春の澱みと向き合うために/「デッドエンドの思い出」よしもとばなな

春は心が澱む。

もわっと暖かい風を吸い込むと、おなかの中にホコリが巻き起こって、黒く澱んだ小さな沈殿物が溜まっていく。

「寒くなると古傷が痛む」とよく言われるけれど、心の古傷がいちばん痛むのは、だんだんと暖かくなる今くらいの時期のような気がする。

『デッドエンドの思い出』は、そういう心の古傷に、近すぎず遠すぎない距離感でやわらかく寄り添ってくれる。

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「ドカンとショッキングなことが起きて、その瞬間に泣き崩れる」というタイプの悲しみは、ドラマや映画ではよく登場するけれど、現実世界で出会うことは意外と少ないんじゃないかと思っている。

現実世界の悲しみは、その場では現実味が少なくて、淡々と日々をやりすごす中で時折ひょこっと顔を出したり、消えていなくなってしまったようにも思えたり、かと思えばささいな出来事をきっかけに夜通し押し寄せてきたり、

そんなことを繰り返しながら、傍目には普段通りの毎日をこなしながら、長い年月をかけて消化されてゆくものだと思う。

(だからものすごく悲しい目にあった直後の人は、周りからは意外と元気でいつも通りに見えたりするものだ)

そうやっても溶けきれなかった澱みが、春風にかき回されて、1年ごとに目に見える形で現れる。

「どうして私が? どうして私だけにこんなことが?」という身を裂かれるような疑問を、今日も世界中で多くの人が発している。

そう、神様は何もしてくれない。

(「ともちゃんの幸せ」より)

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3年くらい前、とある事故で、家にあったほとんどの本が水没してダメになってしまったことがある。最近、その中の一冊に『デッドエンドの思い出』が含まれていたのを思い出して、もう一度買ってみた。

悲しかったことを受け入れるために訪れる、やわらかくて優しいエピソードに焦点を当てた短編集。

春が来て、いつかの悲しかったことが澱みになって現れたときに読むべき本だなあ。と、このタイミングでこの本を思い出したのは、それなりに意味があることのような気がする。

特に、大失恋をきっかけに親戚のおじさんのバーに住み込み、雇われ店長の西山くんとさして大きなドラマもない日常のような非日常を過ごす、表題作が好きだ。

あの日々は、どうしようもない気持ちだった私に神様がふわっとかけてくれた毛布のように、たまたま訪れたものだった。

カレーを作っていて、たまたま残ったヨーグルトやスパイスやりんごなんかを入れているうちに、そして玉ねぎの量をちょっと多くしたりしたら、本当に百万分の一の確率で、ものすごくおいしいものができてしまったような、でも、二度とは再現できない、そういう感じの幸せだった。

誰にも何にも期待してなくて、何も目指してなかったから、たまたますごくうまく輝いてしまった日々だった。

(「デッドエンドの思い出」より)

私の人生にこんなに素敵なことはなかったかもしれないけど、いや、思い出せばあったかもしれないけど、

まあどちらにせよ、これからこういうことが起こるかもしれない、というような淡い希望を持たせてくれる。(ただ、失恋直後に読むと、劇薬にもなり得るかもしれない)

それで、今ある澱みも、まあそれはそれで飼い慣らしていくか、という気分になる。

日差しがポカポカする、空いている電車の中で読みたい本です。

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あしたもいい日になりますように!

いえーい!\(^o^)/
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Chihiro Bekkuya

ドーナツとコーヒー、ときどき本

特別に読書家なわけでも、文学に明るいわけでもない、ごく普通なアラサーの読書備忘録
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