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優しさはどこからくるのか。

 人は、悲しみが多いほど人には優しくできる。

 そんな言葉を時々耳にする。そして僕は、それをあまり疑うことなく最近まで生きてきました。でも、半年くらい前、ある先輩が子どもに送った言葉を見て「確かに!」と思わず納得し、そして自分でも考えるようになりました。人に優しくできるのは、辛い経験があったからなのか。人に優しくするには、悲しみが必要なのか。

 その先輩はこんなことを書いていました。

 辛い経験をした分、人に優しくなれるっていうでしょ?僕はあれ違うと思うんです。辛い経験しかしなかった人は、周りの人にも自分と同じ経験をさせたくなる。痛い経験しかしなかった人は、周りにも同じように暴力を振るう。じゃあ、辛さの分優しくなるためには、辛い経験の他に何が必要なんだと思いますか?

 みなさんは、この質問の答、なんだと思いますか?

 僕は今、『今日はこんな子育てしてみました』という共同マガジンに参加しています。第2期第2号のテーマは「子どもができて優しくされたこと」でした。

 そして自分で記事を書き、他の方々の記事を読みながら、ぼんやり考えていたこの質問の答が、すとんと腑に落ちたのです。

 辛い経験をした分人に優しくなれる人、それは、辛い経験と同じくらい優しくされた経験のある人です。

 この先輩の言う通り、辛い経験や痛い経験「しか」してこなかった人は、確実に周りにその経験を押し付けると僕は思う。だけど、「辛い経験をした分、人には優しくできる」これも間違いじゃないんだ、きっと。

 時間や人数の問題じゃない。その人にとって、辛さや痛さをある程度和らげるのに十分なだけの優しさ。それを与えてもらえた人だけが、自分の経験した辛さや痛さ、苦しさを、今度は人に寄り添うために、癒やすために使えるんだ。

 神戸の人たちが東北の人を全力で応援したのも、その東北の人たちがその後の大雨や洪水の被災地に手を差し伸べたのも、辛い経験のあと、その苦しみの中で、人に支えてもらえたからだ。(だからきっと、そういう素敵なニュースの影に、「俺は自分のことで手一杯だこのやろう!」と怒っている人もいるはずだ。)

 虐待を受けた人が「私は絶対にこんなことをしない」と思いながらも、実際にはそうできずに気づけば虐待してしまったり、いじめられた人がいじめる側に回ったり…もちろんこんな短い文で全てが明かせるほど単純な話じゃないことはわかってる。だけど、ただ綺麗事のように「悲しみが多いほど人には優しくできる」なんて言ってはいけない気がする。悲しみも苦しみも痛みも、被害者だけじゃなく、時として新たな加害者を生むんだ。

 悲しみが多いほど人には優しくできる。

 そうできるのはきっと、まさに苦しみの中にいるあなたに寄り添って、この言葉と、それ以上の優しさを与えてくれた「その人」のおかげなんだと僕は思う。

 「そういう人」がそばにいること。

 これが、僕なりの、先輩の質問への答です。みなさんはどう思いますか。

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あべ@be マガジン紹介。

ちょっと不思議な子どもの話。』(日々の子どもたちとのやりとりなど。)

今日はこんな子育てしてみました 1st.』(共同マガジン第1期はこちら。)

希少種【B型左利き】のナナメのメ』(勝手気ままなコラムです。)

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