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赦す緩さない

僕は職業柄そして街の性格柄
所謂、前科のついた方と接する機会が多い
今までの人生ではなかなか会うことのできなかった機会のため時々物思いに耽ることがある

また先日、ドラマや
ジャッジアイズのように警察がフダを持ち
建物の中に入り人が連れて行かれるのを
この目で間近で見た。
そしてこの日のことは一生忘れられないだろう

法律というものや
刑法なんかといった法には僕自身関心があり
どちらかというと好きな部類に入る
人はみんな感情があり、百人億色あると思う
ある人の正しさを貫けば誰かの正しさが失われ
誰かが一方的に得をすれば誰かは損をする
そんな状況も度々あるだろう
個人的に自分が感情的という自覚があるため
どうしても個人の尺度を頼りに
正義の護衛に突っ走ってしまう
そんな時に磨きまくられ、冷たくも温かくある
国における言葉を持たない王様
法の存在に救われ、
そして突っぱねられることがある
法律は変えることがもちろんできるし
100%主観の自分自身を貫くこともできる
だけど、どうも僕は
法律とかすらも味方につけてしまいたい
そう思ってるようなのだ

話を再度チェンジさせると
起訴されると法によって人は裁かれる
そこでは罪を犯したか犯していないのか
刑の重たさはどのくらいなのかが測られる
ここで僕が思うのは
裁判は第三者が許すか許さないかを説く場でも
ないということだ。
ニュースやワイドショーでは
犯罪について許せる許せないを簡単に語り
糾弾する場合もあると個人的に感じる
例えば近くで殺人事件があった場合に
怖くなり捕まえてほしいと言うのは
凄く凄く理解できる
犯罪が起きるということは
その件においては絶対的な被害者と加害者が
存在しており
それが身近で起こった場合自分に被害が及ぶ
そう思うと怖くなり護ろうとする
その反応は人間として至極真っ当な感覚だと
個人的には思う

一方で
犯罪が起こったのを許す許さないのは
被害者と加害者の関係で成り立つと考えている
だからこそ第三者が過剰なまでに許せるか
許せないかという立場を示す必要がないと
僕は思う
不倫騒動、火事、窃盗、殺人、銃刀法違反
聞いていたら胸糞悪く腹が立つことも
時には同情しすぎることもある
それは自分の中や友達などの間で共有すること
が1番いいのではないかと感じる

だからこそ僕は
前科があろうとなかろうと
仲良く話をするまでだ!!!!!!!
をモットーに今日も生きてるつもりです

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