私は震災を乗り越えたのか その2

大学2回生の終わりごろ、ひょんなことがきっかけで知り合って仲良くなった同じ学部の子が大学の寮に住んでいて、その子に誘われて寮の彼女の部屋に遊びに行きました。その部屋で二人でお酒を少々飲んでいました。だんだん酔ってきた彼女が話す言葉が明らかに神戸弁だと思ったので(それまで、神戸弁とわかるような話し方を彼女は私の前でしていませんでした)、「実家、神戸なん?」と尋ねると、「全壊したんやけどね、実家」という答えが返ってきました。「〇〇さん(私)も神戸やろ?話し方で前からなんとなくそんな気がしてた」と。

彼女は私が育ったところから電車で2駅離れたあたりの場所で育った人で、震災の際、自宅の2階で寝ていて、大きな揺れの後、気が付くとベッドに寝たまま、自宅の外に放り出されたという経験をした人でした(彼女の家の1階部分は崩壊しましたが、彼女の家族は全員2階で就寝していたため全員無事だったとのことです)。私の家も全壊だったということを彼女に伝えると、「そうなんや」と、それだけ。それ以上、その時もそれから後も、彼女も私もお互いに詳細な震災体験の話はしなかったけれど、彼女といるととてもほっとしたのを覚えています。

詳細をお互いに逐一話さないにしろ、彼女の存在が「無理をしなくてもいい」ということや「震災のことを話せないことは何も悪いことではない」ということを気が付かせてくれたのだと思います。「自分には何か出来ることがなかったのか」、「震災があったということを被災地以外の人々に忘れないでほしいけれど、自分の経験は話したくない」と様々考えていた時期だったと振り返れば思いますが、それを言わなくても彼女はわかってくれている気がして、彼女と出会ってからの学生生活はかなりいい方向に向いていきました。たわいもない話が彼女とも彼女以外とも普通にできるようにもなりました。彼女とは今は疎遠になってしまいましたが、私に声をかけてくれたことを感謝しています。

それからのことはざっと端折るけれど、そんな風に時間を過ごす中で、徐々に、「再適応期」という時期に向かっていき、所謂「普通の生活」を私は送ることができるようになっていったと思うのですが、そう思えたときにはもう、震災から5年以上の時が経っていました。

続きます。

#阪神淡路大震災


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