目からウロコな話。

家族で話している時、姉や妹たちは自分の友達のことを「○○ちゃんはね、」「○○くんが、」とか名前やニックネームで呼ぶ

だから全員の顔は知らないけど彼女たちの交流のある人達の名前はなんか聞いたことある名前だねってなるし、
彼女たちが話す頻度が高い名前についてはもう自分も知り合いのような感覚になって同じ呼び方をしたりする

自分は彼女たちとは違ってあんまり固有名詞で自分の交友関係を話さない
「友達がさ、」「先輩がね、」と代名詞で話すことがほとんどだ
(家族ぐるみの人とかは別だけど)

だから彼女たちも親も、自分の交友関係についてあまり把握していないと思う


このことについて以前、姉がこのようなことを言っていた

「友達を【友達】ってだけで呼びたくない、出来れば名前で言いたいし、知って欲しい」
「あんまり関わりのない人とかについて話す時は別にいいけど、【友達】って言っても色んな距離感があるし、一緒くたにしたくない」

なるほど、と思った

そういった考えがあってのことなのかとすごく納得がいった
正直なんで彼女たちはこっちは分からない人なのに名前で説明するのだろうと長年不思議に思っていたからだ

そして、目からウロコのような感覚だった
自分の中にはない考えだったからだ

なんというか、そんな風に自分の交友関係を家族に知って欲しいとかをあまり思わない
知られたくないわけではないけど、知って欲しいとは思わない

(誤解の無いように伝えておくが家族仲はとても良好)

普通に面白いことがあった時などには話したくなるけれど、
その場合は「今日友達がね、」で済む
「中学のときの友達でね、」など補足をつける場合もあるけれどそのくらい

それに、自分の中で友達は【友達】なのだ

もちろん仲の良さとか、距離感の違いはあるし、
【友達】の中にも
【中学時代の友達】【高校時代の友達】などの違いもある

友達まではいかないかなって場合は【知り合い】となるだけだし、
「友達が、」など代名詞を用いて話をすることに対して特別何とも思わない

これ関連で1つ話を足すと、
「遊びに行ってくる」と伝えると、
母から高確率で返ってくる「誰と?」という問いが少し苦手

母に他意が無いことは承知しているものの、
正直名前を言っても知らないしなあ、誰でもよくね?と思ってしまうのだ

知っていれば名前を言うけれど、「高校のときの友達」という風に返す時が多いので余計にそう思うのだ

(誤解の無いようもう一度伝えておくが家族仲はとても良好、母のことももちろん好き)


そんなことを考えていると自分は少しドライな人間なのか?なんて思うのだが、
別に家族に自分の交友関係を開けっぴろげにしないことに対してなにか意図があるわけではない

自分は、自分と自分以外の人との距離が少し広めなのかもしれないとは少し思った

【自分】、【家族】、【友達】などというある種、分類を自分の中でしているところはあるのかも


少し前、父が「性格を作る大きな要因は環境だろう」と言っていた

自分もその意見は一理あると思っているので、
同じような環境で育ってきたはずの姉や妹たちとこういった所での違いがあることを不思議に思う

けれどその違いも自分の一部だし、嫌いじゃないかな

また少しnoteを書きながら自分を知れたような気がした、そんな話。

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