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受け取り、巡らせる

今週、娘が8歳の誕生日を迎えました。

誕生日のプレゼントは何がいいか、誕生日の日はどんなご馳走にしてほしいか、ケーキは何にしようか。2カ月くらい前からどうしようか悩む姿はなんとも可愛らしかった。

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彼女の誕生日、朝から静かなキッチンでケーキを仕込みながらふと生まれたときのことを思い出していました。

出産予定日を過ぎても生まれてこず、ちょうど長男が年長さんで保育所最後の運動会の日程が近く竹馬やリレーを披露してくれるから、できれば運動会が終わってから生まれてくれたらいいなと思いながら、臨月のお腹を抱え両手で長男と次男と手を繋ぎながら保育所へと歩いていた朝。毎朝通るパン屋さんの前で、急に尿もれなのかおりものなのか、という冷たさを下着に感じたときのことを痛烈に思い出しました。

うーん、おかしいな、でもまさかな、そう思いながら一日をやり過ごし、あとで助産師さんにも告白できなかったけれど息子たちとちゃっかり湯舟にも浸かり(破水したあとは感染の危険性があるから絶対湯舟には浸かっちゃダメだそうですね、3人目とはいえ破水から始まる出産が初めてゆえそんなんあとで言われても知らんがな、です)、その翌日早朝にやっぱりちょっとなんかおかしいと旦那さんに病院に連れて行ったもらったらやはり破水していると判明。

破水してるからと入院してもまったく産気づかず、そこからまる2日。階段をどれだけ上り下りしようが、助産師さんの軽い刺激にも我関せずを決め込み、朝目が覚めたら急に姿を消した母を想って泣く次男と先に泣かれたら我慢するしかない長男の気も知らず、笑、本当にこの子は出る気があるのかしら、と思っていた矢先、運動会を終えて家族総出で病室に会いに来てくれた面々が帰宅した直後に産気づいて、決めたからにはさっさと出るわと言わんばかりに陣痛を感じ始めてたった1時間半、まるで犬の出産やんとあとで友人に笑われたぐらいのスピードで生まれてきたのでした。

出産のときの様子ってそれぞれ違って面白い、うちも三人三様。そしてこの生まれ方もなんとなくその子の人柄を表してるなと感じる。


そんな生まれたときの様子はさておき、我が家にはお誕生日には必ずカードを送る習慣がある。意図的に作ったつもりはないけれど、私自身誕生日にメッセージカードをもらうことの嬉しさを感じてるから、子どもたちが自分の誕生日を認識しだしてからずっとそのときどきの想いを書いて渡すようにしていて、そうして気付いたら、子どもたちもお誕生日はプレゼントだけでなくカードを贈る習慣が馴染んでた。

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以前みたいにただ優しいだけのお兄ちゃんでなくなってる思春期の長男ですら、こっそり妹のためにぬぐるみのプレゼントを用意して、そっけないけど今の精一杯なんだろうな、という手紙が一緒に入っていたし

数年前から、長男が誕生日にプレゼントをサプライズでくれることがどれほどうれしいかを解っている次男もまた、自分のお小遣いの許す範囲で精一杯のプレゼントを買って、愛おしい文章を綴ってくれてた。

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両親だけでなく、お兄ちゃんたちからもたくさんの愛情を受け取れる末娘という立ち位置、わたしも同じだからその有難みはよくよく分かる。

我が子と一緒にいると、甘やかしすぎて勘違いさせたら、と厳しさ重視になってしまいがちだったけれど、子どもたち、だけでなくそもそもひとって周りからたくさんの愛情や自分に対するポジティブな感情を受け取ったら、自然とその想いや言動をまた自分の周りや次の世代へと巡らせていけるのだなと気付く。だからきっと、溢れんばかりの愛情をさまざまな表現でただただ降り注いでいけばきっと、子どもたちは何か言わなくとも相手を想いやった言動ができていくんだね。

わたしがこれまで両親や友人、旦那さんから受け取ってきたようにメッセージカードで子どもたちに愛を送り、その喜びを受け取って子どもたちもまたその想いやりを兄弟間で巡らせる。この先きっと、その枠が兄弟や家族の中を越えて、恋人や友人へと広げてくれたらいいなと、それは母としてのささやかな願い。(強制はしないけれど。でもこの多感な時期にでも「はぴば」だけでも書いてくれる長男や、女子がいちばん嬉しい言葉を手紙に散りばめられる次男、我が息子はなかなかいい手紙を恋人に送れるんじゃないかと母は期待してる。笑)

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親がすることは、いや出来ることはきっと、そのあるがままを認めて、その唯一無二の尊い存在がそこに居てくれることに感謝すること。きっと挨拶しなさいとか手伝いしなさい、と指示を出すことではないような気がする。

ついつい口出ししたくなるし、まだまだしちゃうけどね。でも言われるよりも自分で体感して気付いたほうが、断然身になるのだなと。気付くのに数年、数十年かかるかもしれないけれど、気付いたときに母やるな、と思ってくれたら本望かなと思って今は黙って息子の脱いだ服を毎朝黙々と片付けてる。


いまの時代、ちょっとこの相手を想って、目一杯の愛情を降り注がせる、ということが足りてないような気がする。みんなそんな愛情に枯渇してるからどこかギスギスしちゃう。最近のわたし自身への反省も含めて、娘の誕生日で子どもたちの様子を見て感じたこと。

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与えてもらった愛情は、素直に、そして存分に受け取って、そしてまた次に巡らせていこう。
子どもたちはいつもいつも大事なことを教えてくれる。




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