駐在生活における友人関係

今月は、こちらで出会った友人たちにちょこちょこと会っていた。といっても片手でおさまるくらい。

なんせここ最近、駐在生活における目標を見失っており、語学に対するやる気もなく、ただなんとなく生きていたので、友人に会って良い刺激でももらえればな、と思い久しぶりに連絡をとった。

友人のほとんどが約半年ぶりの再会であり、まだ数回しか会ってない人がほとんど。正直なところ、友人と呼んでいいのかわからないくらいお互いまだまだ知らない事だらけの浅い関係性。しかし会えて新鮮な気持ちになったし、刺激ももらえた。


私にとって友人の理想やハードルは高かった。もともと狭く深くの関係を好んでいた。例をあげるとすれば、もし結婚式で、この人に御祝儀あげるのはもったいないなって少しでも思うような関係性の人は呼びたくないし呼ばれたくない。たとえ人数合わせであっても上辺の関係すら作りたくない。いや、それは誰でもそうか、、(笑)とにかく気心知れた親友が何人かいてくれればそれで十分満足できる。

最初はこっちでもそんな友人を探していた。しかし一時帰国中に日本にいる親友たちと会った時、彼女たちを越える友人にこっちで出会うのは難しいなと感じてしまった。これは誰が悪いわけでもない。まず、彼女たちのような関係性になるためには圧倒的に会う頻度、時間が少ない。日本にいる親友たちとは、学生時代や社会人の時に嫌でも毎日顔を合わせて苦楽を共にし、濃い関係を築いてきた。しかし、駐在生活で出会う友人とはそうもいかない。むしろ私は距離感を詰められるのが得意ではなく、例えば毎日LINEが来たり毎週会おうと言われたりすると距離を置きたくなる。親しい友人がほしい思っていたのに矛盾だらけだ。私は相当めんどくさい人間であり、こっちで親友ができない理由は自分に問題があるな、とも思う。

しかしそれと同時に、こっちで親しき友人をわざわざ作る必要もないなと思い始めた。ドイツに来た当初は知り合いゼロだったが今は違う。友人ができ、いくつかのコミュニティにも属し、困った時に助けてくれる人たちにも出会えた。こちらでの人間関係にも満足できたのだ。なので私の理想とする親しき友人をわざわざ作ろうとするのはやめた。こっちではたまに会って、近況報告や情報交換をしたり、生活の知恵を教えてもらったり、海外で生きる同志として多少の刺激や同情をもらえたりする友人が数人いれば十分。それがたとえ本音で話し合えなくても、上辺であろうと問題ない。

海外で生活していることもあり、「多様性」という言葉が好きでよく使うが、友人との関係にだって多様性があっていいんだな、と思うようになった。今までの私は「友人とはこうである」という自身の凝り固まった価値観に囚われていた。理想を語り、綺麗事ばかり言っていた。友人だって多種多様で良い。広く浅い関係性であってもそれも一つの友人の形であり、胸を張って友人と呼べるのだ。そう思えるようになり、より一層生きやすくなった。



本当にグダグダな文章になってしまったが、これで終わりにする。