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老害退治

 何が嫌いかと言って、独善的な年寄りほど嫌いなものはない。おれも年寄りの部類だから「老害」という言葉は嫌いだが、昨今、その言葉にふさわしい年寄りが多いことも事実だ。
 もちろんおれは、そんな老害ではない。自慢話はしないし、近頃の若い者はなどと文句を言ったりもしない。職業柄言葉遣いにはうるさいが、普段は極めて温厚である。
 今日も散歩中に、まさに老害という言葉がぴったりのジジイに出くわした。信号待ちをしていると、自転車に乗った女子大生が信号無視をして渡ろうとした。
 おれは運転中はもちろん、自転車に乗っているときでも、信号や一時停止は守るし、最近はきちんとヘルメットを付けているタイプである。
 女子大生のマナーには眉を顰めるのだが、まあ、車は来ないし片側一車線の細い道路だ。自己責任で渡る以上、さしたる問題ではないと思う。
 突然、「信号は赤や!」と怒鳴り声がした。
 見ると、左から自転車に乗ったジジイがやってくる。「信号を守らんかい!」となおもジジイは怒鳴る。女子大生は、怯えた表情でブレーキをかけた。
 せめて「信号を守りや」という言い方なら、おれもカッとはならなかったのだが、そのジジイの声量と激しい口調はひどすぎた。正直、おれもビクッとしてしまい、そのことに対する腹立ちも大きかったのだと思う。
 もちろん、そんな思惑以前に、おれは女子大生の味方である。近所に女子大があって、おそらくそこの学生だろう。ジジイの6倍はマシな存在だ。おれは、断然、彼女を庇うことにした。
「おいこらジジイ!」とおれは、大声で怒鳴った。「信号無視を注意するのはいいが、そもそも自転車は左側通行だぞ。お前は、今、右側を走っていたな。自分はルールを無視するくせに、人を怒鳴りつけるとはどういう了見だ」
 ジジイは、呆気にとられている。口をパクパクさせているが、言葉は出てこない。まだ、おれのターンのようだ。おれは、やや声量を絞り言葉を続けた。
「知っておるか? お前のようなやつのことを『猿の尻笑い』と言う。一般的に言えば『目くそ鼻くそを笑う』だ。ちなみに英語では『The pot calls the kettle black.(なべがやかんのことを黒いと馬鹿にする)』である。どうだ、まいったか!」
 杉下右京のように顔面をプルプルさせながら「恥を知りなさい!」と決め台詞を言おうとして、女子大生の方をチラッと見た。
 だが、なんと言うことだ。彼女はもういなかった。その姿は信号を渡って、すでにはるか彼方である。背中を丸めて、懸命に自転車をこいでいるのだ。彼女の頭の上にセリフを付けるとすれば、「くわばらくわばら」だろうか。
 おれは、一瞬で脱力した。
「災難でしたね。気にしないことです。どうですか、これからお茶でも」と頭の中でシミュレーションしていたのだが、無駄になってしまったのだ。おれのジジイに対する力説は、すべて無意味だった。
「もう、いい」とおれは、ジジイに向かって力なく言った。ジジイは、呆気にとられた表情のまま走り去った。今度は、道路を渡り、ちゃんと左側を走っていた。
 それにしても、助けてやったのに、その恩を忘れて勝手に行ってしまうとは……。猿にも劣る女子大生である。いや、恩返しをするのは猿じゃなかったか。亀の恩返し……も、ちょっと違うな。カニの恩返しも違うな。ポチの恩返しだったかな。タマの恩返し……。
 ええいっ、そんなことはどうでもいいっ! なんにしてもあの女子大生は、怪しからん。親の顔が見たいものだ。どうせ、母親は辻元清美似、父親は菅直人似に決まっている。ああ、腹が立つ。
 何が嫌いだと言って、恩知らずな女子大生ほど嫌いなものはない(以下ループ)。


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