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「漫才師」と「バンドマン」の共通点10個

あけましておめでとうございます!今年もBearwearをよろしくお願いします!

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年末年始はM-1や新年の特番の盛り上がりもあり、なにかとお笑い芸人が話題に上がる時期である

お笑い番組を見ていたら昨年のM-1王者である霜降り明星にハマり、先日大阪に行き人生初のお笑いライブ観戦を体験してきた。

「テレビやYoutubeで代表作を見てハマり、生で見たくなってライブに足を運ぶ」これってミュージシャンにハマる構図と全く同じ。

芸人の作品作りに対する熱量や、ステージに上がり観客を魅了する姿は、バンド視点でも学べる技術がたくさんあることを知れた。人生で初めてお笑いライブを見て感じた、漫才師とバンドマンの共通点をいろいろ挙げていく。

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1. ステージに立ち脚光を浴びる

まず最初の漫才師とバンドの共通点は、ステージに立ちお客さんを前にして作品を披露するという点。お客さんはチケットを買えば憧れの人たちを生で見れる

また、ステージに上がって披露するということはリアルタイムで目の前のお客さんの反応がステージから見えるということでもある。渾身のネタがスベったなあと感じるのは、渾身の一曲の演奏中にお客さんが興味なさそうに立っているのを目にするのと近い感覚なのかもしれない。

テレビやメディアから引っ張りだこになればライブやツアーのチケットも即完。大会や賞レースで優勝し、どちらもたった一晩で国民的スターに成り上がれる可能性も秘めた夢のある仕事

2. 競争率

その分競争率も激しい。全国に無数と存在する無名のアマチュア。ステージで輝く上の世代を見て憧れ業界に飛び込み、いつか売れることを夢見てバイト生活でジリ貧な暮らしを送りながら作品作りに励む。年をとるとともに現実を知り引退するものも…

今年のM-1の総エントリー数は5040組だったそうだ。僕らBearwearが夏にエントリーしたサマソニ出演をかけたオーディションの総応募者数は約4000組。かなり母数が近い。

漫才一本、音楽一本で食っていける人たちはほんの一握り。残酷だが誰にでもチャンスがあるとも捉えられる。

3. 大衆受けする作品を作るという葛藤

じゃあ売れるためにはどうすればいいのか。個性やこだわりを捨てて大衆受けする作品を作るべきなのか

ピース又吉の小説『火花』でもネタ作りをしている主人公が、プロデューサーや相方から「もっとわかりやすい作品をつくれ。もっとポップになれ」と度々説得されるシーンがある。

ポップさのバランスで悩むバンドも同じではないだろうか。わかりやすいメロディわかりやすいビート。流行りのスタイル。自身のアーティスト精神との葛藤。

リズムネタやモノマネなどのわかり易さはインパクトの強すぎる諸刃の剣。『エンタの神様』の登場と共にネタがテレビを見る若者向けの短いものが増えたという現象と、ipodの登場とともに音楽アルバムという概念が死んでシングル曲が重要になった現象は似てる気がする。

コント芸人なのに相方のモノマネ芸が流行ってしまい、新規のお客さんのために、ライブでやる普段のコントにもそのモノマネを取り入れないとウケなくなってしまったと、IKKOのモノマネで人気再発したチョコプラがテレビで嘆いていた。

お客さんに見てもらって成り立つ仕事である以上、より喜ばれるものを提供するのはおかしいことではない。しかし独自性溢れる硬派なマインドを持って成功することへの憧れもある

4. セットリスト

バンドがその日のライブで演奏する曲目リストのことをセトリと呼ぶ。その日のテーマや対バンに合わせて曲を選び曲順を決める。事前に発表することは少なく、お客さん側も自分の好きな曲を今日やってくれるのかとワクワクしながら見る。ライブに通いつめると、イントロやMCの内容で次始まる曲が予想できるようになったりもする。時には新曲のお披露目に立ち会えることも。

漫才のライブに足を運んで知ったのだが、漫才にもセトリがある。代表的なネタはライブに通うにつれて何度も見ることになる。熱心なファンはその芸人の代表的なネタやボケは大体覚えていて、「今日のライブではこのネタを長めの尺でやってくれた!」「M-1にあのネタで挑んだのは正解!」「テレビではできないネタだけど劇場で見れるあのブラックなボケが好き!」などネタを知っているからこその反応を示しているのも興味深い。バンドのファンみたいにセトリを公演後にツイートする人も。

なんなら、ネタの最初の話し始めからもう次にどのボケが来るか分かって先読みして笑っているお客さんもいた。

逆に漫才師側、バンド側は、何回も練習し、何回も人前でやってきた作品を自分たちで飽きずに、毎回どれだけ新鮮味持たせてライブで披露できるかもカギ。

ライブは生き物。ボケの順番や、テンションや言い回しはライブごとに異なり、同じ作品でも日によって味が違う。漫才もバンドもライブならではのライブ感がある。

5. 人間性、アイドル性、キャラクター作り

ライブに月何本も通いつめたり、ツアー全公演追いかけたりするほどの熱心なファンがたまにいるが、そこまでハマるには作品だけの良さではなくアーティストの人間性の部分に惹かれていることが理由であると思う。

作品以外の部分で見せる、メンバー達の素顔や、活動の背景にあるストーリー。人間味を見せるのはライブ中のMCだったり、テレビでのトークだったり、SNSだったり、Youtubeチャンネルだったり、インタビュー記事だったり。

同様に、顔の良さも熱狂的なファンがつく理由になりやすい。いわゆる顔ファン。本来作品の良し悪しに見た目や性格は関係ないかもしれないが、にじみ出る人間性やアイドル性に惹かれる人は多い。

EXITが漫才師にしてはめずらしくストリートファッションを取り入れ「チャラ男」として売り出しているのは、ミュージシャンがファッションや言動などを自分たちの世界観に合わせるキャラクター作りと近いものを感じた。実際に今ではアイドルのような人気っぷり。

本来の自分の性格と違うキャラクターを作り上げる演技力と表現力も重要だ。俳優もできる演技の上手い芸人やミュージシャンが多いのも納得である。

6.必要とされる圧倒的なセンスと技術

しかし、顔が整っているだけではお笑いもバンドも成功するわけではなく、なによりも前提として圧倒的なセンスと技術が必要とされる。

センスについては時代や場所によって異なるので一言で説明はできないが、今年のM-1でミルクボーイを見た審査員のナイツ塙の「誰がやっても面白いネタプラス、この人達がやったら面白いというのが一番面白いネタだと思っていて。1回こういうネタを考えたことがあったんですけど、こんなに面白くできなかった。人と言葉の力とセンスが凝縮されていた」という感想は音楽にも通ずるものがある。

彼が著書で言及している「自分と相方とお客さんの3点を繋ぐお笑いの三角形」理論もバンドマンに響くものがある。その三角のバランスを感覚的にセンスで作れる人もいれば、計算尽くした理論で考えて作り出す人もいる。バンドもそうだ。

ちなみにナイツ塙は以前インタビューで、漫才を音楽に例えており、「しゃべくり漫才はロック、オードリーはジャズ、ナイツはテクノ」と語っている。漫才と音楽のリズムにも共通点があるらしい。

YMOが大好きだったんです。機械的で無機質なテクノ音楽が好きで、漫才で、そういうことをやりたいなと。で、一個ボケたら一個ツッコむ、それを機械的に繰り返すようなネタを作ったんです。3分くらいたつと、その無機質な感じが心地よくなって、次第にうねっていくのがミソです。途中に、僕が急にわけのわかんないことを言ったりするんですが、それは細野(晴臣)さんがよくやる、リズムのハネや転調へのオマージュですね。

7. それぞれのルーツ、独自の形式化、世代の違い

時代や場所によって求められるセンスが変わると先に述べたが、漫才とバンドはこれまで築き上げてきた伝統があるから成り立っている文化でもある。

先人達の伝統的なスタイルを忠実に守りつつ、その形式の中で表現することに面白さを見出すものもいれば、伝統を壊す常識破れな全く新しい表現方法で挑むものもいる。漫才もバンドも様式美が評価されることが多く、「小道具を使ったら漫才と呼べない」、「生楽器で生演奏してこそバンド」など人によってこだわりがある。制約された表現方法で何十年とここまで引き継がれている

上の世代のルーツを感じ取るのも漫才やバンドの楽しみ方のひとつである。影響を受けた世代の色が顕著にあらわれる作品は歴史を知っているとより深く楽しめる。

漫才コンビのミキが「正統派しゃべくり漫才」「昭和初期から影響を受けている昔ながらの漫才」と呼ばれている。これって音楽でいうリバイバルと一緒なのでは。

Tiny Moving Partsのエモリバイバルだったり、日本のDYGLがクラシックなロックの楽しさを伝えようとしていたりするのと同じである。

さらに極端な例では日本伝統芸能の備中神楽をツッコミに取り入れた東京ホテイソンとか。伝統楽器取り入れたバンドとかみたいだ。

また、世代によって色があるからこそ、同世代の横のつながりなども生まれる。お笑い第7世代という言葉を霜降り明星が生み出したが、バンドミュージックは今第何世代なのだろうか。

8. 複数メンバーのアーティスト、ソロのアーティスト

ネタ作りをするメンバーとしないメンバーがいることもバンドとの共通点のひとつ。漫才コンビは片方がネタを書き、相方にそれを覚えさせるだけの人もいれば、ふたりともネタを持ち寄り組み合わせながら作ったりと、複数人ならではのネタづくりの方法などいろいろある。作曲のできるメンバーとできないメンバーがいるバンドや、全員で集まってセッションで曲を作るバンドがいるのと同じである。メンバーや相方との化学反応も複数人ならではのこと。

漫才もバンドも誰かに強制されているわけではなく、自主的な集まりであることがほとんど。家族とも友達とも同僚とも違う不思議な信頼関係。波長の合う組み合わせだったり、アベコベが良さの組み合わせだったり。うまくいかずに解散したり。

一方、ソロで活動する良さもある。ピン芸人もいれば、漫才コンビの片割れがソロで活動開始したり。1人で殻にこもり作品と向き合わなければならないのはキツいが、好きなペースで、自分のイメージしたものを最大限に反映できるメリットもある。

9.対バン形式が一般的、売れればワンマンツアー 

専用のライブ会場があるのもひとつの共通点である。劇場と呼ばれるお笑いライブ用の会場。バンドにはライブハウスがある。毎日なにかしらの公演がおこなわれており、複数組出演する公演が主である

一緒に出演するバンドのことを対バンと呼ぶ。その日の対バン相手にはライバル意識を持つし、お客さんの反応の差も気になる。売れている人と同じ日に出演すればたくさんの人に見てもらえる。

バンドには「オープニングアクト」という、若手をフックアップし前座をやらせる文化があるが、お笑いのライブで公演開始前にステージ上で若手が会場を温める「前説」と呼ばれる役割も一種のフックアップだなと感じた。若手にとっては腕試しの場となり大きなチャンスにつながることもある。

10. アングラの良さ

漫才にもバンドにもアンダーグラウンドのシーンがある。

テレビに映ることもなく事務所にも所属していない地下芸人。放送禁止間違いなしのネタを披露したり、普通の人が見たらドン引きするぐらい狂気あふれるネタだったり。

以下は映画化もされている「地下芸人の帝王」と呼ばれる横須賀歌麻呂のインタビューの抜粋なのだが狂気でしかない。

俺のネタの中で、マ〇毛学園って高校が甲子園で優勝して、10番くらいまで校歌を歌うってやつがあるんですけど、最初は引いてた女性客が、5番くらいから笑いだして。
耐えきれずに笑いだしたっていうのが、してやった感というか、すごく興奮します(笑)

バンドもインディーズシーンには日の光を浴びないバンドがたくさんいる。反メジャー意識を持つ近寄りがたい人たちだったり、そもそもそのジャンルを聞くお客さんの母数が少なかったり。

ただどちらも、作り手が自分の本当に作りたいものを追求した結果であり、テレビに映る大衆向けのものとは全く違う凄みがある。コンプラの少ないアングラシーンのほうが生々しいアーティスト達の生き様が見れることも。

売れてようが売れてなかろうが、ステージに上がれば誰にも邪魔されずに自分の表現したいことを披露できるのは漫才師やバンドマンの特権だ

おわり

作品を作った本人がステージに立つ、漫才師とバンドマン。共通点はまだまだいくらでもありそうだ。

また漫才師でなくとも、クリエイターや表現者であればバンドと通ずるものはたくさんあるはず。映画監督しかり、演劇俳優しかり、漫画家しかり、絵描きしかり、小説家しかり、デザイナーしかり、料理人しかり。

去年はバンドのライブばかり行っていたが、今年は様々な別カルチャーの表現者の作品に触れていろいろ吸収してみようと思う。


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