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당신을 사랑하는 이유 ユンギさんが大好き


3月9日。大好きな人が祝われる日だ。


ユンギさん、


考えようとすると泣きそうになるから上手く文章が書けない。随分前から準備しようとしていたはずなのに、結局ギリギリになってから始められた。一番好きな人のことが、一番思うようにうまく言えない。それでも、一応書き残しておきたい。これは今を生きている私が書く文章だから。



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私が偶然の運命によって、今や世界のビーティーエスのドアを開くことになった時、見ていた映像に映った、ピアノの前でタバコをくわえる人が気になった。(演出)

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それが、ユンギさんである。

今まで好きだった韓国アイドル達は、今でも好きだし、その時代ごとに救われてきた。ときめく存在、ライブの高揚感、気分が紛れる音楽。

だけどこの時は少し違った。眠らずに迎えた朝方に、彼がもつ"AgustD"という名で出していたミックステープを聴いた。

本当におかしいけど自分が抱えていることが、まるで違う世界にいるはずの人にそのままの色で咀嚼してもらえたような気がした。おこがましいことはわかっているけど、鬱蒼としていたその時の気持ちを、本当の意味でわかってもらえたような気がした。

果てしない試行錯誤の上にある、狂気、絶望が見える時、血だらけで歩く、それは人には見えない、気づかれない、泣きたい、泣きたくない、もうやめたい、いややめられない、わかってほしい、わかったと思わないで、死にたい、生きたい、もう放っておいて、だけど見捨てないで、

狂気に苦しんでいても、狂気を手放すこともまた怖いと思っている節がある。それは時に原動力にもなれば、個性にもなるからだった。それは自分を窮屈にするものでありながら、一方では盾となり武器となることもある。

私が今しか書けないだろうと思う文章がある。それはもしかしたら、彼にとって、あの日の自分が居たから出来たと考えるかもしれない音楽。

난 이 넓은 바다의 섬 날 버리지마
俺はこの広い海の島 俺を見捨てないで

したい話を表現することは、自身の感情を癒すと私は考える。それが暗闇や影の表現であっても、それはきっと誰かの慰めにもなる。

許せないことに対しては、媚びない。それはただ強いからかっこいいんじゃない。夢を現実以上にしてきたことが、全て嘘じゃないからだ。誰も敵わないように。

思考を咀嚼されるようだと言ったけれど、ユンギさんは夢を現実にしていった人だった。だからあまりの強さに、私自身はそう強くはないなあ...と、後ずさりするような気にもなった。

だけど、そうじゃなかった。ユンギさんは、ユンギさんの音楽や言葉は、暗闇を引き裂くように守ってくれるようでありながら、暗闇でも一緒に寄り添ってくれる。そして最後には、暗闇だからこそ浮かぶ光を教えてくれる。

「光が見えればそっちに行けばいいのに、その光さえ見えないから絶望して進むことができない。自分の音楽を聴く人が慰められて少しでも歩いて行けることを願っている。」 彼のインタビューでの言葉だ。

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音楽だけは妥協できないと言う彼が、彼の音楽を聴く人々に、音楽を完成させてくれてありがとうと言う。聴く人がいない音楽は、未完成のように思うと。

「音楽は聴く人がいなければ、ただの騒音ですから。」そんな風にあっさりと言ってのける。

つい最近も、アミ(ファン)がいない放送のことを、あんこの入っていないあんぱんに例えていた。

アミにどんな人として記憶されたいかという質問に、"自分の仕事が好きだった人"、そう答えても、その仕事についてだって、お金を稼いで食べていくためのもの、仕事にあまり大きな意味を持たせなくてもいいと言う。

夢を這ってでも叶えてきたユンギさんが、「夢がなくても大丈夫、幸せだったらそれでいい」そんな風に言ってくれるのだから、泣いてしまう。

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遥か先にいるはずの人であっても、不思議と隣にしゃがんでくれるようにも感じてしまう。私も見捨てずに。今や世界的なアーティストであるはずでも、近くに感じてしまう時がある。

大丈夫だと言ってくれる、無理やり立てとも言わず、ただ本当に欲しい言葉をさらっと言って、自力で立とうとするまで待ってくれるようなユンギさんを。


Her

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ユンギさんの頼もしく鋭い牙は、ユンギさんが愛しくおもう者には向けられないと気づいた時にはもうダメになっている。

それは例えば、メンバーに対して、愛するワンちゃんに対して、そして、アミに対して。はっきり自分を持っているようなユンギさんが、実は人一倍愛情深いことは、彼の言葉、態度、一挙一動にあらわれているように思う。

ユンギさんが愛しい者に向ける眼差しは、本当に優しい。

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優しさにもいろんな種類があるけれど、ユンギさんの優しさは、甘いお砂糖みたいにその人の苦みを消していく。それは、目に見えるスキンシップや分かりやすい慰めの言葉ではなくても、相手にとって一番必要としていたような言葉で、空いたピースをそっと埋める。その人に刺さっている棘が、ユンギさんのさりげなくも確かな優しさで、すっと溶けていく。

そしてユンギさんは、誰と接していてもその人に合わせた優しさの形を自然と持っているように思う。

ユンギさんは特別なことを言っているつもりはないかもしれないけれど、例えば6人にとって思いがけずユンギさんから直接投げかけられた言葉は、それぞれに効力があるのではないかと思う。

それはさりげないように見えて、心を曇らせていた雨雲が消え太陽が差し込むようなもの。あるいは宝物として秘密にしたくなるようなもの。だけど聞こえなかったからもう一回言って?としつこく言ってしまうような(きっと一旦断られるけど結局言ってくれる)。やっぱり寝る前に思い出してたまらなくなって飛び跳ねてしまうような、

ユンギさんに渡された言葉は、そんな魔法があるみたいだった。


Tear

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ユンギさんは、まるで漫画から出てきたみたいに、少女達の心臓を全て奪っていくようなずるい人だ。

ユンギさんのもつ名が "SUGA"(シュガ)である時点でとてもずるい。ユンギさんはバスケが得意だけれど、その手でピアノを弾くからもっとずるい。

結婚して下さいというアミの淡いお願いに対してだって、一見ロマンチストな返しをしてくれそうなジンくんが「馬鹿なことは言わないでください」と言ってくれる一方、一番そう言いそうなユンギさんは「じゃあ書類持ってきて」なんてことを言う。

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人が人におちる瞬間のひとつに、"自分だけが知っていたいと思ってしまうような一面を見たとき" というのがあると思う。

例えば、誰が見ても甘くて優しい人が、そうじゃない視線を持っていることを知ったとき。(個人的にはここにジミンちゃんやホソクさんが当てはまる) または人を突っぱねそうにみえた人が、意外にも全てを許しているように優しく笑うとき。ユンギさんは後者だ。

ユンギさんは、愛しい者だけにちょっかいを出す。可愛いと思っているからわざとちょっとした意地悪をしたりする。

それから、自分がそんな風に愛されることも、なんでもないようにしながら心の中ではきっと嬉しく思っていることを、みんなが知っているのだ。

だからそんなユンギさんのことを、みんなが愛しく思う。ネコチャンみたいに可愛くて、悪戯な少年みたいで、意外とわかりやすくて、おもしろい、だけどやっぱり欲しい言葉で包んでくれる頼もしいユンギさんのことを。

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ユンギさんのなんでもないような一挙一動が、かえってユンギさんが愛をかけている特別なものを際立たせるものだから、逆に辛くなってくる時がある。

私にとって特別なように、誰かにとってもまた特別だから。
それに、いつか心臓が止まるようなニュースが流れる日のために、私も(身投げをする準備を)頑張っておきたい。

それでも、ユンギさんが誰よりもずっとずっと愛に包まれていればいいなと、本当にそう思っているのだ。矛盾しているけれど、きっと愛とはそういうものだ。


結 : 

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そんな風にして私がユンギさんを好きなんだから、好きな理由なんて、本当は表せるものじゃない。

いつだってかっこいいユンギさんの姿、安心して眠くなってしまうような声とか、その全てをあげたってきりがないだろうし、

ここに書いたユンギさんのことだって、あくまで私が感じるユンギさんの像だ。だけどユンギさんがどんな人であってもいい。私が見るユンギさんが、幻想であっても、夢であってもいい。

だって、私がユンギさんに救われてきた日々は確かな事実なのだから。

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ユンギさんを好きで居て救われた多くの時間も、届かないからこその苦味も、花樣年華みたいだ。

部屋に散りばめられたもの、お守りのように持っているもの、探した景色、直接目で見て距離を確認した日、ああそういうところが好きなんだとじんわりするような日を繰り返して、私も成長していく。

そしていつか、あなたが導いてくれた光の中で、もう大丈夫と、笑って見せたい。


だけど、ユンギさんが私にとってかけがえのない特別に不思議な存在であることは、一生変わらないだろうと思う。私が生きていることすら知らないというのに、こんなにも近くに感じて救われてしまうのだから、本当に不思議である。

好きすぎて窒息しそうになりながらも、ユンギさんだけに救われて息を繋いだ日が多い。ユンギさんの音楽に、ユンギさんの言葉に、ユンギさんの大丈夫に。ユンギさんの存在に。

ユンギさんは、考えると泣きそうになってしまう人。だけど思い浮かべると微笑んでしまう人。ぐちゃぐちゃになったとき泣きつく人。大丈夫だよと言ってくれる人。時には背中を押してくれる人。きっとおばあちゃんになっても思い出して泣いちゃうかもしれない。大好きだから。

ユンギさんが生まれ変わって石になったって私、その石に向かって私大丈夫かな?ってきいちゃうと思う。だけどその石に心地よく吹くそよ風にでもなっていたいな。



来年も、再来年も、この先もずっと、私がどうなったって、

3月9日。その日は、爽やかな風が吹いて、優しくて誰よりも甘かったあなたのことを思い、まぶたの裏に浮かぶ悪戯に笑ったずるい姿に頰を緩め、いつだってそばに居てくれたあなたの音楽を、聴くだろう。

そして届かずとも懲りずに祈ってしまうだろう。

あなたの音楽が、あなたを愛する人たちに届き、あなたを愛する人たちの声が多くあなたに届きますように。

あなたが大切な人たちに囲まれ、心身ともに癒される、楽な日が多くありますように。あなたが向ける眼差しのように、いつまでも、めいいっぱい愛されて。

Happy Birthday 私にとって、とっても大切な人、ユンギさんへ。

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그래 난 누군가에겐 봄 누군가에게는 겨울
そう僕は誰かにとっては春、誰かにとっては冬
누군가에겐 끝 누군가에게는 처음
誰かにとっての終わり、誰かにとっての始まり
난 누군가에겐 행복 누군가에겐 넋
誰かにとっては幸せ、誰かにとっては魂
누군가에겐 자장가이자 때때로는 소음
誰かにとっては子守歌であり時には騒音
함께 할게 그대의탄생과 끝
一緒にいるよ あなたの誕生と終わり
어디든 함께 임을 기억하기를
どこでも一緒にいることを覚えていて
언제나 당신의 삶을 위로할 테니
いつでも あなたの人生を慰めるから
부디 내게 가끔 기대어 쉬어가기를
どうか僕を時々頼って休んでいって
                              (신청곡  Feat. SUGA of BTS)

2020.03.09 愛を込めて

あとがき(関係ない話)

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ユンギさんのセンイルはあちらこちらで忙しく供給パニックに陥った。それで8日は1日せっせと文章を書いていたのに、いざ始まったユンギさんの放送を聴いてたら、全部間違いのような気がしてきて死にたくなってしまった。もうやめたいな、これじゃあ、あのソウルコンの帰り道とデジャヴjyan!!好きな人の誕生日に好きなことをやめてしまいたいと苦しむ人間、本当に向いてないし、大好きだから、続けるのが無理かもしれないと思った。


ここまで書いておいたけど、また0時を過ぎて何処かの誰かの言葉が刺さって勝手に傷ついて大泣きしてしまった。もう知らない。もう他人の言葉は何も見ないほうがいいかもしれない、私は。私は私でユンギさんに救われて居たいだけだ。

私の好きな歌詞に、「今夜は幸せが報われるための夜さ」というフレーズがある。

今夜は、みんなの幸せが報われるための夜だ、そうでしょ神様。夜は平等だから。そしてユンギさんに満天の愛が降り注ぐ夜。

私はユンギさんが好き、それは大丈夫。

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長々とどうでもいい話をしてしまった。結局9日が終わるギリギリまで。ユンギさんは幸せはあとになってわかるものなんじゃないかって前に言ってたけど、来年のこの日は私もどうかもう少し楽に息をしてますように。

끝!

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