見出し画像

ジャンルの切れ目は縁の切れ目、と言うけれど

『花束みたいな恋をした』を観た。あらすじをざっくりまとめると、好きなものがたまたま一致したことをきっかけに急速に仲良くなった2人の、恋の始まりから終わりまでの5年間を綴った物語。
直接的な感想は一旦置いておいて、個人的な話を残したい。ネタバレを含む可能性があるので、未観賞の方はお気をつけて。


色々と身につまされる思いだった。なぜならわたしは、すきなものが少し被っているというだけで相手の感性をすきになり、波長が合うことがわかると相手ごとすきになってしまうことがあるタイプだからだ。(共感才能恐ろしい…)

ある時、ヴィレッジヴァンガードの本のコーナーで、「わたしの部屋の本棚みたい!」と盛り上がっていたら、友人が江國香織さんの『やわらかなレタス』を紹介してくれたことがあって、

「江國さんは、レタスの咀嚼音を”じゃこじゃこ”って言うんですよ!”シャリシャリ”とかじゃなくて!」

と教えてくれた時の表情があまりにも無邪気でかわいらしくて、”恋に落ちる瞬間があるとしたら、今だな”と思いながら心のシャッターを切ったのを、よく覚えている。

***


好きなものの類似点が複数あることをきっかけに始まった交際は、好きなものへのお互いの距離感が変わっていくことで二人の距離もどんどん開いていく(と、わたしは受け取った)。そこには、日々の生活とか社会との関わりとか、生きていく中で避けて通れないものの力がはたらいていた。

そこでふと、”ジャンルの切れ目は縁の切れ目”と言う言葉を思い出したのだ。ゼロ年代、同じ推しジャンルを持つ者同士でよく使われた言葉だった。”ハマっているジャンルが変われば、その時そのジャンルを通じて親しくしていた人との交流は終わってしまう”という意味で、それに憤る人も、悲しむ人も多く見かけたように思う。


高校生のとき、親しくしていたネット上のグループがあった。ほぼ同い年で、ブログからまだ黎明期のTwitterに移って、中学生の頃からなんとなくブログを見知っていた人たちだった。知っているのはハンドルネームだけで、顔も本名も知らない。けれども、歳が近くてたまたま同じジャンルにハマっていたため、仲良くなるのに時間はかからなかった。

わたしたちは、こっそり親の目を盗みながら、日付が変わる頃にskypeを繋いで朝まで喋るのが好きだった。まるで秘密の隠れ家のようだった。推しが変わっても、ハマるジャンルが変わっても、相変わらずその時々の推しの話をした。好きな人たちの、好きなものを好きに語っているのを聞くのが好きだった。何より、みんな楽しそうに話していたから。

表では高校の友人たちとも仲良くしていたし、それなりに楽しかったけど、好きなものについて耳を傾けて、否定せず聞いてくれる人たちが初めてで、何にも変えがたい時間だった。リアルの友達だって話せば聞いてくれただろうけど(今はそれがわかるけど)自分の好きなものを否定されたらどうしようとか、自分の話する時間を取ってしまうのが申し訳ないなとか、嫌われたくないなとか、そんなことばかり考えて何も言えなかった。

2010年南アフリカW杯が開催されたときには、skype繋いでみんなで応援したり(みんなサッカーにハマっている時期で、日本代表の中で推し誰?みたいな話をした気がする)その冬には、初めてリアルで顔を合わせた。もうその頃には、好きなジャンルはバラバラだったけど、わたしたちは途切れることなく繋がることができていた。

「ジャンルの切れ目は縁の切れ目ってよく言うけど、うちらは大丈夫だね。ネカマとか怪しい人いっぱいいる中で、うちらよく出会えたよね」と5人のうちの誰かが言っていたのを未だに覚えている。

(当時はまだ、ネット=怪しい人がいっぱいいるという感じで、ネットを通じて知り合った人に会ってはいけないと言われていた。ネットに触れるようになって十数年が経つが、未だ危険な人とエンカウントしたことはない。テキストで大体波長が合うかわかると思うのだけど、単に運がいいだけなのかもしれない)


あれから10年経って、もうこの5人でskypeすることはなくなってしまったけれど、稀に個々で会う人もいる。これは多分趣味でつながった人の原点で、ジャンルが変わっても、推しが変わっても、好きなものが変わっても、趣味抜きでもその人が好きなら繋がっていられるのだということを学ばせてくれた人たちだった。
だから今でも、好きな人の好きなものの話を聞くのが好きなのだと思う。

***


ここまでだと割と綺麗な話だけれど、またその逆もあって。
映画のふたりみたいに、好きなものがとっても似ていて、一緒にいるうちにお互いの好きなものを吸収しあって、お互いの好きなものの話で盛り上がって急速に仲良くなった人がいたことがあった。しかし、それはいつも他人の話で盛り上がっているということであり、”自分たち”の話をしないまま、できないまま進んでしまったがためにどんどん相手のことが分からなくなって、関係性が悪くなって、SNS全ブロックされて散々な分かれ方をしたこともある。


最近のわたしはというと、やっぱり好きなものが近い人に惹かれやすいのだった。共通項が見つかる度にどう転ぶかわからないな、と昔のことを思い返しながら、好きなもの本体ではなく、相手が何を考えて生きているのかにちゃんと耳を傾けなければ、と思いながら対峙している。

でもやっぱり好きなものが近いだけでは仲良くなりきれず、スズナリに行った人とも駅前劇場に行った人とも本多劇場に行った人とももう繋がっていないので(あれ?)趣味や好きなものはきっかけに過ぎなくて、相手の生きてきた背景や何を考えて生活しているのか等、その人の思想そのものに歩み寄らなくては関係性を続けることはできないのだなあとより強く思った。


わたしは変わるし、相手も、周りの人たちも、みんな変わっていく。
だからこそ、変わり続けるものに寄り添い続けることが向き合うってことなんじゃないかな、と思わされる作品でした。


この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?