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JCSS2023参戦レポート➀


 少し投稿に間が空いた。直前のエントリーの最後に書いた、はこだて未来大学で開催された日本認知科学会第40回大会(JCSS2023)に参加、発表していたためだ。筆者のメインフィールドはこの認知科学会なのだが、筆者が感じるこの学会の魅力は以下の通り。

  • トピックの多様性:もともとが学際分野で哲学、心理学、人工知能、言語学、神経科学などが主要な構成要素とされていたが、教育学(学習科学)、芸術学(絵画からパフォーミング、デザイン学、サブカルまで含め)の発表も少なからぬ数の研究報告がある。本当にそんなものを研究してどうすんだよ、と思うものもある。その一方、案外そういう研究が応用可能性、発展可能性を秘めているものもあったりする。なので、初見で「なんだこれ」と思っても、「この発表の本質を見抜けない方が負け」な気もするので侮れない。

  • 方法の多様性:心理学実験をやるものもいれば、コンピュータシミュレーションをやるものもいる。教育の現場観察を報告する者もいれば、プロアスリートやパフォーマーの観察、運動解析などをする者もいる。脳活動の測定や眼球運動、モーションキャプチャや唾液などさまざまなツールもでてくる。個人的には「とれるデータの珍しさ」だけで勝負する研究は見掛け倒し、と思っているし、自分でも浅はかに「眼球運動測定したら面白がってもらえる」と思っていた若手時代もあったのだけれど、多様な研究の手段があることを知るのは面白いし、自分のためにもなる。

  • 交流が活発:上記の通り「なんだこれ」な発表も多いせいか、「こんなことを質問してもよいのか」という心理的なハードルが低い。素朴に「なんだこれ」と聞いてしまえる。某心理学系の学会だと、発表者と参観者が研究そっちのけで同窓会を始めたりする。質問したくても、同窓会に夢中で聞いてもらえない、なんてこともある(同窓会やりたいなら他所でやれよ)。その一方で、知り合いの少ない人は誰も発表を聴きに来ないのでただ茫然と立っているだけの時間も長くなる。しかし、この学会はあまりそういう無駄な時間を過ごすことは少ない。

・・・という学会なのだが、いくつか面白い話が聞けたのでざっくりとだけ紹介したい。

ロボットによる課題進行は創造的認知を促進するか: 評価不安・信頼・ロボットへの印象に着目して(安陪・服部・林)

 創造性を測る心理テストをする際に、人間がその調査の進行役をやるか、ロボットがやるかで効果の違いを比較した研究。なんでロボットが出てくるんだ?と思うかもしれないが、アイデアを作る作業には「人に見られたくない、けなされたら辛い、恥ずかしい」という評価不安が付きまとう。それをロボットにすることで回避し、ポジティブな効果が期待できるのでは、という話。前の記事でも紹介した三宅らの「人ロボット共生学」では、子どものグループワークにおいてロボットを参加させることがポジティブな効果を生み出したが、さて大人の、創造性課題でそうなるか。実際にやってみると、そんなに簡単な話ではなく、評価不安の低い人ならロボットに進行してもらった時に独創的なアイデアがでるが、評価不安の高い人は逆に独創的なアイデアが出にくくなるという結果になった。意外にも人間に評価されるときは評価不安の高い低いによらず違いが見られなかった。三宅らの知見ではポジティブな効果が見られたが、子どもは多くの場合、評価不安が低いのかもしれない。

応援と「推し」の違いに関する一考察:プロジェクションの観点から(東・島田・嶋田)

 今や日常的に使われる「推し」という言葉や立場。これは応援とは何が違うのかを調査したもの。ただの応援好きは外向性や勤勉性が高く、特に応援する対象を絞っているわけではない(そりゃそうか)。頑張っている人が目標達成するところを願う気持ちが強いから応援する。ところが「推し」というのはどちらかと言えば特定の対象(人・モノ)に自分を投影する要素が強く、他の人にもその自分を投影した推しを知ってほしい、応援してほしいという気持ちが伴う。「推す人」は「応援好き」より外向性と勤勉性が低く、自分と推しの間で閉じた関係性で結び付けているのかもしれない。
 ここからは私見だが、たしかに言われてみれば「推し」の言葉は〇〇(個人名)推しが標準的で、ユニットレベルでの推しの場合はわざわざ箱推しという言葉がある。スポーツの世界であまり推しという表現が表れにくいのも、スポーツの場合にはワールドカップやオリンピックなどの超大規模な競技会があるから応援好きの方が集まりやすいというのもあるかもしれない。

模倣可能な動作がパフォーマンスの「かっこよさ」評価に与える影響(大野・三嶋)

 バスケットボールのプレイ動作の「カッコよさ」がマネできるかどうかに左右されるかを検討した研究。未経験者でも「かっこよさ」と「巧さ」は別扱いで見ていることや、マネできそうな動作をカッコよく感じるかどうかはプレイの経験によっても違うことを報告している。
 これは題材をバスケットボールにしたことによる苦労もあるだろうが、他の題材でやってみても面白そう。楽器の演奏にはエアギターなんてものもあるが、あれは明らかに自分には再現できない動作なのに、かっこいいと思うからついやりなくなるのだろう。
 特撮の世界などでも、「動くとかっこいい」キャラクターというのがいる。個人的には仮面ライダーの中でも仮面ライダーカブトのライダーキックが好きで、人気も実際にあると思う。他のライダーのキックは人間離れした跳躍力からの、およそ重力を無視した飛び蹴りというのがほとんどだが、カブトのライダーキックはまるで居合いのような素早いハイキックとなっている(主役のカブトだけでなく、この作品のライダーキックは全体的に生身の人間ができる動きが多い。相棒の仮面ライダーガタックもプロレスで見る延髄斬り式のライダーキックだし、劇場版に登場した仮面ライダーコーカサスは実際にライダーを演じたK1戦士である武蔵氏のミドルキックがそのままライダーキックになっている)。むろん、本物ほどのキレの動きはできるわけもないが「がんばれば人間の動きの範疇で再現できる」というのはカブトのライダーキックのカッコよさにつながっていると思う。



実物体が誘導するフランカー干渉効果は自律神経活動と関連する(土居・小俣・栗原・山岸・柏井・植田)

 実際に「手に取れそう」な実物と、手には取れそうもない実物、実物そっくりな映像で感じ方は脳の働きのレベルで違うということを明らかにした研究。これは何気に美術館、博物館なんかでも結構関係が強いんじゃないかと思う。どうしても保管の安全性から、ケースに囲んで展示する、ということになるのだけれど、そのことが鑑賞した時の感じ方にも影響を与えている可能性がある。平面の絵画ならまだ影響は軽微かもしれないが、立体の彫像や日本美術のような道具が美術となる世界では、接触可能性の有無が鑑賞体験にも影響しそう。
 しかし、接触可能性が高い方が豊かな鑑賞体験ができるとしても、今は環境テロリストどもが多いから、なかなかケースの外に出すわけにもいかない。許すまじ、環境テロリスト。


 他にもいろいろと面白いと思った発表はあるのだけれど、ひとまずはこの辺で。いずれ別の記事の中で触れることになろう。



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