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2021年の稽古場から

 窓を開け放った稽古場で、完全防備の役者たちが縦横無尽に動き回る。
顔面はフェイスシールドとマスクで覆われ、ほとんど表情は読み取れない。けれど、表情が使えないのならば肉体で表現してやろうという気概が、透明なシートについた水滴から伺える。
 年が開けると同時に、昨年3月に上演予定だったミュージカル『なんのこれしき』の稽古が始まった。2ヶ月後に迫る本番を無事に迎えられるかどうかは誰にもわからないが、何もしないで家にこもっているよりよほど生きている実感ができるこの稽古場は、今の私にとってたったひとつの希望だ。

 こんな事態になると予想もしていなかった2019年12月、私は劇場にいた。
 渋谷の駅から歩いてすぐ、ビルの6階にあるギャラリースペース。普段は展示に利用される小さな空間に、高さの違う椅子を四列並べて客席を作り、演劇のための空間を設えた。開演すると、そこに観客がびっしりと並ぶ。一番前の列から役者までの距離は僅か50cm。手を伸ばせば触れられる距離だ。
 演目は『春のめざめ』。1982年にドイツの劇作家フランク・ヴェデキントにより書かれた戯曲だ。抑圧された環境の中で、性に目覚めていく若者たちの様子を赤裸々に描いたこの作品は、出版当時、ドイツで大きな話題となった。戯曲は検閲にはひっかからなかったものの、なかなか日の目を見ることができず、上演までに15年の歳月を要したとされている。
 過激な描写が取り沙汰されがちな『春のめざめ』だが、戯曲のテーマは、いつの世も変わらない「人生の厳しさ」にある。矛盾に塗れた世の中で葛藤し、苦悩し、頼る大人もいない中で生きていかなくてはならない苦しさが、若者の視点から痛いほど切実に描かれている。
 私がギャラリースペースを選んだのも、彼らの熱や息づかいを、より間近で、生々しく感じさせるためだった。舞台を囲うような形で鉄パイプとアルミのネットで作った柵を建てて空間を狭め、あえて圧迫感のある美術を設計した。役者たちは、時には歪むほど強く相手役の身体を柵に押し当て、時には観客に向かって大声で苦しみを吐露して、窮屈な世界から外へ出ようと激しくもがいてみせる。役者の熱量に圧倒された観客たちが、劇世界へとのめりこんでいく。時間の経過とともに舞台と客席の境界が溶けて一体となっていくのを感じた。

 あれから数ヶ月。今や、稽古すら思うようにはできない。『春のめざめ』を最後に、携わる予定だった公演はことごとく中止になり、唯一上演にこぎつけた公演も直前に配信公演のみにする決定が下され、ついに観客を入れることは叶わなかった。苦しい思いをしたのは私だけではない。全ての稽古を終え、あとは幕が開くのを待つだけだった公演が緊急事態宣言を受けて中止になり、完成した舞台美術を解体しにいったと知り合いの舞台監督から聞いた時は、励ます言葉も見つからなかった。
 仕事を失い、活動が継続できなくなって、役者を辞めた人もいた。同じコミュニティの状況が手に取るようにわかってしまうSNSの便利さを、これほどまでに恨んだ日々はなかった。劇場が閉じてリモート演劇が生まれるのを目の当たりにしたとき、人間の環境適応力と文明の進歩を感じると同時に、やるせない気持ちが込み上げてきた。
 演劇しかやってこなかった私にとって、稽古のない日常は不自由だった。大きな歯車を失って時が止まってしまったようで、心がついていかない。演劇が上演できないなど、多くの人にとって大した問題ではないようだった。人との接触を極力抑える生活には慣れたが、マスクの下で、日に日に自分の表情が衰えていくのを感じた。

 世界が一変してから約一年。未だ、世の中の状況は快方に向かっていない。常に不安は付きまとい、続けるかやめるかの決断を迫られる日々。その最中で、私たちは再び『なんのこれしき』を上演する決意をした。企画で何度も検討を重ねた末の、生活を前に進める決断だった。幾度も公演中止や延期を経験して尚、「生の舞台を届けたい」という思いは揺らがなかった。

 久しぶりに稽古場で聞いた役者たちの歌声は、まっすぐで迷いがなく、フェイスシールドと二重にしたマスクの分厚い壁を軽々とぶち破る。不意に、オンラインで顔合わせをした半年前の記憶が蘇り、目の前で生き生きと歌う役者たちがあまりにも楽しそうで胸が熱くなる。口が見えないなら目を使って、言葉が聞き取りにくいなら体全体を動かして、触れられない分相手に寄り添って。人は、目の前に相手が存在して始めて、こうして一生懸命に伝えようとするのだと思い出す。こうして積み重ねた稽古が、無駄になるかもしれない。それでも、リスク負って劇場に足を運んでくださるお客様のために、そして自分たちのためにも、全力を尽くしたい。

 今月、再び緊急事態宣言が発令され、同時期に本番を迎える公演がバタバタと中止になっていくのを目の当たりにしている。2ヶ月後に迫る本番を迎えられるのは、ほとんど奇跡のようなことかもしれないと思う。それでも私たちは前に進む。今日が最後の稽古かもしれないと思いながら、全身全霊で目の前の人間と向き合う。そこには、明日を生きるための希望がある。

『なんのこれしき2020』特設ページはこちら
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