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「身体が資本」って祖母が良く口にしていたけど

仕事をするにしても何をするにしても、やはり健康な身体は大切だ。日々の生活、営みを支えてくれているのは私たちの身体に他ならないのだから「身体が資本」なのは当然の事なのだが、特に私のような身体が健康で若い人ほど、それを実感する機会は乏しいかもしれない。

しかし若者である私でも、低所得者らしく偏った食生活を続けていたり、歯がボロボロだったり、精神的に病んでしまったりしているので「身体が資本」という言葉を実感する機会は度々訪れたりする。

_前回のは健康診断の段階で振り落とされてしまい、次こそはと意気込み申し込んでいでいた今回の治験だったのだが、製薬会社側の都合により急遽中止となってしまった。今回の治験は選定メンバーも多めに設定されており、食生活や睡眠にも抜かりない状態で健康診断に望んだ為、まず落ちることはないだろうと踏んでいたのだが、突然の試験中止の知らせに思わず肩を落としてしまった。(実際、健康診断の結果もかなり良かったらしいので、是非次回の参加をお待ちしていますとの事だった。)

今回の治験で得られるはずだった収入は色んな面で当てにしていた部分が多かった為、少々慌てている。捕らぬ狸のなんたらになってしまったのだが、落ち込んでいる暇はない。急遽日程の都合がつく別の試験に参加申し込みをすることにした。

PCサイトから申し込みを完了すると、後日、治験の情報を掲載しているサイトから確認の電話がかかってきた。口頭での軽い問診があるのでそれに答えていくと、どうやら私が応募しようとしている治験で投与される薬が「てんかん」に作用するものらしい。

その後、電話口での問診に「希死念慮の有無」や「過去に自傷行為を行ったことがあるか?」などの問いが出てきてしまった。虚偽の申告をすることは躊躇われたのだが、今度の治験参加への障害となってしまう情報を残すことはしたくなかったので私はその場で嘘をついてしまった。

しかし、今回の健康診断では身体に自傷行為の痕跡が無いかしっかり確認するらしいので、後日こちらから病院に都合により参加できなくなってしまったと辞退の連絡を入れるしかないだろう。調子がいい時には連続でメンバーに選定されることもあったのだが、なんとも上手くいかないものだ。

それから過度に進行してしまった虫歯があってもメンバーから外されてしまったり、参加が難しくなるケースがある。投与される薬が錠剤や注射によるものなら問題ないのだが、粉末のタイプになると万が一にも口内や歯の隙間に薬が残ってしまう可能性がある為、参加が難しくなってしまうらしい。


_治験というものは「ボランティア」の一環であり、協力金が支払われるものの、労働の対価としてお金が支払われるシステムとは、少し違ったものになる。

「身体が資本」というのは、日々体を使ってお金を稼いでいる労働者へ向けられた言葉、という印象が強かったのだが、失業者である私もお金の当てとして差し出せるものがこの「健康な身体」そのものだった。

しかし、もともとお金が無いことが原因で、虫歯が治療できなかったり、健康的な生活を維持するのが難しかったりする。結果「お金が無いことにより資本(健康な身体)が維持できず、ますますお金を得ることが難しくなる」という悪循環に陥ってしまいがちだ。

今後、年齢を重ねるごとに私の「資本」が更にやせ細っていくのを体感するのかと思うと、なんとも憂鬱な気持ちになってしまう、治験中止の連絡を受けた昼下がりだった。

おいしいご飯が食べたいです。