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「これやりたい!」って言えるようになって、やってみた話


以前こんなnoteを書いた。もう1年以上前の話らしい。

 周りにすごい人たちがたくさんいて、それでじゃあお前はどうしたいの?
って言われたときに「これやりたい!」とか「これが好き!」みたいなことが言えないなっていう話。

今日はこのnoteのアンサーソングならぬアンサーnoteを書いてみようと思う。

 なぜ「これやりたい!」っていうのが怖いのかというと、否定されたくないからだと思う。もちろん「お前それはやめとけよー」って正面から言ってくるやつはいないだろうけれど、それでも例えば少し反応が薄かったとかそんなことでも傷ついてしまう気がする。もう一つは、言ってしまったらやらなければいけないからだと思う。これもまたやらなかったからと言って「お前この前これやりたいって言ってたのにやってねぇじゃねぇか!」って言ってくる人はいないのだろうけど、それでも他人に言うことで一つ現実味が増してしまう。そこから逃げたいという甘えなのである。
だからいつも「んーなにやりたいんでしょうねー」って誤魔化す。


「やりたいこと」に向き合う

 このnoteを書いたときの私はベルリンにいくことやカオスパイロットに入ることなどを微塵も想像していなかったが、カオスパイロットに入ることで、この一年何度も何度も、
「あなたはどうしたいのか?」
を聞かれた。
最初は自分のしたいことは曖昧だなと思っていたり、やりたいことはそもそもないと思っていたり、やりたいことはなんとなくあるけどスキルが足りていないと言っていたり。
 
 ただあるときその「やりたいこと」に向き合わざるをえなくなった。
今年の1月、それまではグループでのプロジェクトしかなかったのだけど、自分1人でプロジェクトをやることになった。成績もつかないし、お金を儲ける必要も他人からも承認される必要もない。100%自分がやりたいことをやっていい状況になったとき、不安がどっと押し寄せてきた。


あれ。。
何やるの?どう過ごせばいいの?


これまでいくつかの「いつかはやってみたいこと」があった。期間的制約、お金やスキルの問題を考えても実現は十分可能であった。「やってみたい」と思っていた気持ちに嘘はないのに、いざ現実にやってみようと思うとあり得ないくらいに怖いと言うことに気がついた。


ええ。。やりたいことやるのってこんなに怖いのか。。。!!!


とそのとき初めて気づいた。
この1、2年ずぅううっっっっっと「やりたいこと」を探してきた。私にも何かしら「心躍る、やりたくてやめることができないような何か」が見つかるのかも知れないと思っていた。
が、それは間違っていた。「やりたいこと」って自分が一番やるのが怖いことなのかもしれない。そう思ったのだ。


 やりたいと言う思いが強いからこそ、失敗することが怖い、失敗したらその分の傷も大きくなってしまう。「そこまでやりたいとは思わないが、嫌でもないこと」くらいのものの方が失敗しても浅い傷で済む。「やりたい」ことはまだ残っているのだから今失敗してもいいじゃんーって思えるのだ。

人間の心ってそんなふうに思うのかよ。マジかよ。ってかなり衝撃だった。

もちろん、「やりたいこと」に向き合うことなく課題に沿ってプロジェクトを進めることもできる。多分私が一生「やりたいこと」から目を背けてもお金を稼げるし幸せに暮らせない訳でもない。
それでも私はそんな生き方は嫌だとそのとき心のそこから思った。

「なるようにはなるが、私はなりたいようになりたい」

これは2,3年ほど前から自分に言い聞かせている言葉だ。私は自分がなりたいを目指すことを諦めたくないと思う。



「やりたいこと」やってみた

 そう気づいた時点で、1月からのプロジェクト期間は終わりを迎えていた。しかし幸運なことに、最終プロジェクトとして、もう一度自分でプロジェクトを進める機会を得た。


「やりたいこと」って例えば企業するとか、作家になる!とか(わからんが)壮大に聞こえてしまいがちである。し、壮大な夢を持つことが悪いわけでもない。しかし、じゃあ企業することが夢だったとして、企業するまでが「やりたいこと」をできてない状態なのかと言われればそうでもなくて、経営の勉強するとか、事業のアイディアを見つけるとか、その過程に色々なステップがあって、その小さなステップ色々が「やりたいこと」の一つである。


 私もまた「やりたいこと」の全部ではなく最初の小さな小さな1つのステップをプロジェクトとすることにしてみた。具体的内容で言うと、ワークショップを企画して実施すること。
他の人からしたらそんなこと全然対した内容じゃないとか、難しくないでしょって思われるようなステップだという自覚があった。やり方も道筋もほぼほぼわかっていた。それでもとてつもなく「こわい」と感じた。

 一方で「こわい」と感じることは当たり前だとも思った。誰かにとっては簡単にできることでも私にとっての「初めて」がたくさんあったからだ。また、仕事と言うものは通常、誰かから依頼されて初めて行う。そこにはニーズがある。が、今回のプロジェクトは特定の参加者や必要としている人から依頼があったわけではなく、自分がこういうの必要じゃない?って社会に投げかける形で行う。
それって結果としてやっている内容が同じであったとしても伴う不安が全然違うと気づいた。(誰かに依頼され、その期待に応えなくては!という不安ももちろんある)


 そして、どうにかこうにか「やりたいこと」の小さなステップを踏み出すことができた。誰かからの責任があるわけでも、人生がかかっているわけでもないけれど、それでも大半の日々が不安であった。ただ一方でやってみるとこんなもんかって思たりもした。何より行動することで見えてくる景色があった。



「やりたいこと」やってみて思うこと

 どうしても完璧主義になりがちなのである。100パーセントの状態でやらなければいけない。完璧でないと世に出してはいけないと思う。がしかし、それは人を固まらせる。やる前は、全体のうちの10パーセントの部分やクオリティであってもやってみることに意味があると思うことが大切だ。100パーセントにするにはどうすればいいか?はやった後に考えるべきことなのである。そして完璧でなくとも「やってみること」から得られる学びは死ぬほどある。

Start from small and now

小さくてもいいから今できることから始めることの大切さを実感できた。

「やりたいこと」への恐怖はこれからもずっと続くことなのかも知れない。その「こわさ」は正直結構きついもので、こんな小さなステップであっても堪えるなと思った。けれど、それに目を背けたまま生きていくのは私は嫌だなと思うのだ。自分の気持ちに蓋をして生きていきたくはない。もう少しだけ続けていいと思えた。
やっと自分の「弱さ」に向き合えたように思えるのだ。と同時に世の中のみんなはこの向き合いをもっと難なくサラーっとこなして生きてんのかななんて思って、自分の弱さようなものを感じたりもしなくはない。それでも私は私なので仕方ない。

 
  じゃあ今「やりたいこと」を堂々と言えるようになったのか?って言われると、むむむってなる。いまだに「んーなんでしょうね」って言ってしまうこともある。理解されないかもって思うのが怖い。
でも、この人はわかってくれそうって人には届けるようにしたい。そして言うことで得られることもたくさんあった。言ってみて初めて応援してくれる人が見つかる。一緒に考えてくれる仲間ができる。有言実行なんて言葉があるが、言うことで現実に起きる状況を作り出せるのでは?って思ったりする。だからこそ言うことに意味がある一方で、言うことが怖くなる。

 

 終わりがわからなくなってきたのだけど、とりあえずここまでとしよう。
で、お前何やりたいん?って気がしてくると思うので、というか自身の言語化も兼ねて、やりたいことを具体的に書くnoteをこの後出せたらと思ってはいる。。。
ではでは、この辺で。チャオ〜。


 


  

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