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ドイツに来た理由 / 「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」

ドイツ2日目。発熱して寝込んだ1日目。

7時に目覚ましをセットしていたけど、なんとなくまだ体調が悪くて結局9時くらいに起きる。

でも、今日はどうしても動き出したかった。

私がドイツを訪れたかったのは、2つの理由がある。
一つ目に、大学の第2外国語でとっていたのがドイツ語だから。

今はトルコに留学してトルコ語を勉強しているから、もうどちらかというと反射的にトルコ語の方が出てきてしまうのだが。

でも、1年間週4回、頑張って学んだ言語。さらに、先生が(めっちゃ厳しかったけど!)大好きだった。その先生が惹かれるドイツという国、言語に、私も惹かれてしまったのだ。


2つ目。どうして第2外国語でドイツ語を選択したのかにも関係する。ユダヤの歴史、ナチスの歴史に興味があったから。

最初は単純な興味で、どうしてこんなことが起こってしまったのか気になっただけだった。だって、おかしいって分かるでしょう。民族系統が違うだけで、虐殺する(される)理由になるなんて。

どうしてあの時代にヒトラーが圧倒的な権力を持ってしまったのか、それを止められなかったのか、人々が傾倒していったのはなぜか。そんな疑問が自分の中でずっとあった。

だから今回は、ドイツではユダヤ・ナチスの歴史にまつわる場所を巡ろうと決めていた。


まずは、「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」。

実はその周辺にはブランデンブルク門やベルリンの壁など観光場所が固まっており、それらもついでに見に行こうと考えていた。

ベルリンの壁を探して、マップを見ながら移動する。なぜかドイツはインターネットが繋がりにくくて、マップ半分・自分の勘半分で行動していた。(あてずっぽうすぎ)


すると、いきなり異様な雰囲気がする場所に出た。
一面に灰色の四角い石が、山のように並んでいるのが見えた。

ひゅっと息を呑む。

もちろんここは目的地ではあったけど、こんな、意図しない形で出会うとは思っていなかったからだ。

まさか、ここが…。

と思い、信号が青になった瞬間に駆け寄る。

間違いない、「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」である。

奥へ行くほど石碑が高くなっている。


思わず駆け寄ってしまったけど、そこは思ったより空虚で悲しい場所だった。

とにかくたくさん並ぶ、石碑、石碑、石碑…。

高さが違うだけで、その石碑自体は何も書かれていないし、とりたてて特徴があるわけではない。

でもその石碑の数と光景に圧倒されてしまう。高さが違う石碑はまるで老人から子供まで、様々な人が犠牲になったことを表しているように感じられるし、だんだんと石碑がその人たちのための棺のように見えてくる。

道は上下にくねくねとうねっていて、石碑の中を迷路のようにねり歩けるようになっている。

この等間隔に並ぶ石碑とうねった経路のせいで、まるでめまいを起こしているような感覚になってくる。実際にめまいを起こしていたのかもしれない。

うねっている道

天気は曇天で、普通の旅行を考えると残念な天気かもしれない。しかし、今回ばかりはこの天気に感謝した。

晴天であったとして、この景色の虚しさや悲しさを何にも変えることは出来ないからだ。曇天は、この景色に少しでも寄り添っているような、そんな気持ちにさせてくれる。


悲しい場所。空っぽな場所。いくらここに居ても、祈っても、まだ足りないような気持になってくる。

しかしそろそろ別れを告げ、新しい場所に行かなければならない。本日のもう一つの目的は、「ベルリン・ユダヤ博物館」を訪れることである。

石碑に手向けられた赤い薔薇。

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