見出し画像

娘と1万円札

先週頭、用があってリビングに置いてあったわたしの財布からお金を出そうとしたら、その前日に見たときよりお札が足りないような気がした。
あれ、おかしいな。
でもその前日に見た枚数だって記憶が曖昧だし、気のせいかなと数日経過。

その週末、次男が娘に頼まれて本屋さんに行くやり取りをぼんやり聞いていて、ん?と思った。
娘が口にする手持ち金がわたしが想像している以上に多かったのだ。

ねえねえ、ちょっと待って。あなたなんでそんなにお金たくさん持ってるの?と、娘に聞く。えー、お小遣いだよ、としれっと答える娘。

わたし達両親から決まったお小遣いは渡していないけれど、祖父母からもらったお小遣いの用途は子どもたちに全任している。以前は子どもが大金を持っててもロクなことがないと貯金させていたけれど、子どもの頃から貯金が正義と思い続けた結果、お金への妙なブロックを持ってしまった自分自身に気付いてからは、我が子に同じ轍を踏ませたくないなという想いもあって、の対応。

でもちょっと待て。おじいちゃんたちにもらったお小遣いだってそんな額にならないでしょ。ちょっとお財布見せてみなさいよ、と言うと娘は素直に自分の財布を差し出してきた。

数枚のお札と、数日前に近所のスーパーマーケット買い物をしたレシートが出てきた。
消しゴムを買いに行ったら欲しかったペンケースがあって一緒に買ったの、という報告は自分のお財布に違和感を感じた翌日に受けていた。
そのレシートには、消しゴムやノート、ペンケースに加えてボールペンを買った記録。思ったよりたくさん買い物してるけど、何を買ったかはまあ、いいや。問題は支払いが1万円でされていたこと。

ねえねえ、これ1万円だしてお釣りもらってるけど、その1万円はどこから出てきたの?と娘に聞く。週初めの自分のお財布事情があるから、もうある程度話の筋が見えてきた。だからこそ、問い詰めるような口調にならないようにしながら、出来るだけ柔らかく彼女にアプローチしていく。

前から持ってた。少しバツが悪そうにあからさまな嘘をつく娘。
この間一緒にお買い物に行ったとき、ママにお財布の中見せてくれたけどそのとき1万円札は入ってなかったよね?お財布じゃなくてどこか違うところに仕舞ってたの?そう聞くと、だんまりの時しばらくして「引き出しに仕舞ってた」と呟く。

娘の表情がどんどん曇っていく。少しずつ自分の分が悪くなっていくのを肌で感じてるのが分かる。自らの嘘で自らの首を絞めていくように。

もう、間違いない。娘がわたしの財布からお金を抜いたんだな。彼女の表情や重ねる言葉を聞いていたらその確信しか持てないわたし。
知らねばならない気持ちと、出来れば知りたくない気持ち。ごちゃまぜになって正直こんな面倒な問題、投げ出したい。でも母だもの、ここは向き合わねば。

出来るだけ優しく、彼女の目から視線を外さないようにしながら最後のトドメを刺す。
「ねえ、ママのお財布からこの1万円持って行ったんじゃない?」
数分だんまりの後、観念したようにコクリと頷く娘。バツが悪そうに、瞳に涙を溜めて、あぁ今からママは烈火の如く怒るんだろうなと覚悟してるのが分かる。

分かっちゃいたのに、その疑惑が確信となって泣きたいのは母のほう。
長男次男、上2人にはなかったこと、親の財布からお金をくすねるなんてわたしだってしたことない。

でもここで声を荒げたら台無しだと、お腹をぐっと引き締め声のトーンを変えずに「なんでママのお財布からお金もって行ったの?」娘に話しかける。
その問いかけへの娘の回答に、わたしは一切の怒気が削がれた。1万円を使ってお買い物をするっていう、大人しかできないことをしてみたかったの。と言うのだ。

おおお、そう来るか。想像していなかった答えに度肝を抜かれ、好奇心旺盛な娘らしい発想だなとちょっと感心してしまった。いやいや、感心してる場合じゃないぜわたし、ともう一度気を引き締めて対話を続ける。

そうかー、で、お買い物してみてどうだった?と聞いてみた。だってわたし、純粋な好奇心に駆られて羽目を外すようなことって最近したかしら?って記憶にないもの、ちょっと羨ましいではないか。

すると娘が、さらに大粒の涙を瞳に溜め
「大人になったみたいでうれしかった。でも、そんなうれしいって思ってる自分がイヤやった」とポロリと涙を溢しながら答えてくれた。

タイミング良く溢れる涙に女優感を感じつつ、そっかそっか。それだけ分かったならもういいや。と娘を抱きしめたらごめんなさいー、とわんわん泣き出した。1時間ほどの会話の間中、あなたはずっと苦しかったんだよね。
結局やっちゃいけないことや、大事なひとへの嘘って自分自身を一番苦しめる。自分が苦しくなることはこれからするの止めよう。と、娘と約束する。

そうして、ママにそれをやってみたいって頼もうとは思わなかった?と恐る恐る聞くわたし。
コクリと頷く娘。そうかー、願いを叶えてくれないママの印象がやっぱりまだ強いのね、と少し凹む。まさに固定概念でダメばっかり言って子どもたちの欲求を反古にしてきた、過去の自分からのしっぺ返しのよう。

どうせダメって言うじゃない、わたしも両親にどれほどそう思って数々の嘘をついてきただろう。嘘も方便、て言葉があるくらいだもの、必要な嘘だってあるのは頭でも分かってる。それでもやっぱり、我が子からのその言葉やイメージは、自分が蒔いた種だからこそボディブローのように効いてくる。

凹んでばかりもいられないので、ねぇこれからそうしてやってみたいことにママが頭ごなしにダメって言ったらさ、ちゃんとママおかしいよ、って指摘してくれないかな?そういうところ、ママ変えていきたいの、とものはついでと娘に助言を頼んでおいた。ここで学び、変えるチャンスのはず。親のプライドやら威厳なんてクソくらえ。


この一件で今後娘が心入れ替えて親に嘘をつかない子になる、なんてさらさら思わない。人間だもの、これからもきっと自分の都合や周りのために必要な嘘もついていくと思う。

ただ、あなた自身が苦しまない処世術を身に付けていけるといいね。まっさらで嘘偽りない存在は理想ではあるけれど、損得勘定を素早くできる器用さや、全体最適に見合う立ち回り方もまた必要な世の中だもの。自分にとっていいバランスを見出して生きていけたらいい。


そして母であるわたしは、我が子のやってみたい気持ちや好奇心をブロックしてしまうドリームキラー的な存在から卒業したい。家族、親子だからこそ関係性に一定の線引きができるように。

自由に伴う責任、放任できるだけの信頼、課題はたくさん。我が子たちの言動からたくさんの学び、ほんと日々育てられております。


この記事が参加している募集

#お金について考える

37,102件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?