本当の「幸せ」って何? 10日間の瞑想合宿に参加してみた(3)【ストレスフルな現代社会に生きる皆さんへ】
10日間、毎日約10時間超の瞑想を行う瞑想合宿の、日々の内容をまとめてみました。
ここからは、個人的な合宿中の感想と、少し詳細な瞑想法の内容になります。
【前の記事】
本当の「幸せ」って何? 10日間の瞑想合宿に参加してみた(1)【ストレスフルな現代社会に生きる皆さんへ】
本当の「幸せ」って何? 10日間の瞑想合宿に参加してみた(2)【ストレスフルな現代社会に生きる皆さんへ】
まず、1日のタイムテーブルはこんな感じ。
4:00 am 起床(めっちゃうるさいベルが鳴る)
4:30-6:30 am 瞑想
6:30-8:00 am 朝食
8:00-9:00 am グループ瞑想※1
9:00-11:00 am 瞑想
11:00-12:00 noon 昼食
12:00 noon-1:00 pm 休憩、希望者面談※2
1:00-2:30 pm 瞑想
2:30-3:30 pm グループ瞑想
3:30-5:00 pm 瞑想
5:00-6:00 pm ティーブレイク(お茶と一切れのフルーツ)
6:00-7:00 pm グループ瞑想
7:00-8:15 pm 講話
8:15-9:00 pm グループ瞑想
9:00-9:30 pm 解散、希望者面談
10:00 pm 消灯
※1 グループ瞑想時間は、瞑想ホールから出られません。
※2 希望者面談では、メンター的な瞑想の「先生」に瞑想方法や思想に関しての質問が可能。
今見てもクレイジーですね。
一応合宿ルールのおさらい。
【合宿ルール(の一部)】
・全ての電子機器、本、紙やペンは没収され、音楽も運動も禁止。
・他の参加者といかなる交流(会話、ジェスチャー、アイコンタクト含む)(一応確認しましたが、独り言も、他の人の迷惑になるのでNGといわれました。泣)も禁止。
・エリア外への外出禁止。
・アルコールやたばこも、もちろん禁止。
・朝4時起床、4時半瞑想開始で、夜9時まで瞑想漬け。
・食事は、朝11時が最後で、夕飯は17時にお茶とひときれのフルーツのみ。ビーガン食。
下記、合宿の様子と感想を時系列で共有します。
【10日間の様子】
【0日目】
15時頃瞑想センターに到着。
早速受付で、「10日間逃げません」という誓約書にサインさせられる。
受付の人が、「携帯、財布、PC等持込み禁止な物を預けて、自分の”ルーム”に荷物を下ろしてね、」というので、できるだけ粘ったあとそれらを預ける。
荷物を降ろしに、アサインされた「ルーム」を探しに。
共同部屋なのは覚悟していたけれど、その「ルーム」に入って、思わず苦笑。
実際の「ルーム」の写真。
(このパーテーションの中にそれぞれ寝てました)
この腰程の高さのパーテーションで仕切られた横1mx縦2mの場所。
その床の上に高さ5cmくらいのマットレスとまくら。以上。
(シーツとブランケットは支給される)
期待はしてなかったけど、当然のように水シャワー。
部屋に入ってから、頭の中で、私にこの瞑想合宿を教えてくれた友人の言葉がリピートされる。
「最初は、マジでここは刑務所よりきついって感じるんだ」
「最初の2-3日で、何人か脱落してた。僕は当時人生のどん底で、帰っても仕方なかったからそのままいたけど。そうじゃなかったから脱落してたかも。」
やばいところに来てしまった。
同じく途方に暮れている他の参加者たちと、オリエンテーションが始まるまで、
「これはきついね」「いや、きっと私たちは大丈夫よ」
みたいな会話で励ましあう。
ちなみに今回男女50名くらいの人達が参加していました。
(7割外国人で、3割ローカルのインドネシア人といった感じ。ドイツ、カナダ、ベルギー、台湾といった色々な国の人たちが参加してました。男女棟は別々で、瞑想ホール以外はすべての空間が男女仕切られています。)
19時からオリエンテーションが始まり、その後簡単な瞑想をして、「聖なる沈黙」(会話禁止タイム)がスタートします。
10日間、やっていけるかなあ、、、という不安でいっぱいのまま床につきました。
【1日目】
4時起床。
4時半から瞑想ホールか自分の寝床(一応任意)で瞑想が始まるのですが、とにかく眠い。
しかも前日ろくに夕飯も食べていないので、お腹も空く。
そして待ちに待った朝食。
茹でた豆(小豆的な)と練乳、フルーツ、トースト。
ビーガンフードとは聞いてたけど、とんでも質素!(ちなみにトップ写真は初日のおやつとしてもらったインドネシアのローカルフード。見た目通り素朴な味。)
実はこの日がたまたま微妙なご飯メニューだったのですが、合宿初めての食事だったため、このままマジで獄中生活するのか、、と覚悟を決めました。
朝食後、ついにグループ瞑想で瞑想指導がスタートです。
一応瞑想の「先生」(オーストラリア人)が出てくるのですが、「先生」は前にドーンと座っているだけで、タブレットでMP3をかけだしましたす。(ここは現代)
スピーカーから何語かわからぬ呪文のような歌みたいなものが流れます。
(インドネシア在住の方であれば、お祈りのときのアザーンみたいなの。昔のインド語のパーリー語らしい。)
その後、瞑想インストラクションはあったものの(英語とインドネシア語)、てっきりインストラクションに合わせて深い瞑想に入っていくのだと思ったら、
「こんな感じで、やってみるんだ。真面目に、忍耐強くね。必ず成功するさ★」
と言った後は1時間放置。
もちろん全然集中はできない。
そして先生との、ちょっとした瞑想についてのヒアリングタイムがあるのですが、オーストラリアなまりの英語で、全然聞き取れず。言葉を発する唯一のチャンスも、ほぼ何も会話ならないまま終わる。
あと9日、先が長すぎる。。とうなだれて1日目終了。
【2日目】
朝食が普通になった!普通においしい!(わりとしっかり味ついたインドネシア風おかゆ)
それだけでかなりハッピー。
あれ、これ以外と私いけるかもしれない。と自信がでてきます。
ちなみに、1日目から感じてたけれど、人間はやることがないとき、頭の中の独り言が全然止まらない。
一瞬も何も考えていないときがない。そして内容も超ランダム。
仕事のこと、将来のこと、過去のこと、家族のこと、1日中頭の中は動いていました。
だいぶ色々考えたなあ、デジタルが無い時間って大事だ。
ん、でも、あとまだ1週間以上もある。長すぎる。。。
【3日目】
頭の中で、自分の歴史を振り返ってみる(というか色んなフラッシュバックがめちゃある)
ここらへんで、自分のトラウマとか色々向き合いはじめる。
そして、段々他の参加者の行動パターンも見えてくる。
1人黙々と食べる食事は、20分もすれば終わってしまう。その後は次の瞑想タイムまで休憩時間なのです。
(朝6時半の朝ご飯支給から8時まで、11時のお昼ご飯から13時までは各自自由)
毎日2回シャワーする人(ほぼ外に出ないのに)、とにかく敷地内を歩き回る人、庭の全ての花のにおいをかぐ人、足の毛を一本一本毛抜で抜きだす人、毎日洗濯する人(ほぼ外出ないのに)、とにかく寝てる人、
などその様子だけでも、シュールな感じでした。
もうこの辺から、私は先のことを考えるのを諦めます。
【4日目】
ここまでずっと「呼吸」の観察をしてきましたが、この日から「身体の感覚」の観察を始める。
とはいっても、グループ瞑想の時間くらいは頑張ってみるものの、そんな集中力は続かず、頭の中で「風の谷のナウシカ」を上映。
感動する。
【5日目】
ここらへんから、グループ瞑想時間は、「決意の時間」として
「座ってる身体を動かすな(手足を広げない、目を開けない)」という指令が下る。
1時間動かない。
これが意外と大変で、足の痛みはもちろん、何と言ってもかゆみをスルーするのがすごくきつい。
人は普段、意識まで到達する前の時点で、かゆみに反応して、掻いてから、「あ、ここがかゆかったんだ」みたいなことも多いということを実感。
「全ては生まれて、去っていく。」
「完全な、完璧な平静さを。何があっても、平静であるのだ。」
と繰り返しスピーカーから流れる言葉を心の中に繰り返す。
おかげで知らない間に虫さされが数箇所できました。
【6日目】
生理になる。(超個人的な話ですみません)
足組んで座っているだけでも痛いのに、お腹も蹴られている感覚。つらすぎ。
いや、これが身体の感覚をただ観察して、何にも反応しない「平静な心」を磨く修行なのだ。。。。と自分に言い聞かせて、鎮座。
とにかく、瞑想以外の全ての時間は倒れるように寝まくる。
「瞑想」って座ってるだけに見えて、意外と全神経使うみたいで、動かないのにすごく疲れます。
休憩中に瞑想時間15分前を知らせる、施設に鳴り響くベル(もはやゴング)が憎い。
(常に部屋に鳴り響くベルで時間管理されてました)
【7日目】
さて、この辺から、「渇望」「嫌悪」についてあらためて考える。
私は「嫌悪」の感情は疲れるのでそもそもあまり蓄えられない性格だからいいのだけど、「渇望」はなかなか切り離せないぞ、と。
私は「これがしたい」「あれがしたい」の数は少ないけれど、それぞれへの気持ちは強い。
実際そういう感情がなければ、今私はここ(インドネシア)にいないし、きっと今頃日本でもやもや生活してた気がする。
人生をよりよくする為に「渇望(craving)」は必要なのではないか?
あれ、「渇望」と「夢」と「志」の違いって何だろう?
「crave」と「desire」の違いは?「desire」もだめなの?
みたいな気持ちがぐるぐるして、瞑想中はこの疑問でいっぱい。
どうしても自分で答えが出せなかったので、「先生」に聞いてみる。
私
『瞑想中「平穏な心」(Equanimous mind)が必要なのはわかりました。それに「嫌悪」や「渇望」といった感情を無にする、というものわかりました。
でも、どうしても「渇望」がいつも悪いものとは限らないのではと思ってしまうのです。』
先生
『「渇望」はいつでも悪いものだよ、良いことはない。ほっほっほ。』
と一蹴。
食い下がる私
『いやでも、例えば、私は今インドネシアに住んでいてわりと満足してるんですけど、
でも過去に私がここへ来たい!って思わなかったらここにいないし、きっと今頃現状の満足感は得られていない。そうなったら多分自分を不幸に思うだろうし、渇望がなかったらよりよい人生を送れないのではないのでしょうか。』
先生
『もちろん、人はゾンビみたいに、何も欲をもたずに生きてはいけない。
何かをしたい、という気持ちはが出るのは自然だ。
でも「渇望」とは、終わりのない、今を苦しめるものなのだ。
いい例をあげたいけれど、難しいな。
渇望を言語で特定するのは難しい、体感するものだから。だからここで「渇望」はこれ、とは言えないのだよ。』
私『うーん・・・』
と、その場ではイマイチ納得できなかったのですが、
その後自分の中で、
欲の感情は自然なこと。
ただそれに捉われて自分をみじめにするのはよくないこと。
という落とし込みをして、何となくスッキリしました。
「渇望」は悪いもの、とハッキリ言われたことで、「渇望」って実は友達なのではないか?という疑問はなくなり、そのことを考えなくなったことによって、瞑想にも集中できるようになったのでした。
【8日目】
瞑想も、座っているのもかなり慣れてきた!
おお、グループ瞑想3回中、午後の2回は痛みは耐えられるレベルになってきたぞ。と、自分の成長を知る。
この日くらいから、身体が揺れたり、引っ張られる感覚がたまにでてくる。
揺れるというか、頭に意識を集中するとき、頭が異様に重く、じんじんとした感覚がありました。
それが頭の右側のこともあれば、左側のことも。
それが重たくて、微妙に揺れていて、力を抜かれた身体がその重さに頭から引っ張られる感じ。
そんなこともあれば、時々なんだか背中が離れていく感覚があって、力が入ってない身体が思わず後ろに倒れそうになることも。
そのような現象が起きはじめ、「おおーーこれよくテレビとかで霊能力者と前とかで見るやつかな」とかふわーっと考えていました。
同時に、このときくらいから、寝るときとか瞑想中に、呼吸が凄く軽くなったことに気づく。
あれ、今まで私本当に同じ空気吸っていたのだろうか?呼吸ってこんなにすーすーするんだ。みたいな発見がありました。
正直、ここまで来たらもう帰ってよくない?
という気持ちが駆け巡りだす。あと2日だ!
【9日目】
朝食後のグループ瞑想(決意の時間)。
もう1時間余裕だぜ。と思いきや、やっぱり痛すぎて最後の15分はもう何も集中できない。
悟りの道は、遠い。
そう感じさせるために10日間あるのかな。と自分を納得させる。
【10日目】
修行最終日。
朝9時から前述した「愛の瞑想」についてのインストラクションが終わったあと、ついに「沈黙タイム」終了(午前10時)!
その後は何とも表現しがたい、ぎこちないような、すごく嬉しくてしかたないような空気が漂っていて、他の参加者たちとしゃべりだす。
今まで全スルーしてたように見えたけど、実はみんなお互いの観察し合っていたようで、
あのとき、ひとりでめっちゃ凄い顔してたけど、何があったの?とか、
あなたの瞑想ポーズまじいけてるわ、とか。(あぐらが出来なすぎてクッションを7個使って馬乗りポーズで瞑想している子もいた)
これまでの生活のお互いの感想を言い合って終始ワイワイしてました。
印象深かったのは、
「ここのスタッフの人達は、もっとちゃんとしたご飯をつくるべきだわ。味は薄いし、バランス悪いときも多いし。それに何せ愛想悪いし。」
という人もいれば、
「スタッフ(ボランティア)で来ている人たちは、本当すごいわ。自分も瞑想しなきゃいけないのに(そういうルールらしい)、私達のご飯を時間までに用意したり、面倒をみなきゃいけないもの」
という人もいて、
おお、結局10日間で人というのはそんなに変わらないものなのだなーということもわかりました。
そして実質最終日ということで、あの身体ユレユレ現象を念のため先生に聞いてみました。
私
『瞑想中身体が揺れるんですけど、これは普通ですか?それとも私の妄想が勝手に揺らしているだけですか?そうなったとき、どうすればよいでしょうか。』
先生
『前から見てると、君だけじゃなくて、他の生徒も動いている人がいるよ。手が勝手に震えだしたって言いにきた人もいたくらいだ。それは過去の穢れが浮き出てくるとき、自然に起こることがあるんだ。気にしなくてよいよ。実際揺れているんだ、と目で確認したら、意識して止めるだけでいい。』
私
『そうですか。止めちゃっていいんですね。
あと、「生まれては去っていく。」とはいいますけど、瞑想中にじんじんする感覚があるとき、その感覚が時々全然去っていかないことがあるんですけど、そういう時どうしたらいいですか?』
先生
『毎回なるのかい?』
私
『いえ、毎回はならないです』
先生
『ほらね。永遠のものはないよ。起こったままにしておきなさい。』
私
『・・うん、なるほど。そうですね。
あと最後に、今後家で瞑想するとき、インストラクションでは毎日朝夕1時間やりなさいっていってたけど、時間が無い時は2-30分位でもいいですか?』
先生
『1時間は、瞑想の状態が現れるまでに必要な時間なんだ。それ以下だと効果があまりないといえるね。最低、1時間かな。』
私
『うう・・でも1時間は実際きついっす。』
先生
『勉強したいことや運動したりするときは、大体それくらい時間を割くだろう?瞑想も、同じ努力が必要なんだ。だんだん、それが生活の一部になっていくよ。』
私
『OK、、、やってみます。。.』
【11日目】
そして解散日の朝、合宿お手伝い募集についての勧誘講話が終りり、朝7時すぎくらいに解散!!
みんなついに返ってきた携帯を手にして、触りたいような、触りたくないような。
さて、下界に降りるぞ。みたいな複雑な気持ちで、それぞれの帰路についたのでした。
ーーー
以上が、10日間の全体的な流れでした。
ひとことでいうと、色々な根本を見直す、貴重な体験だったと思います。
ここまで個人的感想でしたが、下記ここでの「瞑想方法」をざっくり下記まとめてみました。
瞑想の実践方法について興味がある方は、ご参照ください。
【瞑想法の流れ】
1-3日目 呼吸の観察1
呼吸の「仕方」を教わるのでなく、呼吸を「観察」しろとだけ言われます。
自然な呼吸を。
腹式とか肺とか関係なく、とにかくありのままを観察します。
1-2日目は、上唇から鼻の中の三角形の領域だけを、観察.。
3日目から、上唇から鼻の下までの領域だけで、呼吸を観察。
とにかく空気が唇の上の肌に当たる感覚を意識しまくります。
インストラクションでは、「呼吸方法」については全く触れませんが、あら不思議意識してみると自然と腹式呼吸になっています。
4-9日目 身体の感覚の観察。
やっと呼吸から離れて、頭から、全部の身体の箇所をチェックしていきます。
今まで実際、妄想とか他のことに使っていた意識を、全部身体の一部一部に当てていきます。
最後の3日くらい(7日目以降)は、人によもよりますが、身体の一部にじんじんした強い硬いような感覚を感じたり、ふわっとした流れるような気持ちよさを感じたりします。
最終的は身体の内部の感覚も感じるようになってくるらしいです。(私はそこまで至っていない)
10日目 +愛の瞑想
最終日は、前述したように、「愛分かち合い」瞑想を学びます。
今まで自分の内へ向けていた全意識を、外へ向けて、「みんなが幸せになりますよーに★」と外へ意識に変えます。
これは普通の瞑想をして、自分の瞑想が本腰に入れたときだけやりなさい、とのこと。
自分のこともできないのに、人のことなんて考えられんだろ、とのことでした。
ーーー
長くなりましたが、こんな感じで10日間(11泊12日)が終了。
正直、もうしばらく参加しなくてよいくらいお腹いっぱいだけど、人生で大事な何かを学んだ気になりました。
最後に、この瞑想団体について紹介します。
もしも、この瞑想気になる!とか、参加してみたい!というめちゃレアな方がいれば、ぜひ参考ください。
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