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【百人一句(俳句)】そこにクローズアップ(面白味を見ようと)してみると(その10)


長瀬正太さん撮影(400mm望遠ズームレンズにて撮影(枝垂れ桜))

■心の中に春を培う

園芸にも造詣が深かった作家カレル・チャペックは、次の様に言っていましたね(^^)

「園芸家の一年」(平凡社ライブラリー)カレル チャペック(著)飯島周(訳)

「翌春に咲く花は密かに秋にその根を伸ばし、秋に咲く花は春には芽吹いているように、未来は既にこの現在の中にもあるんだろう。

(中略)

われわれ園芸家は未来に生きているのだ。

バラが咲くと、来年はもっときれいに咲くだろうと考える。

一〇年たったら、この小さな唐檜が一本の木になるだろう、と。

早くこの一〇年がたってくれたら!

五十年後にはこのシラカンバがどんなになるか、見たい。

本物、いちばん肝心のものは、私たちの未来にある。

新しい年を迎えるごとに高さとうつくしさがましていく。

ありがたいことに、わたしたちはまた一年としをとる。」(カレル・チャペック「園芸家の一年」より)

J.ラフ:交響曲第8番「春の響き」Op.205 第1楽章

私たちの一般的な季節感では、

春は、生命の息吹が芽生え、

夏は、生命が躍動し、

秋は、生命の豊かな実りを迎え、

そして、

冬は、来るべき春に備えて生命のエネルギーを蓄える時、

というイメージがあります。

ただ、不可逆な時間を生きる私達は、

【参考資料①】

「過去」における私達の行動によって選択された可能な状態の一つが「未来」で、私達は、歴史的時間の中に生きています。

そして、その状態の中で、多くの可能な状態があり得る「未来」と不確実な「未来」に対して、意思決定を行わなければなりません。

こう喝破したのは、ケインズだけど、普段、私達が、日常で発生する問題を、解決していく過程で考えている思考のプロセス(問題解決技法)に関して、以下の通り纏めてみたので、必要に応じて確認してみて下さい(^^)

1.ポイント

(1)思考を明確にするために、まず、やらなければならない作業は二つ。

イメージをクリアにすることと、言葉を明確にすること。

(2)言葉を曖昧なまま放置しておくと、気がつかないうちに頭の中での組立があやふやになります。

(3)だから、言葉の意味は大事にしなければならいけません。

2.問題とはどういうものでしょうか?

問題は、

①人や立場に依存します:同じ環境にあっても、「それは問題でない」と言う人がいます。

②受け止め方に依存します:それが問題と同意しても、どのような問題かで見解の相違が出る場合があります。

そう、問題とは、現実と理想のギャップなんですよね。

現実とはどんなもので、こうあるべき状態とはどんなもので、そのギャップは、どの程度なものか明らかにする必要があります。

そうして問題の認識がはっきりします。

問題解決するとは、「問題についての認識(価値感)をはっきりさせ、こうあるべきという方向に向かってすっきりすること」なんですよね。

3.次に、意思決定とは何でしょうか?

意思決定は、迷っている状態から「一つの選択肢に絞り込む」ことですね。

そのためには、

①案が必要です:

案がなければ決めることはできません。

②目標の合意が必要です:

家族で車を買うことを決めても、思う使途が違えば決まらないでしょう。

③納得が必要です:

合理的な最適案とわかっても気に食わないことがあるでしょう。

また、将来のリスクがどうかということもあります。

4.問題をややこしくする悪いくせ、あれこれ、

(1)先入観にとらわれる

(2)定義を明確にせず会話や対話に入る

(3)怒りや忙しさのあまりに原因や対策にジャンプする

(4)自説に固執する

5.だから考える手順をしっかりする

(1)状況を分析してみる

1)何が問題か

2)その問題はどうなっているか(関心事と分離)・・・事実のみ

3)その問題を解決するには具体的に何をするか

4)何から手をつけるか

(2)問題点を分析してみる

1)何がどうまずいか

2)何がおきて何がおきていないのか(IS/IS NOT)

3)何が違うか(区別点、変化点)

4)考えられる原因は何か

(3)決定すべき事項を分析してみる

1)何のために何を決めるか

2)具体的な狙いは何か(目標)

3)考えられる案は(MUSTとWANTを切り分け)

4)それを行うとどんなまずいことがあるか

(4)潜在的な問題点を分析してみる

1)いつまでに何をしたいの

2)考えられるリスクは

3)リスクを起きないようにするにはどうするか

4)リスクが起こったときはどうするか

この技法は、KT法と呼ばれています。

■世界はわたしに何も期待していない

言い換えると、

「世界はわたしに何も要求していない」

となります。

期待されないことに対して、不満もしくは不安に感じる方もいるかもしれません。

確かに、期待が生む成長や承認があることは承知しています。

一方で、その期待が、真実を覆い隠すこともあり得るのではないでしょうか。

時に人は、自分にも、他者にも、こうあって欲しいと願います。

それが、いつしか、こうあるべき(例えば、ある種の優しさや褒め合い。)だ、となってしまうことがありませんでしたか。

例えば、誰かが涙を流していたら、あなたはどうするでしょうか?

涙を拭いてと、ハンカチやティッシュを差し出すのでしょうか?

それは何のために?

それは誰のために?

もしかしたら、泣ききることが、その方にとって、必要だったかもしれません。

人が理解できるものとできないものの境界線を示す言葉とはなんでしょうか。

【関連記事】
【課題帳】境界線を引くとは?
https://note.com/bax36410/n/n3f2d16b72cdc

例えば、「滅多にないこと」とか「奇跡的なこと」。

誰にでもある、自我や自意識は、自分自身を確立するために必要なものですよね。

それがあるからこそ、自分の中で、葛藤や面倒が起こる。

そう、世界は、自分の内側で起こっているんだよね。

心の壁を取り払った状態で、自分をさらけ出すと、自我が解放され、緩む事がありませんでしたか。

自分の中の境界線を見つけることが、本当にできたのなら、その時こそ、「滅多にないこと」や「奇跡的なこと」が起きるかもしれない(^^)

但し、言うは易し行うは難しで、自分にも、他人にも、判断を下さず、期待もしないことは、難しいものだとも思います。

それでも、それを手放した時に起こるバルネラビティ(※)の境界線を超える事が可能だと、私は信じています。

※印:
心理学または社会学でのバルネラビティは、「心の弱さ」または、「心の弱さを開示すること」を意味します。
ヒューストン大学ソーシャルワーク大学院研究教授である、ブレネー・ブラウンが提唱した概念です。

「本当の勇気は「弱さ」を認めること」ブレネー・ブラウン(著)門脇陽子(訳)

人間誰しも心の弱い部分があり、それをさらけ出すことは簡単にはできません。
暴言を言われる、批判されるなどの要因で傷つくリスクが高まるなどの問題があります。
そのため、人は常にある種の防衛ラインをつくって、自分の心を守っているのです。
その防衛ラインをあえて取り除き、弱さを隠さずオープンにすることで、人間的な信頼を獲得できる、というのが、バルネラビティの考え方です。

①バルネラビティを開示するメリットと注意点
バルネラビティを自分から開示するのは、勇気が必要な行為で、簡単にできることではありません。
ここでは、バルネラビティを開示するメリットと注意点を解説します。

②開示するメリット
バルネラビティを開示するメリットは以下のものです。
・メタ認知が高まる
・信頼関係を構築しやすい
・誠実になれる
・かくしごとがなくなる
・孤独を感じにくい
バルネラビティを開示するためには、「自分の欠点も含めてありのままを愛せること」が必要です。
自分自身を客観視できるようになり、高次元でのメタ認知ができるようになります。
また、自分の欠点を認めたうえで開示できることで、自分自身に対しての隠し事がなくなり、誠実な行動を自然と取りやすくなります。
その結果、信頼関係も構築でき、誰かにかくしごとをする必要もなくなるため、孤独を感じることも少なくなるでしょう。
最近では、多様性を認める環境づくりが求められつつあります。
その中で、欠点として見られることが多いバルネラビティを、自分からさらけ出せることは多様性を認める環境づくりにも役立つでしょう。

③注意点
バルネラビティの開示ができるようになると、メリットがありますが、自分を守る手段でもあるため、プラスに働かないこともあります。
バルネラビティを開示できるだけの環境が整っていない場合、開示した後に相手がそのバルネラビティを受け入れられず、開示した人が傷つくことがあるためです。
そのため、個人がバルネラビティを開示するためには、そのための環境づくりが求められます。

④バルネラビティを開示する方法
バルネラビティを開示するというのは、言葉としてはシンプルです。
しかし、実践には勇気が必要で、簡単にできるものではありません。
ここでは、バルネラビティをどのように開示すれば良いのか、ブレネー・ブラウン博士の提唱している方法として、以下の方法があります。
・自分を見せる
・無条件で愛する
・感謝の心を大事にする
・自分は満ち足りていると考える
(出典:バルネラビティとは?心理学的な意味やメリット、会社で導入する際の注意点)

私の期待が現実に合わないとき、私に何が起こりうるのかを意識して、自分自身を忘れないでいたいですね(^^)

■「今」(時間認識)をどう見るか

内田樹さんは、現代社会の趨勢を“サル化”というキーワードで斬った思いを、次のように述べています。

「サル化する世界」内田樹(著)

【参考記事①】

「“サル化”というのは「今さえよければそれでいい」という発想をすることです。

目の前の出来事について、どういう歴史的文脈で形成されたのか、このあとどう変化するのかを広いタイムスパンの中で観察・分析する習慣を持たない人たちのことを“サル”と呼んだのです。

(中略)

時間意識とは「もう消え去った過去」と「まだ到来していない未来」を自分の中に引き受けることです。

過去の自分のふるまいの結果として今の自分がある。

未来の自分は今の自分の行動の結果を引き受けなければいけない。

そういう骨格のはっきりした、ある程度の時間を持ちこたえられるような自己同一性がその時代から要求されるようになった。」

現在は、過去の蓄積の上に成り立っています。

「今」(時間認識)をどこから考えるかと言えば、過去の経験や知識から得たもので考えてみる。

「今」(時間認識)という時の流れを、そこだけ切り取ることなどできません。

また、自分の生きる場は、ちっぽけな世界にすぎないのですが、それは、世界中のあらゆる出来事、宇宙・自然界を含む、あらゆる出来事とつながっており、当面する「今」が、自身の未来を動かす出発点になります。

この点を意識して、「今」(時間認識)をどう見るか、それに、どう対処するかは、過去の反省や検討、未来への展望なしには出てこないと思います。

これがないと、私達は、目先の現象だけに、一喜一憂する、その日暮らしの生き方しかできなくなるからです。

そして、内田樹さんは、「レヴィナスの時間論」について、以下の様に述べていましたので、参考までに紹介しておきますね。

「レヴィナスの時間論  『時間と他者』を読む」内田樹(著)

「時間と他者」(叢書・ウニベルシタス)エマニュエル レヴィナス(著)原田佳彦(訳)

「エマニュエル・レヴィナスが「時間とは主体と他者の関係である」という非常にわかりにくい命題を語っていますが、僕たちがそれが「わかりにくい」と思うのは、「時間意識」というものが伸縮するということを忘れているからです。

ごく限定的な時間意識しか持たない人間と、広々とした時間意識を持つ人間がいる。

一神教信仰は信仰者にこの「広々とした時間意識」を要求します。

「造物主による創造」という想像を絶するほどの過去と、「メシアによる救済」という想像を絶するほどの未来の間に宙吊りにされている今の自分というものを把握できたものだけが一神教のアイディアを理解できる。

そこから人間の知性と倫理性が発動する。

そういうアイディアが生まれたのが紀元前1000年から500年くらいのことであり、それが人類史的な特異点(シンギュラリティ)を形成したのだと思います。」

■詩的リズムについて

【参考資料②】

【参考図書】
「俳諧の詩学」川本皓嗣(著)

「日本詩歌の伝統 七と五の詩学」川本皓嗣(著)

「絶対本質の俳句論」阿部完市(著)

「詩的リズム―音数律に関するノート」菅谷規矩雄(著)

「七五調の謎をとく 日本語リズム原論」坂野信彦(著)

「短歌と日本人〈3〉韻律から短歌の本質を問う」馬場あき子(編)

日本語のピッチアクセント、連濁、促音、イントネーションの研究などで有な窪薗晴夫さんに依ると、

「語形成と音韻構造」窪薗晴夫(著)

「一般言語学から見た日本語の語形成と音韻構造」窪薗晴夫(著)

和歌や俳句と結びついている二拍子や四拍子のリズムは、稲作農耕文化と関係がある(農民が、鍬を振り上げて、振り下ろすタイミング(リズム)に合わせて歌われていたため、詩経の詩が二拍子になったという説)のだとか。

また、川本皓嗣さんの本を読んで、字余りのときでさえ、和歌や俳句は、二拍子のリズムで書かれていたことを知りました。

漢詩も、五音と七音の音数律と押韻の組み合わせですが、五音と七音の組み合わせによる音数律以上に、このリズムこそが、日本の詩の本質的な特徴であり、日本詩のリズムの由来を考える上で、興味深い説だと思います。

また、「絶対本質の俳句論」の中で阿部完市さんは、以下の様に述べられており、

「私は、俳句をすぐれて一つの時間詩、と思っている。

(中略)

には、「瞬間」―私の謂う現瞬間―という特殊な時間の直感的把握を作す、またそれを可能にする詩が俳句だと思うから。」

「今・現在というだけ、それだけで人が自らの生あるいは死を考えようとするとき、当然にその前と後というものを考えた。

すなわち現在とそれへの過去、未来―すなわち三世の思想。

そして、とくに今というもの「現」瞬間を中心として、「時間」という一直線―線分という有限ではない。

無限の―の上の、一瞬間・現瞬間の燃焼、その姿の具現を、私は俳句一句と考えている。」

「意識され―自覚されたとき、その「時間」は自己にまた他者に、要するに人間の間に存在するようになる。

人人に意識されないとき「時間」は実は存在しない。

「意識」しなければ何もない。

その「意識」によって、「時間」をよく、十全に観念する―その観念の一手段としても「俳句」一句一句は存在すると謂われてよい。」

俳句とは、何よりも、読者に、いきなりの直感や、喜びをもたらすひと連なりの言葉(=ゲシュタルト)であると阿部完市さんは考えています。

俳句の

①音の流れ

②その早さ

③その一筋さ

④真直さ

即ち、十七音が含む音韻や言葉遣いこそが、この直感や喜びをもたらすのだから、未完結な言葉に対して、再体験を通しての「今ここ」での「気づき」を得られるかどうかが、俳句を読む面白さなのかなと、そう感じます(^^♪

「大抵の人は眠りながら歩いている。それでも、それに自分で気がつかない。」ロシア哲学者グルジエフ

確かに、人間が、絶えず心理的成長をするためには、「気づき(自覚する)=アウエアネス」ということが、大切な基本的アプローチとなります。

「気づき」とは、人が、何らかの情報にアクセスできて、その情報を行動のコントロールに利用できる状態のこと。

しかし、人は、全てのことに気づいているわけでなく、むしろほとんどのことに気づかずにいます。

つまり、多くのことを意識的にでなく、無意識に処理を行っているのです。

例え、自分自身に問題があっても、それに気づいていなければ対処のしようもありません。

阿部完市さんの時間論は、「今」「現在」に重きを置いており、以下の様に変化して行く時間感覚ではないかと仮定して、

■流れゆく時:点・感情・今・微分時間(制御)・織田信長

■絶えざる変化(滲む光や闇で時間の経過を紡ぎ直す):滲・情念・瞬間・比例時間(制御)・豊臣秀吉

■積み重なる時:線・記憶・現在・積分時間(制御)・徳川家康

【参考資料③】

時間詩である俳句を、時には、三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)の時間感覚で読んでみたり、

【参考記事②】

時には、制御工学におけるフィードバック制御の一種であるPID制御(Proportional-Integral-Differential Controller、PID Controller)の時間感覚で読んでみたり、

「PID制御の基礎と応用」山本重彦/加藤尚武(著)

【参考資料④】

例えば、熱で溶けた金属の銀色の粒が、白い滑らかな磁器のシルエットに沿って重力の方向に流れ、釉薬に、その軌跡が滲むように青く発色をするのですが、各素材(言葉)が持った熱量から生み出された繊細な表情(詩情)に、共通した温度や時間そのもののような魅力を感じ、

松下直史個展「Blue Hour」秋田市文化創造館(2022)より(撮影:草彅裕):フランス語の「l’heure bleue(ルールブルー)」とは、日の出前と日の入り後、空が濃い青色に染まる時間帯のことをいいます。

その小さな現象から、身近な儚い存在や風景を連想する事と似た時間感覚なのかなと、そう感じられます。

だからこそ、気づかない場合には、選択のしようがなく、いつもと同じ、自動的な反応が起きることになります。

選択肢のない硬直な状況よりも、多くの選択肢の中から、状況に応じて、選べる柔軟性があったほうがいいですよね(^^;

そして、選択というものを実現するためには、「気づき」が必要となるのです。

気づくことによって、何かしらの選択ができる。

詩情を自分で自由に選択することで、読む可能性が広がっていく。

俳句とは、時間詩なのだとの視点は、面白いなって思います(^^)

■詩の時間シリーズ

「幸せは搾取されない」(「詩の時間」シリーズ)松崎義行(著)

「大切なことは小さな字で書いてある」(「詩の時間」シリーズ)谷郁雄(著)

【百人一句(俳句)】そこにクローズアップ(面白味を見ようと)してみると(その10)

「夜型の髪へ獅子座の匂い降る」
(平岡直子『Ladies and』より)

「約束を匂いにすればヒヤシンス」
(なかはられいこ『くちびるにウエハース』より)

「友よ我は片腕すでに鬼となりぬ」
(高柳重信『高柳重信全集第一巻』より)

「葉櫻や箸をつかふは業に似て」
(秦夕美『五情』より)

「陽へ病む」
(大橋裸木『陽へ病む』より)

「流木の焚火のなかに国生まる」
(大畑等遺句集『普陀洛記』より)

「凌霄花(のうぜん)のほたほたほたりほたえ死」
(文挾夫佐恵『井筒』より)

「蚯蚓鳴く六波羅蜜寺しんのやみ」
(川端茅舎『川端茅舎全句集』より)

「鞦韆をゆらして老を鞣しけり」
(八田木枯『夜さり』より)

「蟬たちのこなごなといふ終はり方」
(澤田和弥『革命前夜』より)

【関連記事②】

<短歌>
【百人一首(近代・現代短歌)】ある世界(その1)
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【百人一首(近代・現代短歌)】ある世界(その2)
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【百人一首(近代・現代短歌)】ある世界(その3)
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【百人一首(近代・現代短歌)】ある世界(その4)
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【百人一首(近代・現代短歌)】ある世界(その7)
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【百人一首(近代・現代短歌)】ある世界(その9)
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【百人一首(近代・現代短歌)】ある世界(その10)
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<俳句>
【百人一句(俳句)】そこにクローズアップ(面白味を見ようと)してみると(その1)
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【百人一句(俳句)】そこにクローズアップ(面白味を見ようと)してみると(その2)
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【百人一句(俳句)】そこにクローズアップ(面白味を見ようと)してみると(その5)
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【百人一句(俳句)】そこにクローズアップ(面白味を見ようと)してみると(その6)
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【百人一句(俳句)】そこにクローズアップ(面白味を見ようと)してみると(その7)
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