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ブログMのゆくえ

ある女性が8月の末に亡くなった。芸能人でも著名人でもない一般の女性だ。彼女は家庭を持ったダンスのインストラクターで、ダンスに興味があった私は偶然見かけて5年前から彼女のブログを読み始めた。特に文章的に面白いとか特別な趣向があるとかそういうものは何もなくて、子供のこと、自分の仕事のこと、食べ物のこと、旅行に行ったことなど、写真と共に書かれてあるよくあるタイプのブログだった。ただ私がなぜそのブログに惹きつけられ読み続けたかというと、それは彼女が重度の膵臓癌患者だったからだ。病人相手に興味半分で読んでいたわけでは決してない。どちらかというと私はいわゆる「闘病記」というものに苦手意識があった。しかし彼女の病状が一進一退する中での前向きな考え方や生き方に対して素直に「素敵だな女性だな」と思った。病状を事細かに説明するいわゆる闘病記でもないし自分の病気を集客のPRに利用するわけでもない。他の人に自分の人生を説くものでもなかった。時々愚痴は吐いても日々淡々と過ごし、できる時はダンスをし、できない時は休む。家族を愛し、誰を恨むでもなく自分の置かれた状況を生きる。そんな彼女の生活を応援したい気持ちで読んでいた。実際にコメントなどは一切していない。伝えたいことはたくさんあった。でも、何を書いても私の文章力では「同情」でしかないなと思ったからだ。

8月の初めのブログに「緩和ケア病棟に入院しました。ここの医師も看護師もきめ細やかで親切で、とても居心地がいいです」と書いてあった。でもその後に「口にできるのはレモンシャーベットひと口くらいだ。」とも書いていた。それを読んで素晴らしい病院関係者の元で居心地がいいという反面、もうシャーベットひと口くらいしか口に入らないのだなという辛さも伝わってきた。とても素直な文面に彼女の気持ちの葛藤が痛いほどわかってしまう。どうなってしまうのか毎日ブログを開いて更新されていないかを確認していた。でも、その8月の初めのブログからなかなか更新されない。9月になって私の中で「もうダメなのかもしれない...」と思い始めていた。

緩和病棟の入院中は…全身浴が難しいときは、洗髪や半身浴、下肢リンパマッサージ…などなど。文字通りの、至れり尽くせりです。こうやって、たくさんのげんき♡。しあわせ♡ありがとう♡(8月1日のブログ一部抜粋)

と書かれたまま...ひとり歩きもせず、時間が止まってしまった。たぶんこの時の辛さは私だけではなかったと思う。彼女のコメント欄にはたくさんのコメントが寄せられていた。すべてが私のような感情だとは言い切れないが、たくさんの人に愛された人だったのだと思う。

今朝、私はいつもと同じように彼女のブログを開いてみた。更新されていた。大丈夫だったのか?ダメだったのか?半々の気持ちで読み進めた。

Mの娘です

から始まっていた。もうそれだけで全部悟ってしまった私は朝のベッドの中でしばらく泣いた。本名も知らないどこに住んでいるのかも知らない見ず知らずの女性のためになぜ泣くのか自分でもわからない。5年間読み続けたブログが最後を迎えた瞬間なんだなと思った。ひとりの女性の人生を描いた長い小説を読み終えた感じがした。決してハッピーエンドとはいかなかったけれど、とてもいい小説(ブログ)だった。

母は2020年 8月27日19時24分永眠いたしました

娘さんの言葉が続く。

このブログは残しておくのだろうか、それとも退会されるのだろうか、どちらにしても、ブログのゆくえは時空のどこかで彷徨い続けるのではないかと思う。ひょっとしたら夢物語だったのかもしれない、ひょっとしたらMさんはどこかでダンスを踊っているのかもしれない、家族と旅行に行ってるのかもしれない...もしかしたら、巧妙な作家が書いた新作小説なのかもしれない...などと思いながらこのブログはずっとずっと未来永劫彷徨い続けるような気がする。

娘さんの気持ちを察しながら、最後までコメントはしなかった。

心より、安らかな旅だちをお祈りいたします。


読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。