不自由なパスポート

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今から4年ほど前、姪っ子の結婚式に呼ばれシドニーを訪れた。
その姪っ子は、ネパール人のツレアイのお兄さんの娘で、本当なら彼と私と2人で行くはずだった。
調べてみると、オーストラリアは、観光目的の短期間の訪問でも、ビザを事前取得しなければならない国だったが、日本パスポート所有者の私は、オンライン申請を利用し、ものの15分でビザを手に入れた。

しかし、彼の方はそう簡単にはいかない。

ネパールのパスポート所有者はオンライン申請できず、申請には、日本人パスポートホルダーには必要なかった様々なものが必要となる。
例えば、オーストラリア在住者からの招聘理由書、自身の職業証明書と銀行残高証明書など諸々。それを用意するのに、まずしかるべき場所に出向く必要があり、それらを、オーストラリアのビザ申請窓口に提出しなければならなかった。
審査には2週間から1ヶ月かかると言われ、結果が出たのは、出発3日前。
しかも、その結果は、ビザ発行不可。

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聞いても教えてくれないので、不可の理由はわからない。銀行残高が不足していたのか、審査する担当者がそういう気分だったのか、エージェントを通さなかったからなのか。しかし、不可は不可だ。

パスポートの自由度は国によって全く違ということを、自分事として初めて感じる機会であった。

出発3日前、結婚式出席用のサリーも仕立て、頼まれていたものもパッキングしているし、私が行かなければ彼女の親族は一人もいないという状況だったので、行かない選択肢はなかったが、ふたりで行けたなら、私の気分は全然違っただろう。彼は快く私を見送ってはくれたけど、そのことが余計に私の気持ちを沈ませた。

私が優れていて、彼が劣っているわけでもない。
持っているパスポートの色が違うだけ。
それによって判断されたり、行動が制限される。それが現実だ。

それを変えるためには、先進国に都合のいいグローバル化を見直し、経済格差をなくし、先進国の途上国への偏見をなくす必要があるし、同時にネパールという国が変わる必要(国際的信用を得る)もあると、私は思う。
ネパールが変わるには、ネパール人一人ひとりの行動が問われるだろうし、時間はかかるだろう。
アンフェアが横行するこの国が変わるのは、容易なことではないとは思う。
でも、人が作ったものなら、人が変えることができるはず。

途上国に住んだからこそ、知った現実があり、感じたことがある。
それは必ずしも、美しいものばかりとは限らない。
知らない方が楽に生きれたなと思うこともある。
途方に暮れ、自分の無力さを感じることも多い。

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けれども、それでも日々は待ったなしに続いていく。
諦めるのか、嘆くのか、抗うのか、乗り越えるのか。
つまるところ、何を選ぶかは、自分次第なのだよね。



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【text by Chikako from Nepal 】

宮本ちか子 瀬戸内海の島で海に囲まれて育つも、なぜか海のないヒマラヤの国ネパール在住。夫も仕事も家財道具も全て捨て、ネパールに移住したのは30歳のとき。ポカラで15年ホテルを経営するが諸々あって、泣く泣くホテルを売却。現在はフリーランスライター、タマラエネルギーワーク、仕入コーディネイト等々。バツイチで結婚は2回、娘が1人、ネパール人配偶者はアーユルヴェーダの治療師。「刺身が食いたい」とつぶやく回数が最近さらに増えてきたアラフィフである。

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