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お笑いコンプレックス【わたし変遷史 #2】

私は幼少期、関西に住んでいたのに小学校に入るまで関西弁を話さなかった。きっと関西の地域では珍しい子どもだったと思う。

大きくなると周りの影響で関西弁は話すようになったけど、「冗談が通じない」とよく言われたし、子どもの間で流行っているバラエティー番組を家で見ることも少なかった。だから、私は「お笑い」を娯楽として見るという習慣がない関西人になってしまい、なんだか肩身の狭さがあったのだが。

そんな私は今や、関西人ではなくなったとともに、休みの日には芸人のライブに足を運ぶほどになった。そのきっかけは、ひとことで表すと『矛盾』だと思う。

関西で育ったのにお笑いに対して距離感を感じていた私は、大学進学を期に東京に越した。

環境も新たに出会ったのは音楽や映画などのサブカルチャーの世界。音楽関係のアルバイトをしたり、クリエイターを目指す友人ができたり、趣味の話をするのは楽しかった。だけど、心にはどこかモヤっとした感覚が。
音楽や映画が大好きな自分は本当だけど、それは等身大の自分ではないような感覚。カッコつけているというか、背伸びしているというか。そんな自分がこそばゆかった。

それが19歳頃の話だ。そして、当時たまたま見たドラマからとある俳優さんにハマったことで、少しずつわたしの世界が広がりだす。
その俳優の出演作をいくつか見たりした。インタビュー記事なども読んだりした。そこで彼はとあるコント芸人の大ファンだと知ったのだった。その俳優のどことなくあまのじゃくな性格が、自分に似ているような気がして、あまりお笑いを知らないながらに「彼が良いと思うものなら、私も好きなのでは?」と感じたのだ。

そこから、恐縮ながらネットに転がっているその芸人のネタ動画を見てみたところ、コントのおもしろさに圧倒され、そして、近年のレコメンド機能に驚かされる日々となった。
「あなたにおすすめ」されるままに、色んな芸人のコントネタをみて感じたのは、心地良さだった。関西では『お笑い=漫才』のイメージが強い。だから、私にとってのコントは、周りについていけずに知らぬ間に縁遠いものになってしまっていた『思っていたお笑い』とは別物に感じることができて、居心地の悪さを感じなかったのだ。わたしは心の底からコントという娯楽を通して笑うことができたのだった。

そんな中で、当時大学生のわたしを励ましてくれたコンビ。それが、空気階段だ。

QJ webより引用

あの2人のコントは、バカにされるようなキャラクターを愛おしくも愚かにも描き、笑いに昇華していく。その“真面目に不真面目”な姿勢のアホらしさにはたくさん笑わせてもらった。そして、救われた。どうしようもない学生生活を過ごしていた私のこの瞬間にだって意味があると励ましてくれた。
くだらないのに、ひたむきに体2つでその笑いの世界を作り上げるその姿に感動すら覚える。

笑わされてるのに、気づいたらウルッとさせてくる。そんなコント芸人たちの矛盾を孕んだ姿が、関西人なのにお笑いを知らなかった私すらも許容してくれるような気がしたのだった。

愛すべき矛盾。
だからどうか、あなたの恥ずかしいところを後ろめたく思わないで欲しい。
それは立派な個性で魅力だと、借金だらけの太っちょと打たれ弱い眼鏡が、彼らのコントと生き様を以って証明してくれるから。

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