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#050_231220 すべてがバラ色とはいかないけれど;デイリー通信簿

【朝→昼→夜】7→8→8
【SRED】→2
(朝、発覚した…寝ながら、クリームシチューを作ってまで食べたこと…)
【総合】→8

しばらく、投稿をしなかった。単に執筆を忘れてしまうほど、調子が良く、スケートやスタジオでの活動に夢中になっていた。生きづらさから抜けた感じ、心が軽くなったことを存分に謳歌していた。

6時起床。睡眠のリズムを整えるには何か一つでもいいので「同じ時刻にすることを決める」私の場合、起床時刻を6時にすること。ここは守れている。

11月、SREDが落ち着いていて、寝る直前の過食はなかった。しかし、この数日、食べてしまって、朝、起きた時、胃がもたれる。一体、何に満たされていないというのか?

生きづらさから抜けてもその状態がずっと続くという訳ではなく、一進一退するとは聞き及んでいたけれど、再び「食べてしまった」今、罪悪感を感じる。

地元の支援団体はフードバンクのお願いの電話をするたびに「特に変わりはないですか?アルバイトしたりしないんですか?」とけっこう、人当たりがきつい。やはり、フードバンクの利用はピンチの時だけで(いや、私の家計は常にピンチ)ある程度の支援を受けたら、自分で働いたり、アルバイトをしたりして支援から抜けなければならないのか?といった見えない圧力を感じる。

双極性障害を持つ身の上として、いわゆる労働市場=森の中からつまはじきになり、森の外へ出た。森の外にも「成功」という名の果実はあるとの理解は益田Dr. (早稲田メンタルクリニック)や私の主治医はしてくださるけれども、全員が理解してくれると思わない方がいい。私はもう森の中に戻ろうとは思わない。森の外で開花できそうな予感がするから。

森の外で開花、それは私の持ちうる最強で最高で最終の武器、ダンスとスケートの融合。今、氷の上で踊っているダンスはアルゼンチンのウリセスの振付だけど、SNSでそれをシェアしたところ、ウリセス本人が彼のアカウントにシェアしてくれた。スペイン語で「彼女がスケート靴でリトモスを踊るのが大好きです。」と言葉が添えてあった。ここは私の特技が伝わった。喜ぶべきことだと思う。

夜は英語圏のお友だちと2人で「忘年会」私が大好きな水辺のイタリアンで食事して、その後、カラオケで発散!カラオケ、何年ぶり?何十年ぶり?でも、行ってよかった。私はシニア割引にも障害者手帳割引にも該当した。手帳割引を利用すると同伴してくれたお友だちにも「付き添い」として割引が適用された。ありがたいと思った。

福祉を利用しているとフードバンクの支援団体のように「早く働けるようになって、自分で食べ物、買えるようになってください」みたいな圧力をかけられることもある。一方、障害者手帳を持っていることにより、今回のカラオケ料金みたいに「普通の人と同じような活動」ができるように計らってもらえる。人生、何もかもがバラ色ではないとはこういうこと。私の病気や障害を理解してくれる人もいるし、いまだに偏見を持つ人もいる。だけど、私には付き合う相手を選ぶことができる。そして、生きるため利用できる制度はありがたく利用する。今の私なら堂々と生きる権利を主張できる。そしてたくさんの人に助けられてなんとか生きていられることに感謝している。

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