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手紙っていうのは 数日前にその人が自分のことを考えてくれていた証拠

「手紙っていうのは 数日前にその人が自分のことを考えてくれていた証拠
/サプリ おかざき真里」



手紙を書くのが、好きだ。
もともと、字を書くのも好きだったし、相手と秘密を共有しているような気持ちになって、嬉しくなる。


前回の #ノートの切れはし は、こちら。



小学生の頃は、学校の友人はもちろん、習い事の友人とも、毎日のように手紙の交換をしていた。
お気に入りのメモに、他愛のない、日常をつらつらと書き連ねて。


中学生になると、あんなに自信過剰だったわたしは、自信を失って人の顔色ばかり伺うようになる。


わたしの通っていた小学校は、一学年50人程度。
しかし、一緒になる小学校は、それぞれ100人ずつ以上人がいた。一学年、300人近い計算だ。
その中には、教員の洋服を切ったり、残酷ないじめをして3人ぐらい教員を休職に追い込んでいる人たちもいる、という話を聞いて、入学前から中学に行くのが怖くなっていた。



萎縮したわたしは、学級委員や人を仕切る立場に立候補したりはせず、真面目女子として教室のすみっこでひっそりと座っていることにした(それでも、1年目は謎の推薦で学級委員になってしまったのだけど…)

わたしの通っていた小学校は、それはそれはのんびりしたところだったので、いじめなどもなく、みんな仲良く平和に暮らしていた。
けれど、この苛烈を極める中学では、わたしの小学校から来た人の、1/5ぐらい不登校になった。

とにかく、どうにかしてこの学校で居場所を見つけなければ。
クラスで、特に仲の良い友達もできず、相変わらず習い事コミュニティでなんとか気持ちを保っていたわたしは、やがて部活の先輩に手紙を書き始める。


"先輩と仲良くなりたくて、それで…"
と声を掛けて、5~6人の先輩に手紙を書いた。(もちろん全員女子。)


まだ携帯を持っている人もそんなに多くなくて、周りも先輩に手紙を書いていたし、そんなにたくさんの勇気を必要とせず、手紙の交換を始めた。
そうして、どうにか部活の中で自分の居場所を見つけた。




わたしにとっての手紙は、仲良くなるきっかけみたいなものなんだと思う。
手紙をもらったら、嬉しい。
喜んで貰えたら嬉しいから、というより、わたしが書きたいから書いている、というような感じなのだけれど、それで相手が喜んでくれたらこんなに嬉しいことはない。

今年、言葉の企画 のはじまりに、70人超の人たちに手紙を書いた。


それがきっかけで、たったの半年間、全6回でこんなに仲良くなれるとは思わなかった。だいすきで大切な、一生繋がっていたい仲間ができた。


これからも、大切な局面で、たくさん手紙を書いていきたいとおもう。
大切な局面だけじゃなくて、日々の、とりとめのない感情をただ伝えたいときにも。




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