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社会起業家とその応援者の存在が、地域をガンガンと変えていく。

この記事では、富山県で活動する社会起業家の明石博之の活動紹介、そして富山の未来について考えていること、最後に活動のマニフェスト、私を応援してださる方の募集について書いています。


1.「気づいてしまった」という責任から。

普段は、古い町家や商業ビルをリノベして、そこに新しい価値を生み出す「場づくり」という仕事をしています。コンセプトなどの構想段階から、具体的な空間デザインなどに至る幅広い領域を手がけています。単に「空き家を活用する」という取組みでなく、まちの魅力づくりに貢献する「力強い点を打つ」という意識を持って。

広島から東京へ、そして富山県へ移住した私のローカルな活動は、射水市新湊地区を流れる内川沿いの町並みに惚れ込んでしまい、その町にあった古い空き家をリノベしたカフェ「uchikawa六角堂」をつくった事から始まりました。なぜ、故郷でもない地方の、しかも県内でもあまり知られていない、人通りもまばらな漁師町にカフェをつくったのかの理由は明確です。

こんな素敵なまちが、世の中にあったのが奇跡

それはこの町の魅力と可能性に「気づいてしまった」から。もしこのまま見て見ぬふりをしてしまったら、他の誰がこの町の魅力に気づいて行動を起こしてくれるだろうかと心配になり、何かせねばと勝手に責任を感じてしまいました。そして、自分なりの「力強い点」を打ち、ここに根を張り、世界に誇れるまちにしたいなぁ、という思いが溢れ出てきました。

新湊は今もなお現役の漁師町。内川には漁船が行儀よく同じ方向をむいて係留されていて、川沿いには昭和レトロな風情を保った町家が並び、ギザギザのスカイラインを形作っています。ウミドリが鳴き、野良猫が自由に遊び回る光景は、まるで用意された映画のセットのようです。

私はその瞬間、瞬間を全力で生きたいと思っています。かけ引きが苦手で、自分の欲求よりも、人が感動する瞬間に立ち会いたい気持ちが強く、パッションでいつも行動をしてしまいます。人やもの、まちの魅力に気づいてしまったら最後、計画するより行動が先行してしまうタイプ。空間デザインのやり方も、まさにそんな感じです。

とにかくスマートに生きる事ができない私は失敗と反省の毎日ですが、傷を負って失敗から学ぶことは沢山あります。しかし、私のことを誤解している人は多く、全て計算通りにビジネスを上手くやっていると見えるらしいです。夢を与えるべきか、苦労を語るべきかは本当に悩みます。

2. 新湊の魅力は内川にある。

妻も私も、海外に行った経験は少ないものの、日本全国の色々なまちで仕事をした経験によって「まちの魅力に気づく力」という能力を育ててきました。そんな私たちが太鼓判を押すまちが、新湊内川です。どのまちとも似て非なる特徴を持ち、イメージで言うと「高速で一点突破する魅力」ではなく「総合力の高い遅延性のある魅力」を持っています。内省的な地域性があるにも関わらず、町から伝わる雰囲気は場当たり的で即興的。誰かが町並みを計画したわけでもなく、ルールをつくったわけでもなく、自然と地場産業と文化が作用しあって出来上がったこの奇跡的な景色には底知れぬポテンシャルを感じます。

その一方で、文化的な価値よりも安心安全、利便性を優先した事業が動いていました。内川と出逢った2010年、すでに新湊の海側の地域では重点密集市街地整備の計画が動き始めていて、火災に弱いとされる木造密集市街地を国が指定して、かなり広いエリアの建物を丸ごと壊し、そこに消防車が通りやすい道路と宅地を整備する事業がはじまりました。奥行約50m×延長約1kmの面積の中にある数百軒の町家が消えてなくなりました。毎日のように「町家が殺される」現場を見るのは辛いです。

まだ使える素敵な空き家が次々と解体される

しかし、新たな示唆を与えてくれたのも事実。たしかに残念ではありますが、重点密集市街地整備によって、私のなかでの大事なものが明確になりました。少し視点を変えてみると「失うものがある反面、残るものはより価値が上がる」という心の拠り所が出来ました。最初は、新湊を面的に活性化したいと思っていましたが、アイデンティティは漁師町の風情を感じる内川沿いであり、ここを中心にしたゾーンで頑張る、そんな目標が見えてきました。

3. 社会起業家マインドのはじまり。

妻に誘われ、はじめて内川に訪れてこの光景を見た2010年当時、ここを世界から注目される場所にしたいと思ったのは、自分に「社会起業家」というマインドが芽生えていたからです。その起源は学生時代にさかのぼります。プロダクトデザイナーを志して多摩美術大学で勉強をしていた頃、当時の担当教授から「人と社会の間にデザインがある、これからは社会をデザインするという仕事が大事になる」という事を教えてもらいました。

同時に「君はプロダクトデザインに向いていない」という衝撃的なアドバイスも受け、非常に落ち込んだことを思い出します。具体的な仕事として何をするのかは理解できませんでしたが、「社会をデザインする」という言葉が、私にとっては非常に心地よい響きでした。あれだけ憧れたプロダクトデザイナーの道を諦め、今までまったく眼中になかった世界に興味を持ち、社会や地域の課題に取組んでいるシンクタンク(まちづくりのコンサルタント会社)へ入社することにしました。

道の駅と防災公園づくりワークショップ(新潟県)

その会社で働く人間は「研究員」という肩書を与えられますが、その響きは受け入れがたく、「自分だけは社会のデザイナーだ」という意識で働いていました。そのシンクタンクで働いていた時代は、東京から全国各地の過疎地域に通い、まちの魅力発掘と活性化の道筋までを行政や市民の皆さんと一緒に考え、社会実験を通して実現に向けて動いていくという、リアルな現場感が溢れる活動をしていました。

地域のニーズありきではなく、問題を問題として認知されていない段階から提案をはじめ、人を巻き込み、多様な主体者の合意形成を行い、報告書までをまとめるという役割です。外部コンサルは、ここまでが地域との関わり合いです。短い期間で地域を去ることの虚しさと後ろめたさを感じながら仕事をしていました。

こんな関わり方では「社会をデザインする」というレベルに達していないし、主体性がないままじゃないかと考えるようになって、自分が好きな場所を探し、その地域で根を張ることを決意しました。

4. 富山での不本意な再出発。

就職したシンクタンクでは、社長から実績を買われて、早くに役員に就任しました。人生の転機が訪れたのは、妻の故郷の富山へ移住を決めた直後。当時の社長が倒れてしまい、約8千万円の借金と共に、仕方なく会社を引き継ぐことになりました。なんという不運な人間なのだろうかと、自分の運命を恨みました。

しかし富山行は諦めることができず、引き継いだ会社を母体に富山オフィスのような形で富山での事業を開始しました。内川に出会い、魅力と可能性に気づいてしまった責任を感じてからは、内川での活動のことを考えながら、東京や他の地方の仕事を続けていました。富山でまったく実績のない会社がまともな仕事をもらえるまでは、数年かかりました。カフェの設備投資の資金調達も同じく、融資が決まるまで計画から2年ほどかかりました。なんとかなると楽観的に考えていましたが、実に厳しい道を選んでしまったのだと、後になって気づきました。

5. 社会起業フェイズへの投資。

東京時代は1年の半分が出張。大小あわせて毎年10件以上のプロジェクトを手掛けていました。地方が活性化しない構図が見え始め、ボトルネックの輪郭がはっきりしてきました。それは、社会的に意義のある活動や開発であっても、利益を生まない、予算がないという初期のフェイズに誰も投資したがらないという事です。

地方における最大の事業主体者は行政ですが、基本的には「問題解決型」の事業内容です。都会では資本力のある企業が集まっているので、地方の行政よりもダイナミックな開発をします。こちらはどちらかというと「価値創造型」の事業内容です。

以上のような構図から、地方で行政が「価値創造型」で事業投資することは難しく、また地方の企業が経済価値を生まない段階での事業投資が難しいという現状に整理できます。「問題解決型」の公共事業をするだけでは、ウェルビーイングな価値を生む地域にはなりません。

六角堂でのまちづくり勉強会、とにかく必死の毎日

このフェイズは、地域に必要な社会的な事業を先行して起こす意味を込めて「社会起業」のフェイズだと言えます。ここで活動するのが社会起業家です。誰に言われるわけでもなく、自主的に地域の課題を見つけて、ボトルネックを浮き彫りにします。それからどんな価値を生み出すべきかを構想し、必要な主体者を巻き込み、コーディネートし、実践フェイズまで牽引する役割を担います。

しかし、地方では公共性が高い事業は「税金を財源」に、地域の活動は「ボランティア精神」で汗をかく、という認識が世間に広く浸透しているため、社会起業家が仕事として活躍できる機会に恵まれることは稀です。

「社会起業」のフェイズで汗をかいた人に対して、誰がその対価を払うかが問題ですが、私が考える理想的な解決策は、顔の見える関係の中で支援者を見つけること。社会起業家を応援し、地域の成長を一緒に楽しめる感性を持った仲間から出資を募ることです。

6. 文化的価値を活かす、捨てる過渡期。

もしも、社会起業家の活動への投資が加速すれば「価値創造型」の起業も加速し、地域はもっと「早く」良くなると確信しています。この「早く」という点は非常に重要で、今、日本のローカルの文化的価値は、世界から注目を集めていますが、経済的なモノサシに負けているため、失ってしまうスピードは驚異的です。そのため残された時間はそう多くありません。

とくにこの10年で急激に失われつつあるローカルの文化的価値は、取捨選択を迫られていると思います。日本の人口が減ることを前提に、不必要なものを諦め、価値あるものや場所を選定し、集中的に残し、特徴あるものを磨き上がる。そうすべき分岐点に私たちは立っていると感じています。

六角堂の2階から眺める新湊の曳山

日本経済が右肩上がりだった50年前のノスタルジーに浸っている時間はありません。まだ現存している、まちの雰囲気、お祭や行事、郷土の風習、魅力的な風景など、そのような形のない文化的価値も同じく、残すものと捨てるもの、置き換えるものに対して、そこに暮らす人や関わる主体者が意思表示していかなければいけないと思います。豪商や豪農のように、かつては町で力を持っていた家系が文化をつくる、育てる役割を担っていましたが、今では「消費する側の人間」しかいない地域が多くなり、意思表示する人もいなくなりました。

7. 点が集まり、カルチャーが生まれる。

はじめての活動拠点「カフェuchikawa六角堂」をスタートするとき、店は最低10年続けることを決意しました。そして10年後には沢山の店が内川沿いに出来ている光景を想像しました。「カフェを利用する」という動機づけによって、内川の小さな玄関口をつくり、まちとの関係人口の拡大を目指しました。

その一方で、同じように内川で商売をしてくれる仲間を増やす活動が必要でした。「あんなところに古民家のカフェが出来た」という話題によって、次なる出店者が現れるのではないかと期待していましたが、たった1軒のカフェでは、それが仮に良い店だったとしても、世間から見ると「変わった人が特殊なことをやっている」という印象を持たれるようです。

ここから始まった富山での活動

結局、カフェが出来て以降の初期の頃に内川に開業したのは、妻が経営するデザイン会社のオフィス、元々交流のあった貸衣裳屋さんの内川店、東京時代に交流のあったアメリカ人が経営するバー、など身内や知人ばかりです。皆さんが口を揃えて言うのは、目指そうとする内川の未来の姿に共感してくれる言葉。とても嬉しく、そして勇気をもらい、私は今でもその方々には特別な感謝の気持ちを持っています。地域プレイヤーだからこその貴重な経験です。

初期のこれら4拠点は、内川沿いの古い空き家を活用して、私が空間デザインを担当させて頂いた物件であるという共通点を持っています。この時期を振り返ってみると、4つの拠点の存在が内川沿いにある程度の影響力を持った個性をつくり、新しいカルチャーがまちに生まれたタイミングだったと思います。

8. 交流人口を拡大するために。

この時期から、まったく私が関わらないプロジェクトが内川沿いで展開されるようになっていました。どの拠点も、誰が言うまでもなく、なんとなく町並みに配慮した外観になっていて、他の皆さんと協調しようという配慮を感じます。内川が好き=同じような感性をもった人々が集まるようになってきたとも言えます。

2017年のこと、このまちには素敵な宿が足りないと思うようになりました。カフェは県内や近隣県からのお客さんが訪れる場所ですが、遠方から、海外からの交流人口を増やすには宿泊施設が必要だと考えました。しかし、ただでさえ不本意ながら引き継いだ8千万円の借金残高がなかなか減らないうえに、カフェの融資がやっと折り返し地点に来たばかりで、会社の経営的は非常に厳しい状況でした。

それでも、どうしても内川に素敵な宿をつくりたかったのです。この時はすでに「宿もまちのインフラ」という認識を持つようになっていて、これ以上の投資は危険かもしれないと思いつつ、当時はまだ内川沿いに宿ができる気配がなかったので、思い切って宿をつくることにしました。

元漁師さんの町家・カモメ棟とウミネコ棟

2019年5月、1棟貸しの宿「水辺の民家ホテル」がオープン。なかなか順調なスタートを切りましたが1年後にはコロナ禍の厳しい時代に突入し、その状況はどの宿泊施設でも同様に大変苦しく、出口の見えない時期を過ごしました。

9. 宿の存在が大きな変化を生む。

私には「良い宿をつくった」という自負があります。ここで時間を過ごした人は、きっと内川が好きになるという自信があります。県境を越えた人の移動が気軽に出来るような雰囲気になって以来、私は色々な人に宿を紹介し、安心して内川に遊びに来てもらえるよう、内川での宿泊を強力プッシュしてきました。また、ふらっと遊びに来てくれた方にも、出来る限り宿を見学してもらい、次回の宿泊を促しました。

水辺をのぞむ宿のダイニング

もちろん、知人が泊まれば夜は一緒に食事をして、飲んで語って。今度はその方の紹介で知人が遊びに来てくれて、また一緒に食事して、飲んで語って。その連鎖は尽きることを知りません。気が合う人がまたさらに気が合う人を連れてきてくれます。宿が出来てからはさらに、まち歩きや、内川のプレゼン、取材対応の機会が増えました。

そのうち、一人、二人と「内川に物件が欲しい」とか、「私も内川で宿をやりたい」とか、「移住は出来ないけど二拠点の場所がほしい」とか、そんな要望を聞くようになり、彼らのために物件探しを引き受けるようになりました。

10. これからの活動。

uchikawa六角堂がオープンして以来、新しい拠点が20カ所以上オープンしています。これからの内川はもっと面白いまちにあるはずです。私が知っているだけですでに8件以上のプロジェクトが予定されていて、10名以上の方から物件探しを頼まれています。ここまで来ればゾーンとしての魅力が認知されていると確信しています。出店や移住したいニーズは増すばかりですが、「使える空き家が足りない問題」という、嬉しくも悩ましい事態が発生しています。

まだまだポテンシャルのある内川の魅力を深掘り、かつもっとダイナミックな動きを展開したいと思っています。

私のアイデンティティは「富山県」です。内川に限らず、事業拠点を持たない富山の他の地域でも社会起業活動に力を入れていきます。まずは地域の文化的価値、社会問題のボトルネックを見つけて、研究するところからはじめます。

例えば氷見市では、移住に関する暮らしや仕事の相談窓口を7年以上やってきました。この事業が軌道に乗り、今では年間40名以上の方の移住をサポートしています。氷見での移住者の増加につながっている要因の1つとしては、まさに社会起業フェイズにあたる数年前から、空き家調査に関わるようになり、市内の空き家数百件を見学した経験が活かされ、空き家バンクのWEBページをゼロから企画して制作しました。それから賃貸物件を増やすよう働きかけ、その戦略が移住者増加に結びついてると自負していますが、もっともっと面白い仕掛けが出来ると思っています。

富山県成長戦略カンファレンス・スペシャルセッションにて

富山県内にはまだまだ可能性を秘めた町、地域、テーマ、分野があり、やりたいことが山のようにあるので、社会起業家としての活動範囲を広げたいと考えています。

また、一昨年より部会の委員として参加している「富山県成長戦略会議」を通じた人とつながりは、私の人生観を変えたと言っても過言ではありません。このプラットホームはとても偉大であり、社会起業家としての私を成長させてくれるチャンスをくれました。

私を推薦してくれる方、また関係者の方々には心から感謝しています。まだまだ先の見えないトンネルの中を走っていますが、やっとその先の光が少し見えてきたように感じます。出会いは人生を変え、感謝と反省の機会を与えてくれます。

11. 社会起業のマニフェスト。

社会起業家、明石博之はこれから富山県内にて、以下のことに取り組んでいくことを誓います。今の私は「スタンバイOK!」という状態です。この世界でずっとやってきた経験を活かして、出し惜しみなくその力を発揮したい、富山の未来のために貢献したいと思っています。

1)世界から注目される内川に。

まだまだ無限の可能性があります。内川に魅了されて「ここで何かを始めたい」と希望する人との出会いは、毎月最低1人(1社)以上あります。ありがたいことに、地域内外を問わず、内川のセールスマンみたいな人が増えてきていて、人が人を呼ぶ好循環が生まれています。ここ1年以内の新しい動きとしては、海外で活躍するクリエーターや、ローカルプレイヤーとして注目を集めている事業家やアーティスト、世界的に有名なブランドを持つ企業などが物件を探すために内川を訪れています。

「今度、イギリスで有名なクラフトビールの会社をやっている友達を連れて来るから宜しく!」という感じの会話が当たり前になってきました。海外を飛び回っている知人から、内川は世界で勝負できるという励ましの言葉をよくもらいますし、実際に海外で活躍されている人からは「日本の拠点は内川で」ということで、物件探しのオファーをもらうこともあります。今のこの注度はヤバいです。一方ではこの地に暮らす住民の一人として、静かな漁師町の雰囲気を大事にする活動も続けていきたいと思います。あくまでも内川の日常は住民のためにあるべきです。世界から注目される未来は、すぐそこまで来ていると感じています。

2)富山県内にワクワクな町を10ヶ所以上つくる。

私が個人的に好きで、ポテンシャルが高いなぁーと思う町や地域をご紹介します。南砺市の井波町や富山市の八尾町のように、すでにまちづくりが盛り上がっている地域、企業が投資している(テコ入れ)地域は除きます。

射水市の海老江、氷見市の小滝・角間、高岡市の伏木、高岡市の戸出、高岡市の金屋町、小谷部市の福町、富山市の四方、富山市の南富山駅周辺、滑川市の中滑川駅の北側地区、黒部市の生地、です。これらの町や地域は、文化的な価値が残っているので、それをベースにやり方次第では面白いことができそうな雰囲気を感じます。

富山地鉄の終点「南富山駅」周辺にはカルチャーがいっぱい

まず、その町で暮らしているまちづくりプレイヤーがいれば、また事業をしている企業があれば、一緒にまちの未来ビジョンを語るところから始めてみたいです。

3)官民連携のまちづくり会社をスタートさせる。

今年、県内のまちづくりに取り組む仲間と一緒に、官民連携で社会課題に取り組むプラットホーム「一般社団法人しあわせデザイン」という組織を立ち上げました。目標はウェルビーングな新しい観光を開発し、富山県の成長戦略会議が目指している「幸せな関係人口1000万人」に寄与する事業を展開することです。

しあわせデザイン、立上げ準備会にて

とは言え、会社登記が終わっただけの状態で、活動はおろか、まだ人員も予算もありません。私は言い出しっぺの一人として、主に出資金集めに向けた組織のコンセプトワークや事業計画などの書類をつくり、プレゼン活動をすることにしました。事業がしっかり回るようになるまでの事務局的な役割を担っていく覚悟でいます。このような組織の事例は全国的に見ても珍しく、正式なプレスリリースが行われたときには世間から注目されるニュースになると思います。

富山県庁も出資することは決まっていますが、企業から出資があることが前提です。しかし、スポンサーが集まるまでの期間、まったく活動費がありません。これも社会起業フェイズと同じ構図になっています。

4)富山の田園地域の問題をアートで解決する。

全国各地で個性ある魅力的な芸術祭が行われるようになってきました。近くでは石川県珠洲市の奥能登芸術祭が有名で、非常に注目されているアートイベントとして成長を遂げています。富山県内もアートビエンナーレをはじめ、2023年は北陸工芸の祭典「Go for Kogei」が富山市で開催されました。

私が考えるアートは、単に有名作家の作品を展示することだけではなく、形ある作品が必要であるわけではなく、仮に鑑賞の対象物がなくとも、与えたれた条件を自由な解釈で楽しむことだと思っています。今まで乗り越えられなかった壁でも、アートであれば誰もが肯定的に受け入れてくれる可能性を秘めている、まさに魔法です。

その発想を田園地域に取り込んでみたいと考えています。様々な問題をアートで解決するべく、また田園地域の暮らしを豊かにし、産業を活性化するための新たな視点としてアートを取り込むことを提案します。アートは既存の価値観を破壊して、再構築する力を持っています。言い過ぎではありますが「アートだから何でもあり」という魔法を使って、地域資源のポテンシャルを高めることができないかと考えています。

閉鎖的なコミュニティを開く、新しい発想で農業や林業のあり方を考え直す、田園風景そのものをマネタイズする、空き家の利用方法の突破口をつくる、などの検討をしてみたいです。1917年、現代アートの父、マルセル・デュシャンが便器にサインをしただけの物体を作品として出品したことでアートに新しい道が開かれたように、自由なアイデアが物体の存在意義を変えてしまったのです。

5年後、富山県の田園地域全域で、様々な解釈によるアートを取り入れた社会課題型イベント「田園の芸術祭」を開催し、世界から注目される取り組みにします。

12. 私と一緒に富山を楽しくしましょう。

以上の目標を達成するために、明石博之は社会起業家としてワクワクする富山の未来にむけて活動します。富山県に移住してから13年、余力以上の社会起業活動を続け、身の丈以上に内川に投資をしてきたことで、今の私には、自分に投資をする経済的な余力が残っていません。しかし、これからも知恵を絞り出し、精一杯の汗をかきます。

あと10年は余裕で頑張れると思います。今後の私の活動を応援していただき、夢を実現するまでの過程を一緒に楽しんでくださる方を募集します。社会起業家としての未来にコミットするため、新たに「株式会社空と箱(ソラトハコ」という会社を創設しました。この会社の株主として事業にジョインいただければ光栄です。

  • 出資1口:100万円 (募集合計:10口)

  • 使い道:マニフェスト実現のための活動費

  • リターン:一緒に夢を見ること、楽しい事業にジョインすること。

  • 募集期間:2024年1月中(次回)

  • 出資者資格:直接的に面識がある方かつご自身で事業を経営されている方(もしくは今後事業を立ち上げる予定の方)

  • 申込方法:Facebookメッセンジャーにてご連絡ください。

※リターン:A種類株式を発行します。議決権は無し、利益配当は普通株の1.2倍の優遇が付いています。詳しくはお問合せください。

また、応援してくださる方同士の交流や社会起業、まちづくりの理解を深める勉強会も開催したいと思います。次世代の社会起業家を育てるためにも、皆さんのご理解とご支援を賜りたいと思っていますので、何卒よろしくお願いします。

2013年、六角堂がオープンした年の夏(まだ若い)

私は…、ビールが好き、日本酒が苦手。SFが好き、リアルドラマが苦手。秘密基地が好き、高層ビルが苦手。レトロ家具が好き、大量生産品が苦手。おしゃべりが好き、議論が苦手。少年のような人が好き、大人ぶる人が苦手。

    社会起業家 明石博之
    株式会社 空と箱    代表取締役
    GNL株式会社 代表取締役

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