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バーバパパがいた

歩いていたら奥さんから「バーバパパがいるよ〜」と言われて、え?と思ったら本当だった。

これが見れたらラッキーなのだという。
ラッキーのために走る車。
京都ヤサカタクシーの「四つ葉のクローバー号」もレアだったな。
都市の中に突如として象徴的に目立ち、とても可愛らしいと思う。

見かければもちろん私もにこにこである(^^)

犬も歩けば棒にあたる受動的なラッキーもあれば、能動的なものもある。
ある種の目的を持った状態で街にいけば、その人にとってふさわしい楽しいことやラッキーが見つかるものだ。

なにか作ろうと思っていると造作に目がいくし、置かれる背景にも。
床壁天井がなになのかとディテールのなかへなかへ。
そこには先人のヒントや、思ってもなかった工夫があったり、それによって解釈が変わったり、自身が変化する。
そこの意識へ行ってしまうと、認識の縮尺も変わっていき、都市から建築、家具、オブジェ、構成するもの、とだんだんミクロマンのようなかたちで縮尺を変えて見てしまう。

楽しいが、しかしながら、レイヤーが違う人と話をするときは変人扱いされるから気をつけねばなのだ。

そういう人に会えるときはラッキーを共有しようと思っている。


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