までに、エリクソンの「心理社会的発達理論」で提唱されている「8つの発達段階」で、長田弘さんのこれまでのすべての詩集を引用しておきますね。

<青年期(12~20歳)>
N/A

<成人期(20~40歳)>
『われら新鮮な旅人』(1965年・思潮社)
『長田弘詩集』(1968年・「あれら新鮮な旅人」所収・現代詩文庫・思潮社)
『メランコリックな怪物』(1973年・思潮社/1979年・晶文社)
『言葉殺人事件』(1977年・晶文社)

<壮年期(40~65歳頃)>
『深呼吸の必要』(1984年・晶文社)
『食卓一期一会』(1987年・晶文社)
『笑う詩人』(1989年・人文書院)
『心の中にもっている問題 詩人の父から子どもたちへの45篇の詩』(1990年・晶文社)
『世界は一冊の本』(1994年・晶文社)
『続長田弘詩集』(1997年・「メランコリックな怪物」「言葉殺人事件」所収・現代詩文庫・思潮社)
『黙されたことば 詩集』(1997年・みすず書房)
『記憶のつくり方』(1998年・晶文社)
『一目の終わりの詩集』(2000年・みすず書房)
『長田弘詩集』(2003年・自選詩集・ハルキ文庫)
『死者の贈り物 詩集』(2003年・みすず書房)
『肩車 長田弘・いわさきちひろ詩画集』(2004年・講談社)

<老年期(65歳以上)>
『人生の特別な一瞬』(2005年・晶文社)
『人はかつて樹だった 詩集』(2006年・みすず書房)
『空と樹と』(2007年・日高理恵子画、エクリ)
『幸いなるかな本を読む人 詩集』(2008年・毎日新聞社)
『世界はうつくしいと』(2009年・みすず書房)
『豊かなことば現代日本の詩 10 はじめに… 長田弘詩集』(2010年・伊藤英治編、岩崎書店)
『奇跡-ミラクル-』(2013年・みすず書房)

2015年5月3日、胆管癌のため東京都杉並区の自宅で死去。
75歳没。
死去前日まで仕事を続けていたという。
没前後として、詩集や著作が刊行された。

『長田弘全詩集』(2015年・みすず書房)

『最後の詩集』(2015年・みすず書房)

『誰も気づかなかった』(2020年・みすず書房)

「人生の特別な一瞬」長田弘(著)

「人生の特別な一瞬というのは、本当は、ごくありふれた、なにげない、あるときの、ある一瞬の光景に過ぎないだろう。

そのときはすこしも気づかない。

けれども、あるとき、ふっと、あのときがそうだったのだということに気づいて、思わずふりむく。

ほとんど、なにげなく、さりげなく、あたりまえのように、そうと意識されないままに過ぎていったのに、ある一瞬の光景が、そこだけ切りぬかれたかのように、ずっと後になってから、人生の特別な一瞬として、ありありとした記憶となってもどってくる。

特別なものは何もない、だからこそ、特別なのだという逆説に、わたしたちの日々のかたちはささえられていると思う。

人生は完成でなく、断片からなる。

『人生の特別な一瞬』に書きとどめたかったのは、断片のむこうにある明るさというか、ひろがりだった。」(あとがき)

確かに、断片かもしれないし、この瞬間に着目することで、目の前が開けていく感覚は、微分積分のようでもあり、この微分積分は、数学者が、

「瞬間」

「極限」

に立ち向かったときに現れました。

【参考記事】

多くの物理法則は、この微分方程式を基礎としているのですが、

【参考図書】
「常微分方程式キャンパス・ゼミ 改訂9」馬場敬之(著)

「常微分方程式」(理工系の数学入門コース 新装版)矢嶋信男(著)

「改訂新版 すぐわかる微分方程式」石村園子/畑宏明(著)

あらためて数式を見直すと、

■微分とは「瞬間の速度」のこと

■積分は「これまでの積み重ね」のこと

その数式の意味が、時間であることが分かります。

また、実験心理学においても、人間には、心地よいと思える「精神テンポ」が備わっており、個人差があって0.4秒から0.9秒の間にあり、歩くペースや会話の間合いなどと正の相関があるそうです。

その時間評価に影響を及ぼす主な要因として、次の4つが挙げられます。

①身体の代謝

代謝が高まると時間をゆっくりに感じる。

1日の内でも代謝の関係で、午前がゆっくりで、午後が速く感じられる。

代謝は、加齢に伴い低下する。

年を取るほど、時間経過を速く感じる一因。

②心的活性度

緊張や興奮によって、時間経過は、速く感じられる。

実験では、クモ恐怖症の人を、クモと一緒の空間に閉じこめると、時間が長く感じられた。

③時間経過への注意

時間を気にすると長く感じられる。

時間経過への注意が時間を分節化してしまい、分節化された時間帯の数を多く感じることで、長いと感じるのではないかという仮説がある。

④他の知覚様相の状態

広い空間では、時間はゆっくり。

刺激が多い時間は速い。

受け取る情報に脈絡やまとまりを感じていると速く感じる。

この様に、時の流れは、誰にとっても同じ、唯一絶対のものなのではなくて、見る人の立場によって、相対的に変わる、ということなのだろね(^^)

「時間とはなんだろう 最新物理学で探る「時」の正体」(ブルーバックス)松浦壮(著)

「現代を生きる私たちは、ほとんど無意識に『時間が流れているからものが動く』と考えてしまいますが、自然な発展の順序から言えばこれは逆です。

ものが動くから時間を認識できるのです。」

「時間の経過が記録できているということは、何らかの形でものが変化しているということです。

繰り返しですが、変化はものの運動によって生み出されます。

時間の認識や記録の背後には必ず物体の運動があり、物体の運動があるからこそ時間を認識したり記録したりすることができる。」

「私たちが思い込んでいる「時間」という存在は、物体の運動が持つ性質を説明するために導入された仮説だった、というのが事の真相です。」

「情報が増加すると、その場所は整然とするので、エントロピーは減少します。

ところが、世界のエントロピーは一方的に増え続けますから、メモリ単体でエントロピーが減少したとしても、メモリを含む自然界全体のエントロピーは確実に増えますし、何より、メモリの情報量を増やす操作そのものが外部のエントロピーを増やします。

ということは、メモリの情報量が増える方向を時間と捉える限り、それは自然界の時間方向と必ず一致するということです。

人が感じる時間と物理的な時間が一致するのはこのためではないか、というのが私の予想です。」

時の存在が重要になるきっかけとなったのは、ガリレオ・ガリレイが実験や論理を重視したことにありました。

ガリレオ以前の科学者は、科学現象が、「なぜ」起こるか、物体の運動を、「なぜ動くか?」という哲学的な問題として重視していました。

ガリレオは、科学現象の量的表現(数式化)を試みようとした結果、「どのように動くか?」と考える上で、客観的な「時」が、どうしても必要となり、これがニュートンへ引き継がれ、多くの物理法則の基礎となる「瞬間」を捉えるための微分方程式が生み出されることに繋がっていきました。

普段は、気にもかけない時の流れ。

私達の記憶が増えることが、時間の流れを作っている可能性。

何かを読む「時」、そこに書かれている言葉を読むだけではない、書かれなかった言葉をみつけること、声にならなかった声を聞くこと。

そして、長田弘さんが、「人生の特別な一瞬」の中で、以下の様にうたっていました。

「空想の旅は楽しい。

昼でもいい。

真夜中でもいい。

重たい地図帳を床に広げて、ゆっくりと地図を旅する。

緑の山地を通ってゆく。

海沿いの道をゆく。

地図帳には、語られてきた物語と、語られなかった物語がなまじいの物語の本よりも、一杯つまっている。」

こうして丁寧で、優しい言葉によって、詩人に拾い上げられると、珠玉の輝きを放って、かけがえのない価値であることを、そっと教えられて、納得、思わずうれしくなってしまいます(^^)

また、「雨いろの時間」を読むと、

「旅の雨はのぞましくない。

そう思われがちだけれども、そうだろうか。

雨は、雨だけがもつ不思議な力をもっている。

風景に魔法をかけるちからを、雨はもっているのだ。

どんなによく知る風景ですら、雨が降ってくると、周りがぜんぶ雨色に染まって、その雨色の中に、何もかもが遠のいていって、まったく知らない風景になって行く。

旅の雨はむしろ幸運の雨かも知れない。

雷雨や台風は別として、雨の中へ遠くむかって歩いてゆくと、雨に霞む知らない風景のなかへ、そのまま入ってゆくような感覚を覚える。

姿のない人のように、音もなく向うからやってきた風が通りすぎると、一瞬遅れて雨粒がばらばらっと降りかかってくる。

雨の中には慕わしい静かな世界がある。

大きな木々の枝から、ときどきぽつりと、熟した実のように、雨の実が落ちてくる。

雨の日に美しいのは、水のある風景だ。

古い石垣のある古い城址をめぐる壕に沿った小道。

街なかを流れてゆく川の畔の小道。

運河に沿っての石畳の遊歩道。

柳並木のつづく川沿いの道。

やわらかな白灰色ににじんだ風景の中に、雨がすべての騒音を拭きとってゆく。

晴天の鎌倉と雨の鎌倉はちがう。

晴天の金沢と雨の金沢はちがう。

晴天の高知と雨の高知はちがう。

ちがうのは風景の中に流れる時間がちがうのだ。

雨の日、時間は、風景の中をゆっくりと流れる。

雨が降ってきた。

空から、しっとりと、雨色の時間が降ってきた。」

雨のうたを、少し集めてみたくなってみたり、

巷(ちまた)に雨の降るごとく わが心にも涙ふる
かくも心ににじみ入る このかなしみは何やらん?
やるせなき心のために おお雨の歌よ!
やさしき雨の響きは 地上にも屋上にも・・・・
(ヴェルレーヌ「忘れた小曲」堀口大學訳)

雨降りいでぬ 雨のまま夕べとなりぬ
雨のまま夜となりぬ 
雨の音 夜もすがら
わが嘆き 夜もすがら
(森田たま)

雨降れば雨を愉しみ 晴るる日は晴れを愉しむ
楽しみあるところに愉しみ 楽しみなきところにも愉しむ
(吉川英治)

細雨 春風 花落つるの時 
鞭をふるいて 直ちに胡姫(こき)に就いて飲む
(李白)

観世音菩薩が一体欲しいと思う
五月雨ばかりの昨日今日
(長谷川伸)

うつつなく遊べば夜と昼となく
祇園一力 春の雨降る
(吉井勇)

はらはらと石をぬらして 降る雨に
ぬれ終わるまで 石を眺むる
(清水比庵)

さみだるる一燈ながき坂を守り
(大野林火)

長田弘さんの「深呼吸の必要」を開いて、さて、どれを読もう?

「深呼吸の必要」(ハルキ文庫)長田弘(著)

・・・うん。

雨の話(「驟雨」)があったのを思い出して再読。

「突然、大粒の雨が落ちてきた。

家並みのうえの空が、にわかに低くなった。

アスファルトの通りがみるみる黝くなり、雨水が一瞬ためらって、それから縁石に沿って勢いよく走り出した。

若い女が二人、髪をぬらして、笑いあって駈けてきた。

灰いろの猫が道を横切って、姿を消した。

自転車の少年が雨を突っ切って、飛沫をとばして通りすぎた。

雨やどりして、きみは激しい雨脚をみつめている。

雨はまっすぐになり、斜めになり、風に舞って、サーッと吹きつけてくる。

黙ったまま、ずっと雨空をみあげていると、いつかこころのバケツに雨水が溜まってくるようだ。

むかし、ギリシアの哲人はいったっけ。

(……魂はね、バケツ一杯の雨水によく似ているんだ……)

樹木の木の葉がしっとりと、ふしぎに明るくなってきた。

遠くと近くが、ふいにはっきりしてきた。

雨があがったのだ。」

ああ、そうだね。

一瞬、遠近もわからなくなるぐらいの驟雨に、すべてを包んで。

それから。

ものの姿を、はっきりと、浮かび上がらせる。

ものごとがクリアになる。

そんな一瞬をもたらす、雨。

雨をイメージしていたら、いつの間にか、心が落ち着いてきたりする。

あぁ~、私の心のバケツにも、雨水が溜まった、んだねってことを知る瞬間^^;

日々の中で、随所に私が立ち止まり、振り返り、噛み締めたり、再確認したりして、自分自身に再帰する場面がでてきます。

「たまらなく美術館へゆきたくなるときがある。

そして、美術館へゆき、見たかった絵や彫刻の前に立つと、ふだんはすっかり忘れている小さな真実に気づく。

わたしたちの時間というのは、本来は、こんなにもゆっくりとして、すこしも気忙しいものでなく、どこか慕わしい、穏やかなものだったのだ、ということに。」(美術館へゆく)

「夕陽はマジシャンだ。

黙って、眺めているだけで、いつしか気もちの奥まで、あかあかと明るくされてゆく。

やがて、ありふれた一日が、すばらしい一日に変わる。

ありふれた出来事が、すばらしい記憶に変わるのだ。」(夕陽を見にゆく )

「すべてがおどろくほど変わってゆく世にあって、何事もないかのように、そこにまっすぐに立っている大きな欅の木を目にすると、信じられるものがここにある、と思える。

大きな木にひとが惹きつけられるのは、大きな木はひとの心のなかに、気づかぬうちに、その木と共に在るという確かな思いなそだてるためだろう。

心の定点としての木をどこかにもっているかどうかで、人生の景色の見え方は、あざやかさがちがってくる。」(欅の木)

流れゆく時の中に、特別な一瞬をつかめるかどうか。

物理法則の発見も、豊かな人生への気付きも、根底は、同じところが、とても興味深いなって思います。

その時甦る、鮮やかな意味の広がりが、なんとも言えず懐かしく、しかも、深いと感じる事がある。

これぞ、

「特別な一瞬」

と言えばいいのかなって、そう思う。

そう言えば、ゲーテも、

「人間は現在がすこぶる価値のあることを知らない。

ただ、なんとなく未来のよりよい日を願望し、いたずらに過去と連れ去って嬌態を演じている。」

と言っていて、「一日が一生」と思って、過去を捨て、未来は考えず、今を大切に生きる。

そして、以下の点にも注意して、改めて、日々を大切に生きてゆこうと言う気にさえなる。

「何がなくていいか、それが、人生のたぶんすべてだと。

それは本当だった。

不要なものを捨てる。

人生はそれだけである。

最初に「いつかは」という期限を捨てる。

それから「ねばならない」という言い草を捨てる。

今日という一日がのこる。

その一日を、せめて僅かな心遣りをもって、生きられたら、それで十分なのだと思う。」
( 「奇跡―ミラクル―」[徒然草と白アスパラガス]より )

「奇跡―ミラクル―」長田弘(著)

この様に、時の不思議には、大きな魅力が詰まっているように感じます(^^)

そうそう、「人生の特別な一瞬」の本文中でハッとして、その通り!と思ったのは、このひとこと。

「もっとよく見つめるために、目をつぶる。

この世には目をつぶってしか見えないものがある。」

つまり、この世界は、見る・見られるという関係の中で語られる、ってことであり、時間の流れは、誰から見ても、変わらない

「絶対的」

なものではなく、見る人の立場によって、

「相対的」

に変わる、例えば、相対性理論的なものなんだろうね。

人の主観に近づけば、

「今」

の大切さが目の前に広がり始めて、人は、

「今」

に運命を感じたとき、心の中で、過去が整理・再評価され、現在に向かって、必然的に進んできたかのような幸福感につつまれるのではないでしょうか。

当たり前すぎて、普段は、気にもかけない「時」の捉え方だけど、でも、きちんと読み解こうとすると訳が分からない分野のひとつでもあるから、時の不思議には、手つかずのロマンが広がっていると言えるかもしれませんよね(^^)

そんな時を意識して、短歌を読んでいます♪

【百人一首(近代・現代短歌)】ある世界(その10)

「微生物ひきつれ弥陀はたたなづく青垣を越ゆしたしたと越ゆ」
(永井陽子『樟の木のうた』より)

「風。そしてあなたがねむる数万の夜へわたしはシーツをかける」
(笹井宏之『てんとろり』より)

「並び立つ書架にどよめく死者のこゑ樟のひかりにしずむ図書館」
(上村典子『草上のカヌー』より)

「防犯カメラは知らないだろう、僕が往きも帰りも虹を見たこと」
(千種創一『砂丘律』より)

「癒えること なきその傷が 癒えるまで 癒えるその日を 信じて生きよ」
(萩原慎一郎『滑走路』より)

「夕映えの原子炉一基にやわらかきイエローケーキが降るあさき夢」
(加藤英彦『プレシピス』より)

「葉桜の葉言葉は「待つ」三つ折りのメニューをお祈りみたいに閉じて」
(工藤玲音『水中で口笛』より)

「流灯に重なる彼の日の人間筏わが魂も乗りて行くなり」
(山口彊、Chad Diehl(訳)『And the River Flowed as a Raft of Corpses』より)

「恋ふは乞ふましろの梨の花のもと雨乞ふ巫女か白く佇ちたる」
(大沢優子『漂ふ椅子』より)

「眩むほど水かがやきぬ街を縫ふ細き流れを朝越ゆるとき」
(高野岬『海に鳴る骨』より)

【関連記事】
<短歌>
【百人一首(近代・現代短歌)】ある世界(その1)
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【百人一首(近代・現代短歌)】ある世界(その2)
https://note.com/bax36410/n/n353e5be2445e

【百人一首(近代・現代短歌)】ある世界(その3)
https://note.com/bax36410/n/nbb5a13ca8405

【百人一首(近代・現代短歌)】ある世界(その4)
https://note.com/bax36410/n/n0090664bcf33

【百人一首(近代・現代短歌)】ある世界(その5)
https://note.com/bax36410/n/n9c0ff103b72c

【百人一首(近代・現代短歌)】ある世界(その6)
https://note.com/bax36410/n/n066b0410eafa

【百人一首(近代・現代短歌)】ある世界(その7)
https://note.com/bax36410/n/n43fdb643550c

【百人一首(近代・現代短歌)】ある世界(その8)
https://note.com/bax36410/n/n6478294052d2

【百人一首(近代・現代短歌)】ある世界(その9)
https://note.com/bax36410/n/n794a601eb10a

<俳句>
【百人一句(俳句)】そこにクローズアップ(面白味を見ようと)してみると(その1)
https://note.com/bax36410/n/n5c97e0bdf258

【百人一句(俳句)】そこにクローズアップ(面白味を見ようと)してみると(その2)
https://note.com/bax36410/n/n0a3e48a832f3

【百人一句(俳句)】そこにクローズアップ(面白味を見ようと)してみると(その3)
https://note.com/bax36410/n/nbb3cde472999

【百人一句(俳句)】そこにクローズアップ(面白味を見ようと)してみると(その4)
https://note.com/bax36410/n/n9392f27683df

【百人一句(俳句)】そこにクローズアップ(面白味を見ようと)してみると(その5)
https://note.com/bax36410/n/n57dcb79b2c3b

【百人一句(俳句)】そこにクローズアップ(面白味を見ようと)してみると(その6)
https://note.com/bax36410/n/n94bfae427e3e

【百人一句(俳句)】そこにクローズアップ(面白味を見ようと)してみると(その7)
https://note.com/bax36410/n/n03ae4a228fb0

【百人一句(俳句)】そこにクローズアップ(面白味を見ようと)してみると(その8)
https://note.com/bax36410/n/nacaa5528c5a8

【百人一句(俳句)】そこにクローズアップ(面白味を見ようと)してみると(その9)
https://note.com/bax36410/n/nb8c8bb795a19

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