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Future’sMemories

さて待望のThe gardens MV&サブスク配信ということで当時ではできなかった各楽曲の私なりの制作時の気持ちとかエピソードとかを書いていきます(不定期)

まずは記念すべきデビューシングルの1997年6月4日発売の「Future’sMemories」からいきますね
この曲は実は表題曲ではなく元々タイアップのついていた「Bye Bye Blue」が表題曲だったはずで制作が進んでいってある時(これはドラマのエンディングのタイアップ)からこの曲が表題曲になったのだと記憶しています(定かではありません)

さてBye Bye Blueとは全く違う感じの曲想で今ではメジャーになっている曲作り
つまりBメロから始まるという昨今のヒット曲だとLiSAさんの紅蓮華なんかがわかりやすいと思います、そんな楽曲の伊秩さんとの打ち合わせがどんなものだったかはもう全く忘れてしまいましたがドラマチックにスケールの大きな的なワードがあったかと思います。アレンジで気にしたのはストリングスの雄大ではあるけどもどこかロック的というか荒々しさも表現したいと思いアレンジの段階つまりストリングスのラインを書いている時からストリングスアレンジを大師匠である萩田光雄先生にお願いしようと思ってそれを想定して書きました。

でその前にプリプロ(レコーディングする前にアレンジしたりすること)段階で伊秩さんやJUNKO、事務所の人がうちのスタジオに来て(今考えると何故?って感じですが)聞かせたのですが一番怖かったのは全部聞き終えての「間」です
あれダメかな?と思った瞬間伊秩さんが振り返って「KGいいよ!」って言ってくれたのにはほっとした記憶が今でも脳内映像として残っています、もちろん自分ではいつも自信あるわけですがうれしかったですね

レコーディングはベーシックをレコーディングしていってそのあとにストリングスとピアノ、エレキギター、ベースギターと進んでいったのですが歌い出しの生のストリングスのアルペジオと生ピアノのユニゾンを録っていった時と最後サビの転調した時の打ち込みストリングスでは得られない緊張感というか転調感は鳥肌ものだったかなと、そしてそれに反してのギターソロは自宅スタジオでYAMACHIに弾いてもらって録った素材に対してカットアップやエフェクトを当時では珍しいプラグインで処理して結局それをOKテイクにしました割と今のアレンジスタイルが確立していったのもガーデンズをやり始めた頃かと思います

注)後日思い出したことがあったら加筆していきます🙋

いとしの未来ちゃん 




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