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【音楽雑記】#35 麗美(REIMY)とユーミンの共鳴が名曲を生んだ(と思う)。(1984年①)

この頃の邦楽で個人的フェイバリットは麗美(REIMY)だ。

麗美は1984年に松任谷夫妻のプロデュースでデビュー。
当時ユーミンがラジオで「麗美のアルバムの出来がとにかく良い。自ら行商して売り歩きたいぐらい」という主旨の話をしていた記憶がある。

麗美は松任谷夫妻プロデュースで3枚のアルバムと1枚のベストアルバムを残している。ベストアルバムの名前は「REIMY BRAND」。
荒井由美時代のベストアルバム「YUMING BRAND」の名前を引き継いでいる。
それほどユーミンは麗美の声や才能に惚れ込んでいると思った。

ユーミンが麗美のイメージで書き下ろしたと思われる提供曲はどれも名曲。
松任谷正隆氏のアレンジもクオリティが高い。

「残暑」「青春のリグレット」「霧雨で見えない」「ノーサイド」、、。
後にユーミンがセルフカバーしているが、これらの曲は麗美の曲として最適化された曲だと思うし、自分にとっては、あくまでも麗美の曲として感動した曲だ。

ユーミンは昔、“ニューミュージック界の浅田美代子”を自称していたので、決して自分が歌が上手いアーティストだとは思ってなかった筈。ユーミンの歌声の魅力も素晴らしいが、若い頃のユーミン声は取り戻せない。

そこに現れた若く天性の歌声を持った麗美はユーミンのインスピレーションを呼び起こし、青春のせつなさをリアルに表現する名曲を生み出したのではないか、と想像してしまう。

特に「残暑」の麗美のヴァージョンは健気な歌詞に合致した麗美の歌唱、アレンジの出来を含め感涙ものの素晴らしさだと思う。

麗美の楽曲は音楽配信されていないがYoutubeでほぼ全曲聴けるようだ。
AmazonやYoutubeに上がった動画のコメント欄を見れば、今も熱烈なファンがいることが分かる。(mixiや掲示板でファンコミュニティも長らく継続していた)

自分にとっても涙腺を刺激するエヴァーグリーンのアーティストの一人だ。

麗美はアルバム3枚を制作後、松任谷夫妻のもとを離れ、アーティスト・作曲家として才能を広げていく。(その後の話は改めて書きたい)
90年代からはREMEDIOS名義で数々の岩井俊二作品の映画やアニメ「あの日見た花の名前を知らない」の音楽も担当している。


先にユーミンの1980年代前半の作曲家活動について書いたが、松田聖子、薬師丸ひろ子への提供作品に加え、麗美作品もこの時期の作品。改めて名曲が量産されていた時期だと思う。

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