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#68 メンヘラホイホイ、してみる?

こんばんは。id_butterです。
人生で最高に不幸な時に恋に落ちた話 の68話目です。

半年前くらいに、元夫の悪口はもう書かない、と書いた。
けど書きたくなってしまった。
タイトルはもちろん、元夫のことだ。

わたしは、控えめに言って元夫をクズだと思っている。
けれど、間違いなくモテる。
前回書いたみゆきちゃん2はエース級だけれど、わたしが出会った元夫のストーカーはひとりだけじゃない。
だから、心置きなく別れられたのだ。
たぶん、誰かが面倒見てくれるはずだと思ったから。

モテる、というのはどういうことなんだろう。
元夫のその時々のことを思い出して考えた。
別に元夫はモテたかったわけでもヤリたかったわけでもなかったらしいから、モテることのメリットがよくわからない。

元夫のストーカーの定番パターンがある。
元夫から聞いた話だ。(定番、というのはわたしが思ったこと。)

ある日会社を出ると、少し斜め前に女の人が立っている。
すると隣を歩く同僚がふと言ったそうだ。
「あれ、あの人昨日もいたような気がしない?」
そういえば、と思う。
すると、次の日もやはりいるのだそうだ。
それは帰りだけじゃなかった。お昼のときも、朝の出勤時も会社の周りだけじゃなく、ふと振り返ると、ずっといることに気づいた。

これは、つきあう前だったか後だったか、とにかく最初のころに聞いた話で、「ふ〜ん」と思った。
自分に関係ある話だとは思わなかったから。

でも、のちに実際に自分の目でこの風景を見ることになった。
住んでいたアパートから出て、大通りに向かう角を曲がる。
まだ夫ではなかった元夫が女性に挨拶をする。
「…おかしい」
彼女がここにいるはずがない、という。
聞けば職場の同僚だそうで、彼女の住む家は職場から見て反対方向どころか県境をまたいで1時間かかるらしい。
こんな駅近くでもない住宅街でふと出会うには不自然すぎる、と。

元夫に、何度も言った。
「責任が取れないなら弱っている人に優しくすべきじゃない」とかそういうこと。
けれど、そもそも元夫には色んな自覚がない。
そして、一見正しいのだった。
孤立しているひとに声をかけることは、何も間違っていない。
問題なのは、その後起こることなのだ。
溺れるひとの前に藁があったらそれは掴むだろう。
その後溺れるひとと藁はどうなるのか。
というかわたしはどうなってほしいのか。どうなったら納得するのか。

メンヘラホイホイたる元夫の習性で、直接ではないかもしれないが、関係がありそうな一面がある。
元夫は断らない。
元夫はモノをよくもらう。
職場でのお菓子、バレンタインデー、パチンコ屋さんの台、ビール券、試供品、元夫はとにかくよくモノをもらう。
家の中がゴミだらけになった一因である。

「パチンコ屋さんの台をもらう」件についてわからないひとに説明する。
パチンコでもスロットでも、まだ当たることが確定している場合がある。
最初に100回分当たっていて、まだ残っているけれど表面上は当たっていないように見えている。
そういう台を元夫に譲ってくれるのだ。
だいたいの人は、仕事とかで時間がなくなって泣く泣く譲る。なぜか見知らぬ元夫に。
ただの顔見知りたぶんヤクザさんとかにもよくコーヒーをもらっていた。

そういうものはともかく、変なデザインのおまけとか食べられないお菓子とかも、元夫は断らない。
だから、家の中には常によくわからない何かが散乱している。
そして、致命的なことに元夫は捨てない。

これが、メンヘラホイホイたる所以か…?
「捨てない」
この男の人は、絶対にわたしを捨てない。
なんか、メンヘラに刺さりそうだ。

でも、元夫はもらうけれど、交換とかお返しはしなかった。
例えば、よく言われていた。
「わたしとつきあえば、楽をさせてあげられるのに。」
みゆきちゃん2だけではなく、わたしが働いていたキャバクラの女の人とか、何人かに。
元夫はなぜかそっちに乗り換えなかった。
でもそれもメンヘラホイホイの「捨てない」ブランディングの一環といえば、ある種頷けるかもしれない。
単にめんどくさかったのかもしれない。

ホイホイ捕獲するだけして、その後は放置なのだった。
タチが悪い、わたしはそう思った。
なんか出入りのバランスが悪い、そう思うのはわたしだけなのだろうか。

もらうだけでなく、元夫はあげることも多かった。
お金だけじゃなく、ここでは言えないものをあげていたことも聞いた。
あげることが悪いことというより、あげることでそのひとやものと縁ができる。そして、思わぬ方向に物事が広がったり、思いも寄らないことが起きる、そのことが嫌だった。
わたしが想像するより大きなものを、あげたりもらったりしており、躊躇がない。大きさの概念がないのかとすら思った。

けれど、いつも元夫は飄々としていた。
何があっても、そんなに困っていなかった。
あげるのではなく貸したお金は、ちゃんと返って来るらしく、ストーカーはたいていほっておけばいなくなった。
大きなものをもらっても、それを返さないといけないみたいな意識もないから、もらうことのプレッシャーみたいなものもないらしい。
困っているのはいつもわたしだった。

よく言えば、周囲と世界と元夫は関わっていたのかもしれない。
そういう意味ではある種大物なのかもしれない。
と思ってみたけれど、そう思うのはわたしだけかもしれない。

誤魔化しきれない部分。
わたしもメンヘラだったんだろうな、ということだ。
そう思うし、当時から気づいてはいた。
だからここまで「メンヘラ」と書いてきた。
自分のことだと思ったからだ。
元夫に選ばれたという意味では、キングオブメンヘラなのかもしれない。

だけどメンヘラじゃなくなったから、離婚ホイホイから脱出することになったんだろうか。
なんかよくわからない。
彼女たちとわたしの違いはなんなんだろう。
あるのかどうかわからないが探す。

ここまで書いて、思い出したことがある。
元夫が言っていた吸引力の話だ。
わたしの友人のことを元夫は「あの子は吸引力がものすごい」と言った。

ホイホイ元夫はストーカーされたり迫られたりしても、手は出していなかったらしい。本人はそう言っていたし、わたしも信じていた。
みゆきちゃん2と元夫の間をそう理解した。
もし、元夫がつきあわずに彼女みゆきちゃん2に手を出していたら、あんなに彼女みゆきちゃん2元夫に固執していなかっただろう。もしつきあっていたのなら、わたしのところに彼女みゆきちゃん2は絶対に文句を言いに来たはずなのだ。

吸引力とは、彼女たちストーカーさんを引きつけた力のことだろうか。

くだんのわたしの友人の話をする。
彼女はまぁモテる。
ものすごく美人とかではない、声がかわいくて話し方がほんわかしているので女のわたしですらうっかり癒される。

モテると言っても、いろんなひとにちやほやされるというようなアイドル的なモテ方ではなく、無駄打ちせず必要本命だけを手に入れるオトすような一番効率的so coolなモテ方である。

元夫はほぼどんな女性とふたりきりになっても手を出さないように自制できるという自信があると言っていた。
それでも、その彼女友人とのふたりになった時は頭がクラクラした、というのだ。
「あれは、ヤバい。」
それは褒め言葉なのか、あるいはけなしているのか。
よくわからないが「ふ〜ん」とその時も思った。
元夫彼女友人に何か起こるなんて微塵も心配してなかった。

それ吸引力は、女であるわたしには見えない。
けれどわかるのだ、彼女友人には友人の彼氏を奪うような趣味がなく、彼女友人ホイホイに興味もなく、結果としてわたしには害がない。
つまり、吸引力は無自覚に放たれているものらしく、そしていつも害をなすわけではない。

けれど、その吸引力に全く心当たりがないわけではなかった。
彼女友人にはどこか陰がある。
男の人なら、助けてあげたい、そう思ってしまうだろう何か。
わたしには明るくみえるしいつも優しい、けれどわたしの闇を理解できるということは同じだけの闇を抱えているはずなのだった。

吸引力とはどこから生まれるのか、寂しさだろうか、欠落だろうか、弱さだろうか、渇きだろうか、喪失かもしれない。それともマイナスを埋める何かではなく、プラスαとなる何かなのだろうか。
わたしには彼女友人の吸引力がわからないのでなんとも言えない。
ただ、彼女友人ホイホイ捕獲能力がありながら、無駄にホイホイしていないようにみえる。
彼女友人がつきあったひとを何人かみたことがあるけれど、弱さや繊細さといった一面は垣間見えたけれどメンヘラではなかったように思う。

ここで思う。
ホイホイ捕獲は両方通行なのではないだろうか。
ホイホイされるひとはホイホイしているひと。
みゆきちゃん2はホイホイしていて、引っかかった人を斬っては捨てていた。
ホイホイは、単なる罠であって、罠にかかった獲物を手に入れるためのものじゃなく、排除するためのものなのかもしれない。
ホイホイに引っかかった人を自分の人生から弾くために使う武器なのかもしれない。
そう考えたら、急にそら恐ろしい。

ホイホイにかかったひとをその後どうするか?は個々人の采配である。
放置するかもしれないし、こき下ろすのかもしれない。
ただ共通するのは、おそらくホイホイにかかったひとは恋愛対象から外されるのではないかということだ。
溺れるひとの前に藁があったらそれは掴むだろう、その後溺れるひとと藁はどうなったのか。その答えがこれなら救われない話だ。

自分についていえば、わたしはホイホイ無駄な捕獲はしない。
できないというのもあるけど、しない。
自分のことを好きなひとが気持ち悪い、という別のメンヘラであるからだ。

とすると、わたしはメンヘラではあったけれど、元夫のメンヘラホイホイにかかった獲物ではなかったのだろう。
確かに、わたしはメンヘラホイホイの甘い嘘の空気に酔えるほど、強くない。
嘘だとわかったとき、わたしは立ち直れない。
当時もっとギリギリのところにいて、もしホイホイにかかっていたら今は生きていないと思う。

わたしは、控えめに言って元夫をクズだと思っている。
けれど、現代社会に必要なひとなんじゃないかとも思っている。
なんにでも「あそび」が必要だというじゃない?
彼はその「あそび」みたいな存在なんじゃないかと思う。
散々メンヘラホイホイの悪口を述べてきたけれど、必要悪じゃないか、というのが結論だ。
(わたしは嫌だけど)ある種、需要と供給が成り立っている。

ホイホイの一時的な服用は、毒にも薬にもなりうる。
藁をずっと掴んでいることはできないし、溺れるひとも救わない。
けれど、誰かがその藁を投げたかもしれない事実に、一瞬でも救われる誰かがいるのかもしれない。



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