未知の深夜とスタンド・バイ・ミー

小学校の頃までの平日は、いつも夜の9時を過ぎすると、親に早く寝るように急かされていた。

水曜日になれば、「 トリビアの泉 」が9時から放送されていたが、番組を全部見る前に親に急かされて布団に入っていた。なので、フルで見たことがほとんどなかった。

しかし、金曜日の金曜ロードショーは、なぜか見ることができた。それも親も一緒になって見ることがしばしばであった。

土曜日のエンタの神様。これも全部見ることができた。しかし、見終わった途端に即布団へ直行だ。次の日の朝早くにアニメがあるからだ。

小学生の時の僕の日常は、これ繰り返しであった。

そのため、当時の僕にとって夜の12時、ましてや日をまたぐ時間帯というのは未知であった。また、未知であると同時に真夜中というものが神秘的だと思っていた。

普段、寝ている間にいつの間にか過ぎている時間。

朝起きた時に、「本当に8時間も寝ていたのか? 」と疑問に思ったことが何度もあった。もしかしたら、夜中の時間ってめちゃくちゃ早く流れているのかな?なんて考えたりもした。

だから、一年に一度、大晦日の日に年越しをする瞬間はホントにドキドキしていた。日をまたぐ瞬間に立ち会えたら、なにかとんでもない事が起きるんじゃないかなって。

でも慣れていない時間まで起きていると眠気はすぐにやってくるもので、年越しを体験してもその数分後には布団の中に入っていた。なので結局、小学生の時は、深夜1時や2時まで起きていたことはなかった。

時が経ち、高校生。この時期になると夜中まで起きてるなんてことは日常茶飯事だった。

友達と電話してたり、ゲームしてたり、勉強してたり。今も夜中の過ごし方は高校の時と比べてもほとんど変化がない。

今、過去を振り返って考えているが、おそらくもう二度と、小学生の頃に抱いた真夜中への憧れってものは味わえないような気がする。深夜というものを体験し尽くしてしまったからだ。

そう考えると、なにか寂しい。あのドキドキを、もう体感することができないなんて。

何かを知ってしまうと得した気分になるのが普通なのかもしれませんが、深夜を知ってしまった今は、ちょっと損した気分になってしまう。

もう、戻れないんだなって。

ノスタルジックってやつですかね。

そう思うと、ふとスティーブン・キング原作の映画「 スタンド・バイ・ミー 」をラストシーンを思い出した。

映画のラストで、主人公が小学生の頃の友人との思い出を振り返り、自身のパソコンにその回想を綴っていく。そして、最後に締めの一言を書いて、庭で遊ぼうと誘ってきた息子たちのもとへ駆けていくシーンだ。

あのラストシーンは、子どもの時の自分と大人になった自分とが決別するようなシーンに思えるのだ。

僕にとっての深夜、スタンド・バイ・ミーにとっての主人公たちの一夏の冒険。

過去との決別って寂しくて名残惜しいけど、今だからこそ楽しめることもあると、あの映画から教わった気がします。

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