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権利の上に眠らない ある愛煙家の訴え

今年の4月から仕事の責任範囲が広がって、珍しくプレッシャーやら責任感やらで多少追い詰められて、モチベーションも低下して、つまり何が言いたいかと言うと、ずっと書いてなかった!

久々に書く。

ある愛煙家の人が居場所を失い精神的苦痛を強いられたとして国を提訴したらしい。

国が施行した改正健康増進法は違憲だと。この法律のせいで、好きだった喫茶店で喫煙できなくなり安らぎの居場所を失ったという訴え。
※ニュースはこちら

私は煙草を吸わないし、時流を考えても、思いもよらない訴え出で驚いた。

日本の場合、たとえ違憲判決が出たとしても、三権分立に基づいて直ちに法律が廃止もしくは改正されるわけじゃない。

だから今回の場合、もしこの愛煙家が違憲判決を勝ち取ったとしても、必ずしもこの嫌煙の流れを変えられるわけじゃない。居場所は戻ってこない。

そしてまずもって違憲判決は出ないでしょう。

じゃあなんでわざわざ国を訴えたりするんだろう。

多くの人が一度も裁判をすることなく人生を終えていくだろう和やかな日々において、この人がわざわざ人生に荒波を立てる理由は何だろう。

高校の時に現代文の教科書で、権利の上に眠るものという文章を読んだ。権利は行使して初めて意味を持つのだと理解している。漫然と持っているだけのものではない。

この人は権利の上に眠らなかったのよね。

この人の訴えを、下らないとか、時代遅れだとか、意味がないとか、そんなふうに片付けてしまうことのないよう。私はそうでありたい。

炎上商法なんてものが生まれてから敬遠されがちですが、画一的な結論に落ち着いてる周囲に対して議論を呼び起こすような言動をするのは、ひとつのリーダーシップのはずだ。

英語でいうcontroversial。私は結構この単語が好き。

まぁ個人的には、昨今の禁煙化・分煙化は歓迎だから、違憲判決出ちゃうとそれはそれで困っちゃうから応援はできないのだけれどね。

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