散髪

今度の土曜日は、月に1回の散髪の日。定期的に友人が勤める美容院に向かう。

子どもの頃は、父親に連れられて安い理髪店に行って髪を切ってもらっていた。

ただ、異様に安かった。カットと顔剃りセットで1500円。今から25年ほど前の話だけど、それでも安い。この理髪店が出来るまでは近所の理髪店で3000円くらいで切ってもらっていたが、この店がオープンしたら、すぐに乗り換えた。近所のよしみパワーも、流石に半額に近い金額には勝てなかったようだ。

当時は、散髪ってそのくらいの金額で出来るんだ。親も助かってるんだろうなと思っていたけども、いや、異様に安すぎる。

理髪師は男ばかりがズラリ。中にはパンチパーマの方々も数人いる。黒の長袖シャツ。
大人になった今だから分かるが、とある所から外に出られた方々が、社会復帰に勤めていたのだろう。黒の長袖は、体に張り巡らせたアートを見せないようにしていた。
父親が毎回順番待ちの間、「終わったら、ちゃんとありがとうございましたと挨拶するんだぞ。」と言う。ただの普通のしつけなのだが、今考えればちょっとだけ意味は変わる。

子どもなのでそんな事も知る訳がなく、髪が伸びてはそこに通った。しかも最後に子どもには飴をもらえる良いお店だった。

何度か通っていたある時、いつものように子ども用に少し高くしてある椅子に座り、どんな髪型にするか聞かれた後、理髪師の方が耳元で、

「兄ちゃん、動いたらダメだよ。」

その非常にシリアスな伝え方に私は、

「はい…。」

ああ、私はこれ以後散髪の間、少しでも勝手に動こうものなら、目の前にあるそのハサミや顔剃りのシェーバーでキリキリマイにされるのだろうと、子どもながら意味のわからない事を考えてしまい、大変緊張したのを覚えている。上記の事情は知らなかった訳だが、何か伝わるものがあった。

ただ、近所の理髪店に通っていた頃から「あなたは全然動かない良い子だね。」とお店の人に褒められていた経験もあり、動かない事には少しばかり自信があった。

理髪師の方はおしゃべりをする事もなく、黙々と髪を切り始めた。職人気質だ。尚更緊張する。「少し右向いて。」「よし、次は左。」注文の多い理髪店だ。そのうちバターでも体中に塗りたくられるのではないか。国語の授業で学んだ宮沢賢治作品を思い出し、より緊張が高まった。

その後も指示を受ける以外は微動だにせず、顔剃りも難なくクリアした。

「……良し。兄ちゃん頑張ったな。終わったぞ。」

緊張が解けた。今まで感じなかった疲労感が押し寄せたのは覚えている。子どもながらMPを削られていたのだろう。最後にもらえる飴の味はしなかった。

この経験があるからこそ、大人になった今、友人におしゃべりしながら、何の緊張もせずに髪を切ってもらえてる事に感謝しかない。…それが狙いか、あの理髪師。

こうして書いていると、今度の土曜日がとても楽しみになった。

ここまで読んでいただきありがとうございました。
それでは、また!

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