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教科教育は学校からなくなる

最近思うのは、教科教育なんて学校で教える意味なくなると思う。
全国の先生が映像配信に参加すれば、座学なんて学校で必ずしも受ける必要ない。
今学校に人が集まってしかできないアクティブラーニングに価値があるってなってるけど、通信速度やVRの世界も発達すれば、学校に集まる必要もないだろと。

だから学校に行く必要性は、今よりもっと社会性を培うことに価値が見出されるようになるんだろう。

カウンセラー技術があるだとか、いじめや性の問題の対処に知識があるだとか、集中力を高める支援をするだとか、ノウハウに価値が置かれて、その知識を持った先生が求められるようになる気がする。

生の価値はすごいとあると思う。
私だってお笑いは、配信より圧倒的に生。

けど生の授業or面白い先生、ベテランの先生、有名な先生だったら、後者選ぶ人の方が圧倒的に多い気がするのだ。

お笑いライブの場合、劇場という声が反響しやすい工学のもと作られている空間で行われるから、立体感を感じる。それに良さがある。
学校は、場所によっては黒板が見にくかったり先生によっては声が聞こえないことで苦労する。

生の先生は、教室の雰囲気に合わせて内容を変えたり、刺激を与えたりすることがあるじゃないかと。それがいいじゃないかと。お笑いライブでも、客イジりされたら嬉しい。

でも、全員そんな先生か?ということだ。
そんな生徒によって臨機応変に変える先生は多いか?ということだ。
ハラスメント認識の強化やSNSの発達でなんでも発信できる、その上コロナ禍で生徒を公開処刑のように叱る先生は多いのだろうか?

それなら個々人によってハマるはまらない先生を決めれる環境を整えたら、もっといいじゃないか、ということだ。

政府も、通信費と機品さえあれば上質のコンテンツを受けれるようになれば、教育の機会平等にも繋がるのではないか。

公教育、教科教育オンラインがもし始まれば、どこの学校に所属している先生かじゃなくて、個人に価値がある時代になりそうだ。

授業だけでなく先生個人の生活風景や趣味について語るコンテンツも用意してブランディングしていくことで、人を集めていく、先生YouTuber大戦争時代がくるのだろう。

オンラインサロンで、アクティブラーニングのファシリーテーターをやる。

私は教科教育で儲けるため、この未来を見越して、YouTube世界史授業を起業してやろうかなと最近思い始めた。

就活して正社員をやるよりも、正直これは夢がある職だ。
成功するまでが難しいが、収益化までいけば案外安定しそうだからだ。


そして見取り図のリリーさん、お誕生日おめでとうございます。

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