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#026_231114 理解は一発勝負ではない;デイリー通信簿

【朝→昼→夜】3→4→7
【SRED】→2
【総合】→7

苦悩していた訪問看護との関係性がやっと落ち着いた。
利用の中止、事業所の変更という選択肢も浮上したが、私はなるべくそれを避けたかった。

面会の前半は核心に触れず、当たり障りない会話をした。でも後半で、冷静かつ率直に打ち明けた。フードバンクの利用中止を言い渡されて、苦悩したことを。淡々と。

私は2018年までOLとして労働市場にいたけど、事業所から雇い止めにされ、その3ヶ月後に唯一の家族だった母と生き別れた。不運が度重なる中、起業して何とかV字回復に挑んだ。まぁ、失敗したけれど。障がい者だもの、そんなもんだ。

もし、今、私に与えられているミッションがあるとすれば、まずは健全な心身を創ること。だから、フィットネスクラブに通うことも治療の一貫。サバイバルするため、生きる気力を高めるためのフィットネスクラブだったが、想定外にそこで自分の適性を知った。

私はOLとか起業家としてではなく、どうやら、スタジオで才能が開花するようだ。お勤めをしても起業してもうまくいかない私だけどスタジオではみんなに頼られている。障害の有無関係なく、スタジオでの活動ではなぜか、上出来。訪問看護に理解が得られない間、限りある診察時間の中で、主治医ととことん議論した結果でもある。

成功を定義づけしなさい、とよく啓発本に書いてあるけど、「成功=ビジネス」としか捉えてなければ、私みたいに弱い人間はいともたやすく負けて弾き出されてしまう。「成功=才能の開花」と捉えたら私はとっくの昔から成功者だ。有名でも何でもないけれど、私はスタジオにいる時、ほぼ100%笑っている。その点で私は幸せだ。

主治医は爽やかで明るい人だと思うが、気休めみたいなことは決して言わない。私みたいに働けなくなった人間にも生きる価値があるか?ないか?みたいな質問にもすんなりと「あるよ」とは言ってくださらなかった。もちろん、ないともおっしゃらず…

訪問看護と折り合いがつかないことに関しても、診察時間がないから「じゃ、事業所変えよう」みたいな適当なことを言って私を帰らせることもなかった。

主治医のご助言でもあったけど「苦悩をそのまま訪看に伝えてみたらいいのでは?」それをする勇気と心構えを作るのに時間が必要だった。その間、いつでもどこでも「マインドフル瞑想」を練習した。バスの車中、バスタブに浸かる時、etc…

今日のところ、訪問看護は理解を示してくれたと思う。この事実を私は疑わない。この経験から学んだことは「理解は一発勝負で得られるとは限らない」今回のように伝え方を工夫したり、好ましい結果は何か?みたいなことまでざっくりとシナリオも考えた。最悪の事態も想定する。そうはなってほしくないと対策を考えながら。

この先、再び労働市場に戻って「普通の生き方」既定路線に戻れるかどうかわからない。子どもの頃からの夢、海外移住ができるかどうかもわからない。でも「今できること」「楽しいと思えること」を続けて、自分の心境を変えていくしかない。


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