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嫌いなことば

前にネガティブワードに纏わる事柄について書いたが、ポジティブワードについても書いておく。いわゆる天邪鬼で捻くれ者なので、ポジティブワードに敏感だ。どうにも気になる。鼻につく。

「絆」

近年、これほど単価が下がった単語もないだろう。本当に安っぽい。震災のころからだと思うが、何でもかんでも、絆、きずな。その裏には日本人独特の村社会的同調圧力が見え隠れするようでならない。万能ワード的に扱われるのも気持ちが悪い。

「元気をもらいました」「元気を届けたい」

元来、個人の精神的、肉体的活動の状態を示していた「元気」は、いつから遣り取り可能な物質的なモノに成り果てたのか?元気は自分でなるものだし、ましてや自分が好きでやってるだけのことのついでで人様に送れるなんぞ、考えること自体おこがましいとは思わないのか?「元気になってもらえたら嬉しい」くらいの控えめさが欲しいところだ。

(国内、一部の領域での)「ボランティア」

この国は何かあると、すぐ一緒くたにボランティアに頼り、それを美談として取り上げる傾向があるが、果たしてそれで良いのか?やってる人たちは善意のつもりかも知れないが、本来、相応の報酬が払われるべき領域にボランティア活動という無報酬で働く人間たちが送り込まれれば、そこで発生するはずだった経済活動が生じなくなってしまう。また、ろくに装備もしてこない旅行気分の災害ボランティア。経費削減のためだけに国家(と一部企業)の演出したお祭り気分に流され、危険な炎天下で働かされるだろう、○リン○ックボランティアたち。痛い。

「とりあえずビール」的に使われる、これらのワードたち。きちんとその意味を考えているのか?言霊信奉者ではないが、少なくとも思考と言語には密接な関連があると考えている。脊髄反射的な安直な言葉の無駄遣いには、思考停止のリスクがある。耳触りのよい単語にこそ、疑いと警戒心を抱くべきだと思う。

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